宇宙に行ったカメラ MINOLTA HI-MATIC
1962年、アメリカ初の有人地球周回軌道飛行ミッションである「マーキュリー・アトラス6号」で打ち上げられた「フレンドシップ7」に搭乗していたのが、ジョン・グレン宇宙飛行士です。
彼と一緒に宇宙に行ったカメラが、ミノルタハイマチック(初代)です。実際には、軽量化などのため随分改良して持ち込まれています。
コニカミノルタの公式サイトにある記述を引用します。
1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えましたその時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。
初代ハイマチック
https://fukucame.fan.coocan.jp/hi.htm

発売年:1962年
レンズ:ROKKOR-PF 45mm/F2
サイズ:134×84×66mm
シャッター速度:B・EV7.5(1/45秒)~EV17(1/500秒)
重量:約750g
電池:セレン光電池
当時価格:18800円
セレン光電池によるプログラムEE距離計連動式カメラ。絞りリングAUTO位置でプログラムEEとなります。(巻き上げた状態でないとAUTOリングが回らない構造になっている。)
AUTO位置では絞り羽根は開閉せず、シャッター羽根が絞り兼用となります。AUTO以外の位置では絞り値が設定され、シャッター速度1/30秒固定となります。
シャッターはCITIZEN UNI-E。レリーズボタンはカメラ前面に付いています。

このハイマチックは宇宙に行ったカメラとして世界的に有名になり、一躍ミノルタのカメラは注目されることになります。その後発売されるハイマチック7など、ミノルタのカメラに「7」の数字が付くものがありますが、このフレンドシップ7から取ったと言われています。
レストア情報 Restoring tips MINOLTA HI-MATIC
https://fukucame.fan.coocan.jp/tips/hi_t.htm

露出計の仕組みがユニークですのでご紹介します。赤矢印の指針がセレン光電池によって動きます。レリーズ半押しで黄色矢印のプレートが指針を挟み込み固定します。シャッターを切ると、赤矢印指針の位置まで青矢印の金具が回転します。これがシャッター羽根の開きに連動する仕組みです。シャッター羽根が絞り兼用になっている仕組みがこの機構にありました。これはAUTO時のみの機構です。

距離計調整は、軍艦部を開けなくてもアクセサリーシューのカバーを外して、内部のねじを回すことでできます。これもユーザビリティを考えた工夫だと思います。



ハイマチックシリーズ
1962年に発売された初代ハイマチック以降、ハイマチックシリーズとして1985年まで多くの機種が登場します。私の大好きなカメラたちです。
銘機の系譜 MINOLTA HI-MATIC
https://fukucame.fan.coocan.jp/keifu/himatic/keifuhimatic.htm
田嶋一雄(たしま かずお)氏
なお、ミノルタカメラ(株)(現:コニカミノルタ)の創立者は、田嶋一雄氏です。次のサイトをご覧ください。
和歌山県文化情報アーカイブ
https://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/senjin/tashima.html
今回は、宇宙に行ったカメラ「ハイマチック」をご紹介しました。お読みいただきまして、ありがとうございました。
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