戦前から、日本は狂っていた。軍隊と天皇陛下のおかげです。



上記文抜粋
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硬直した官僚組織では『形式』(前例)と『員数あわせ』は何ものにも勝る最大の価値感になる。
そして旧日本軍とはまさに究極の官僚組織であったのでしょう。
日本軍のこの不思議な悪弊『員数あわせの泥棒ごっこ』の事実は兵士でなくとも少し前なら有る程度年齢が上の世代では誰でも知っていた。
それにしても不思議ですね。
昔の戦争映画なら必ず描かれる兵士の有り触れた日常風景なのですが、今の戦艦大和などでは描かれていなかったしアメリカ映画のイーストウッド監督の硫黄島でも描かれたいなかったのです。
あまり名誉な歴史ではないので戦争責任などと一緒に『無かったこと』にされているのでしょうか。
健忘症か歴史修正主義であり、困ったことです。
旧日本軍では、軍隊内で結果的に泥棒が推奨されていた。
服装、装備など官給品の管理は厳格で紛失は厳しく追及される。
盗まれたことは理由にならず、『おそれおおくも天皇陛下からご下賜いただいた○○の数が足りないとはなにごとだ』と徹底的に体罰を受けるので紛失を知ったらすぐ同僚のものを盗んで『員数』を合わせるが、これを『要領』と呼ぶ。
体罰逃れの『員数』合わせの『要領』(泥棒)は日本軍の常識だったのです。

・・・・・・中略・・・・・

旧日本軍の悪名高い

員数合わせ

ですが
これは故意的に行われていたのではないでしょうか?
実は全体主義国家の源流とも言われる古代スパルタでも同じような教育が施されていたそうです
目的は狡猾な兵士作りの為なんだとか
人間性そのものが崩壊させられるシステムを旧日本軍が採用していたと考えるべきなんでしょうね

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF%E6%95%99%E8%82%B2
また、意図的に十分な食事を与えず、大人の食事や畑の作物を盗ませるようにした。これは、盗みによって兵士の能力としての大胆さや狡猾さを身に付けさせるためであったとされる

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抜粋終わり



上記文抜粋
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マリーシアを理解出来ない人々 2010年02月23日 | スポーツ・文化

『マリーシア』

旧軍の話ですが、彼等は悪いことでも戦闘(戦争)に利用できそうなことは何でも奨励していたのです。
勝負の結果(勝ち)だけに関心があり、それ以外(品格?)なんかは何の価値観も見いだしていなかった。
例えば軍隊内の泥棒は見つからなければ良い事として奨励されていて、厳しく罰せられたのは被害者の方だったのです。
しかし、周りの他の兵士から盗めばその結果がどうなるかが判っているので私の父は盗まなかった(自分の主義が邪魔して盗めなかった)。結果、毎度毎度凄まじい凄惨な制裁が行われることになる。
スポーツ用語のマリーシアとは、
元々はポルトガル語で『ずる賢さ』を表す単語で、主にサッカー界で使われるが意味するところは、『審判にバレない反則は反則とは呼ばない。それは高等技術と呼ぶ。』で、ネガティブな意味で使われることは少なく、一流選手の証が『如何にマリーシアを行えるか』なのですが、
今の日本のサッカーが日韓共催のワールドカップ以外には一勝も出来ない原因も多分マリーシアを行う技量がないからでしょう。
そして旧軍はマリーシアのオンパレードだったのです。
勝つためには何でも有りで許されるが、其の反対に正直に規則を守って負ければ厳しい制裁がまっている。
マリーシアの意味の『反則ぎりぎり』どころか、『反則そのもの』までも奨励していたのです。
軍隊内での銃剣術の稽古では敗者には理由のいかんを問わず苛酷な制裁が課せられる。
旧軍のこの体質を知り抜いていた私の父親は『はじめ』の号令がかかる前に攻撃して油断している(規則を守っている)相手に連戦連勝する。
何しろ亀田の弟ばりに銃剣術の規則にない投げ技や足技や拳闘など反則なら『何でも有り』。これを叱るどころか上官は『敢闘精神が有る』として褒め称えていた。
日本のやった戦争は日清戦争でも日露戦争でも対中戦争でも対米戦争でも全てが(マリーシア的な)宣戦布告前の奇襲攻撃で始まっています。

『実力の世界ではマリーシアが勝敗を分ける』

勝敗を争うスポーツでは如何に規則違反で失格にならない程度の悪事を働くことが出来るかで勝ち負けや一流と二流が決まるのです。
対戦相手に下剤入りオレンジを贈るなどは判らなければ大成功。体格のない10000メートルの松野明美がマラソンに転向したかった理由は体格の良い外国人選手の走行妨害のマリーシアを嫌っての事で、わざと体をぶつけるなどはトラックレースではある意味当たり前の常識ごと。
スキーのノルデック競技で一位になるような選手はマーリーシアでも一流で、わざとストックで他の選手を妨害したりスキー板を踏む反則になる一歩手前の汚い事が出来る選手だけが一流といわれている。
意識的に汚い事(マリーシア)が出来ない選手は二流でコンスタントには勝てない。
将棋の世界で数々の記録を打ち立てた大山康晴は、もちろん実力でも他の追従を許さない抜きん出た超実力者だったが、対戦相手が煙草嫌いならわざと煙を顔に吹きかけたり寒がっていたら立ち上がって窓を開けるなど勝つためには小さな汚い事も怠らなかったが、まさに勝負師の鏡ですね。
スポーツ(競技)では負けたものには意味が無く、勝つことだけに意味がある。勝つものが正義なのです。
そして旧日本軍は誰よりも其の事実を良く知っていたが、敗戦から65年が平和に戦争無く経過して何時の間にか『勝てば官軍、負ければ賊軍』の厳しい掟、かっての日本人全員が知っていた『知識』(常識)は完全に失われてしまったのだろうか。?
本来は勝敗を争うスポーツの世界で、日本だけは正反対の『勝敗よりも品格重視』の世の中になっている様だが、何故このように日本人は『極端』から『極端』に走って仕舞うのだろうか。?
旧軍の常識は間違いで、たしかに短期戦では戦場の勝敗が絶対的な価値観だが、何年にもわたる長期の全面戦争では『戦争の大儀』(戦を行うための正義のスローガン)こそが勝敗を決定する最大の要素であった。
ところが旧日本軍の徹底した『目の前の勝敗重視』の正反対の、現在の日本のスポーツ界の勝負事における『実力よりも品格重視』は競技(スポーツ)の根本原理(価値観)を無視した『スポーツの自己否定』に過ぎない愚行に他ならない。


スポーツは体に悪い

大相撲九州場所の優勝力士は直近の一場所を怪我で丸々休場していた(相撲の稽古不足が明らかな)阿炎 政虎 (あび まさとら)だったが、2022年度は6場所全部が別々の力士が優勝している。最高位の横綱照ノ富士を筆頭に大関やら大関有力候補がめまぐるしく次々と脱落、休場を繰り返すさまは無様だが、原因はほぼ全てが怪我や病気などの体の不調。

そもそも基本的に「スポーツは体に悪い」のである。優勝力士の阿炎は胡散臭い新コロ騒動の真っ最中の2021年に「自粛勧告」を無視してキャバクラに行ったことから3場所出場停止の厳しい処分を受けているが、半年も相撲の稽古から解放されたことが幸いしたのでしょう。スポーツ医学の専門家なら誰でも知っている不都合な真実が「スポーツは体に悪い」だったのである。(いかに「上手に手を抜けるか」が生き残りの道だった)

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抜粋終わり

隠れて悪いことをしなさい。。て学校では教えているんだよね。

だからいじめも、ピンハネも日常運航・・それが「天皇陛下の国」なのです。

上記文抜粋
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「スポーツは人格形成に必ず役立つ」はウソである…「アスリートほどルールを軽視する」という衝撃データ
むしろ「えげつなさ」を日常生活に取り込んでしまう

「スポーツは人格形成に役立つ」と言われるが、本当なのだろうか。名桜大学の大峰光博准教授は「部活に入る大学生の半数が相手への侮辱やブーイングを許容するという研究結果がある。スポーツは社会性を涵養するような上等なものではない」という――。


部活動は強制加入されるものではない
2022年11月、中学校の運動部活動に入部している生徒の割合が、37の道県で過去最低になったとするNHKの調査が発表されました。全国の平均は59.6%であり、最も低かったのは50.7%の奈良県、次いで51%の長野県でした。部活動への強制加入を見直した学校が増えていることが影響していると考えられますが、そもそも学習指導要領で「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」と明記されている部活動は、強制加入されるものではありません。

現在、公立中学校において部活動の地域移行が進められており、部活動の意義が問われています。

日本の中学校教員が部活動に従事する時間は、他の国々の中学校教員と比べて突出して長いことが明らかになっています。この点から教育社会学者である舞田敏彦は、「部活動が生徒の人間形成に寄与する、教員も関わって当然」という考えは海外では非常識であると述べています(注)。

(注)部活動指導に教師が長時間を費やすのは世界の非常識

スポーツ基本法では、運動部活動で行われるスポーツは他者を尊重し、公正さを尊ぶ態度を培うと記されていますが、本当にそうなのでしょうか。運動部活動に属さない生徒やスポーツに取り組まない生徒は、そうである生徒に比べ、他者を尊重し、公正さを尊ぶ態度を養う機会を失っているのでしょうか。

何をもって人格形成や人間形成がなされたとするかは、国や地域によって大きく異なるだけでなく、同じ共同体の中においても見解が分かれるでしょう。ただ、人格形成や人間形成という概念に、他者を尊重し、公正さを尊ぶという社会性が包含される点については合意が得られると思います。

本稿では、運動部活動が社会性(他者の尊重、公正さを尊ぶ態度)を養う上で有効なツールであるのかについて、論じていきます。

学生はどこまでスポーツのルールを順守するか

まず、Bradford Strand(米ノースダコタ州立大学)らが2010年と2018年に発表した、アメリカの大学生アスリートと高校生アスリートを対象にした調査結果を紹介します。ゲームズマンシップ(gamesmanship)という、ルールの範囲内、もしくはルールを破って実践される、試合で勝利するための行動に関する調査です。スポーツと教育を論じる上で示唆に富んだ内容です。

調査の対象となったのは、アメリカの4つの大学に所属する455人(男性283人、女性172人)と、16の公立高校に所属する273人(男性105人、女性142人、ジェンダーを明確にできなかった26人)です。25の質問項目があり、怪我をしている箇所への攻撃、報復死球、威嚇・脅し、得点の積み上げ、審判へのだまし、トラッシュトーク(言葉による攻撃)、派手なパフォーマンス、誤審の黙認、非公開情報の活用などについてどう思うかを問うものとなっています。


大学生の半分以上がトラッシュトークを許容する

図表1に研究結果の一部を紹介します。

トラッシュトーク(例えば、得点者が相手ディフェンダーに「お前はへぼだ」などと言う)について尋ねた項目では、大学生アスリートの半分以上が、高校生アスリートでも約5人に1人が許容するという結果になっています。また、ブーイングややじであれば許容されることにイエスと回答した大学生は約3人に1人という結果になりました。

これほどまでの学生・生徒がトラッシュトークややじを許容する背景には、彼らが目標とするプロスポーツ選手たちがトラッシュトークを試合で日常的に用いていることが影響していると考えられます。

ノースカロライナ大学のスターであった、バスケットボールの神様であるマイケル・ジョーダンは、激しい闘争心から有名なトラッシュトーカーでした。また、世界中で大きく報じられた2006年サッカーワールドカップ決勝でのジダンによる頭突きは、対戦チームの選手との間でのトラッシュトークが引き鉄となりました。

ベンチにいるプレイヤーが対戦チームをあざけり、やじることはアメリカのみならず日本においても行われています。運動部活動だけでなく、少年野球などにおいても行われてきたことは多くの人が知るところです。

バスケットボールやサッカーのみならず、どのようなスポーツにおいても通常は、選手が対戦相手を侮辱・攻撃する発言は競技規則で禁止されています。明確にルールで禁止されているにもかかわらず、他者を傷付ける行為を許容する態度は、決して社会性が養われているとは言い難いでしょう。

誤審を黙認するアスリートは公正さを尊んでいると言えるか

続けて、審判の誤審に関する回答を紹介しましょう。


大学生アスリートと高校生アスリートの受け入れる割合に開きがありますが、審判による誤審を黙認することを、大学生は約3人に2人が、高校生でも約半分が受け入れるという驚きの結果になっています。

これほどまでに高い数値となったことについて、Strandらは、誤審がアスリートたち自身の責任というよりむしろ、ルールを執行する審判の責任であると考える傾向があるためであると考察しています。審判のジャッジを尊重していると言えば聞こえは良いですが、自身にとって不利になる判定であれば当然、審判に対する抗議は行われます。誤審の黙認は、先ほどのトラッシュトークのように何らかのルールに違反しているわけではありませんが、公正さを尊ぶ態度が養われているとは言えないでしょう。

スポーツと日常生活で求められる倫理観は異なる

日本の大学生・高校生アスリートに同様のアンケートは実施されていませんが、運動部活動に参加する生徒は反社会的傾向が高く、学校での逸脱傾向が高いという研究(注)も存在します。ここでいう反社会的傾向とは、先生や友達に対するいじめや、授業中に大声を出して騒ぐ行為などを指します。

(注)部活動への参加が中学生の学校への心理社会的適応に与える影響

哲学者である川谷茂樹は、スポーツは日常の倫理との緊張関係にあり、ほとんど不可避的に倫理的問題を引き起こす、危険な代物であると指摘しました。スポーツは日常生活で禁止される行為が許容される、独特のスポーツ倫理(対戦相手の弱点を攻める、対戦相手の嫌がることをする、殴る・蹴る・絞める・体当たりといった身体的攻撃をする)が存在するためです。

日常生活で殴る等の行為によって他人に怪我を負わせれば、暴行罪や傷害罪が適用されます。しかしながら、ボクシングやラグビーでは、他人を殴ったり体当たりをしても、暴行罪や傷害罪には問われません。なぜなら、刑法第35条には「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とあり、スポーツは「正当な業務による行為」とされるためです。つまり、日常生活で禁止されている殴る・体当たりという行為は、スポーツの世界で例外的に許容されていると言えます。

スポーツは「えげつない行為」が求められる

スポーツの本質は、誰(どのチーム)が優越しているかを決定する試みであり、勝利の追求が求められます。対戦相手(チーム)が敗北することによって伴う痛みや苦しみをおもんぱかっていては勝てません。

川谷は、アスリートとして純粋に勝利を追求するためには、普通の人間としては「えげつない」行為を遂行する能力・技能が必要になると主張しました。同感です。Strandらによる調査は、川谷の主張を補強する結果になっています。

私はこれまで、中学・高校ではバスケットボールに、大学ではトライアスロンに取り組んできました。バスケットボールは五流選手、トライアスロンは日本選手権に出場したものの、タイムオーバーで失格となった三流選手です。そんなトップアスリートとは言えないレベルにおいても、運動部活動においてアスリートたちの「えげつない」行為をこれまで見聞きしてきました。私自身も勝利の追求のために、故意のルール違反を行った経験もあります。

スポーツで飯を食べ、スポーツがアイデンティティーの中心に位置するトップアスリートたちにとっては、闘いの中での「えげつない」行為は日常茶飯事です。元サッカー日本代表の本田圭佑は先日、W杯開幕直後に「見えないところで汚いことをすることもサッカーの一部やった」とツイッターで述べました。日々の練習においても、健康の維持・増進という日常の倫理とかけ離れた「えげつない」鍛錬が続けられています。そうでなければ、トップのレベルで生き残っていけないからです。

そういう意味では、部活動も含め、スポーツへの過度の傾注は、日常生活では許容されない「えげつなさ」を自身の中に取り込んでしまうとも言えるのではないでしょうか。

未成年飲酒や喫煙といった問題は部活動内で繰り返されている

運動部活動が社会性において必ずプラスに働くのであれば、中学生の4割が運動部活動に加入していない状況は極めて由々しき事態です。運動部活動に加入していない学生の社会性が、危機的な状況に陥っている可能性も出てきます。

しかしながら、運動部活動を行っていても社会性に乏しい学生もいる一方で、サークルに加入したり、帰宅部という運動部活動に加入していない学生が社会性に優れているケースもあります。それは、飲酒、喫煙、薬物使用、いじめ、暴力といった事件が運動部活動に加入している学生によって繰り返され、また、運動部活動に長期にわたり加入していたトップアスリートが他者を尊重せず、公正さを尊ぶ態度が培われていないスキャンダル事例からも明らかです。

スポーツは本来「気晴らし」である

そもそも、生徒の自主的、自発的な参加により行われる運動部活動は、生徒がどのような目的で参加しようとも自由です。私はこれまで運動部活動を「憧れの選手のようにプレーしたい」「周囲の人たちに認められたい」「達成感を味わいたい」「勝ちたい」といった動機で参加してきました。自身の社会性を高めることを目的に参加してはいませんでした。周囲の部員も同様でした。

現在、大学のトライアスロン部の監督を担っていますが、部員に対して社会性を養うことを目的に指導は行っていません。部員も社会性を高めることを目的に入部はしませんし、水泳3.8km、自転車180km、ランニング42.195kmという非日常を実践することが社会性につながることも思えません。また、トライアスリートに限定されないエンデュランスアスリート(マラソンランナーやサイクリストなど)は、長時間の練習や試合に伴う弊害も研究で指摘されており、私の身近にも仕事や家庭を顧みないで練習や試合に励んでいたアスリートもいました。

そもそもスポーツの語源はラテン語の“deportare”であり、気晴らしを意味します。日々の労働や日常の規範からの逸脱が、気晴らしになり得ます。スポーツそのものが労働や日常の規範の連続であるならば、気晴らしにはなりません。気晴らしは日常の規範にとって危うさを持っています。

スポーツでは必ずしも社会性は育まれない

私は「このままではスポーツが駄目になってしまう!」「スポーツの危機だ!」と叫びたいわけではありません。「えげつない」行為が要求されるスポーツは、それほど上等なものでありません。一方で、日常の倫理とは異なる倫理を求められることが魅力の一つであるとも考えています。そのようなスポーツを用いる運動部活動において、日常の倫理を重んじる社会性が育まれないことは、なんら不思議なことではありません。

指導者が運動部活動において部員の社会性を養うことを目標とするのであれば、以上のようなスポーツの側面を認識する必要があり、ひたすらに高いレベルを目指すことやスポーツをただ行わせるだけでは、その目標は到底達成されない点を肝に銘じておく必要があります。


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抜粋終わり



軍隊から「犯罪の励行」で、それが学校で「いじめの励行」になる。

体育・スポーツで、犯罪を習得するのが、日本の学校。

まあ、それに「人倫」を求めるのは、無理。


天皇を根絶やしにして 日本を変えないと、日本人は永遠の家畜で死滅。

天皇のない 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐れみに富む社会になりますように


お読みくださりありがとうございます。

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