井の頭自然文化園で考えたカモシカのこと
「今度、動物園で話すよ」
6月のある日、『カモシカと進化をめぐる冒険』の著者、高田隼人さんから連絡がきました。
なんでも、飼育員さんとのクロストークなのだとか。
なんだか面白そうではないか…!

ということで、7月4日、井の頭自然文化園で開催された
「ニホンカモシカを知る! そのいきものはちょっとヘンテコ」を聴講。
今回はそのレポート記事です。

講師は東京農工大学の髙田隼人さんと井の頭自然文化園飼育員の伊藤達也さん。
かたや野生のニホンカモシカ(以下、カモシカ)を追いかける研究者。かたや動物園で、カモシカを飼育、繁殖にたずさわる飼育員。立場の違う2人がそれぞれの視点からカモシカについて語りました。
フィールドでカモシカを観る研究者
東京都板橋区で生まれ育った髙田さん。井の頭自然文化園は身近な動物園だったそうで、大学時代には学芸員課程で実習にも行ったのだとか。
そんな縁ある場所で、研究者として講演することは、感慨深そうです。

髙田さんは、大学時代から10年以上、野生のカモシカを研究してきました。
講演では、延べ1000日以上に及ぶ調査の結果、見えてきたカモシカの生態とその面白さについて教えていただきました。
生きた化石、カモシカ
蹄をもつ大型の草食獣のことを有蹄類といいます。
ウシ、シカ、イノシシ、キリンなどの偶蹄類とウマ、サイ、バクなどの奇蹄類が当てはまります。カモシカもこのグループの仲間で、分類学的には偶蹄目ウシ科に属します。

先人たちの研究により、「カモシカはこういう動物だ」という「カモシカ像」はある程度知られています。それは、単独で生活し、一夫一妻の婚姻形態をもち、藪の中に潜む動物というものです。
じつは先ほど挙げたカモシカの性質は、有蹄類全体の中では少数派で、その割合はなんと全体の3%程度しかいないそうです。
スイギュウやヌーなどサバンナの草原で暮らす大型の有蹄類は大群をつくります。
また、インパラはオスが一夫多妻の婚姻形態をもち、強いオスがメスの群れを囲い込むハレムを形成します。

そして、カモシカの性質は有蹄類の祖先から変わらず残り続けてきたものだと考えられています。つまりカモシカは、有蹄類の中ではヘンテコな存在であり、いわば古典的な「生きた化石」なのです。
高田さんは「そこがカモシカ研究の面白いところだ」と語ります。
カモシカに名前をつけて観察する
髙田さんは、浅間山の中腹と高原(カモシカ平)で野生のカモシカを1頭1頭個体識別し、行動を観察し、その生態と社会を研究しています。
すると、浅間山の中腹の森のカモシカは、前評判の通り、単独性で、同性間でなわばりをもち、同性の他個体とは敵対するような社会をもっていましたが、浅間山の高山帯にあるカモシカ平では、その事情が違いました。なんと、カモシカ同士が一緒に行動している様子が観察できたのです。

仲良しグループをつくるメス
グループをつくっているのはカモシカのメスでした。そして、仲良しグループのようになっており、グループ同士でなわばりをもっているようでした。
例えば、メスの成獣・ミツウラとクロサワは仲良しです。一緒に過ごすことが多く、鼻を付き合わせたりするなど親和的な行動が見られました。一方で、クロサワとアサコは敵対し、激しい闘争が見られました。

なぜ、このような社会が見られるのか?
食料の限られる中腹の森とは違い、草原のカモシカ平は、カモシカが食べられる植物がそこら中に生えています。カモシカからしてみれば、食べ物に囲まれて生きているようなものです。そのため、食べ物という資源を守る必要がなく、なわばりから他個体を追い出すモチベーションは低くなります。それにより小さな群れのような社会ができたのではないかと髙田さんは言います。

これは、従来の「カモシカ像」を覆す発見で、なわばりをもつという習性が環境によって変化していることを示しています。

一夫一妻から一夫多妻へ
一方、オスはメスのようにつるむことはなく、依然として単独性でなわばりをもっていました。
オスにとって、なるべく多くのメスと交尾することが多くの子孫を残すことにつながります。そのためにメスが集まるところになわばりを張ってメスを独占することが利益になります。
オスはメスが多いところになわばりをもち、結果として、一頭のオスが、複数のメスと交尾する一夫多妻になっていることが観察されました。これも、これまでの一夫一妻のカモシカ像とは大きく異なります。
こうした環境によるカモシカの社会の変化は、有蹄類の進化の過程を示唆しています。
現在見られる有蹄類の群れ社会は、氷河期に草原環境が広がったことで、もともと森にいた原始の有蹄類が草原に出て行った結果、進化したものだと考えられていますが、浅間山のカモシカで見られた変化は、この進化の道筋を知る鍵になるのだと髙田さんはいいます。
飼育員が語るカモシカの繁殖成功
野生のカモシカを調査することでわかることもあれば、動物園だからこそ見えてくることもあります。
井の頭自然文化園では、2022年から2025年にかけてカモシカの繁殖に4年連続で成功しており、それに携わってきたのが飼育員の伊藤達也さん、2人目の講演者です。

じつは、カモシカは子の死亡率が高く、動物園にとって飼育や繁殖が難しい動物なのだそうです。
国内の動物園でのカモシカの飼育頭数は減少傾向にあるそうです。
そんな中、井の頭自然文化園の繁殖成功は快挙と言えます。
伊藤さんのお話はその繁殖の振り返りでした。
カモシカの出産に立会う
井の頭自然文化園では、20022年から2025年にかけて、カモシカのすずな(母)とムム(父)のペアから4頭の子が誕生しています。きょうだいの名は、トト、ココ、ムツ、ナツです。
2024年、ムツが生まれたときは、動物園の開園時間に出産が始まり、
来園者が見守る中での出産となったそうです。
前足から徐々に見え始め、鼻先、頭、体の順に出てきました。
無事に出産を終え、お母さんのお腹から出てきた時には、歓声と拍手がわきおこったそうです。

野生動物では、出産後にお母さんが胎盤を食べる行動が見られます。これは、そのにおいで子どもの存在を捕食者に悟られないためだったり、出産後の栄養を補うためだと考えられています。このときも母親のすずなは胎盤を食べていたそうです。

子カモシカの成長過程もわかる
飼育下では、誕生からの成長過程を細かく見守ることができます。
伊藤さんは生まれてから何日でどんな変化が見られるかを母子手帳のように記録していました。
例えばムツの場合、誕生から8日目で初めて草を食べ始めました。
33日目には初めて反芻《はんすう》、そして50日目には、角が生えはじめたのを確認しています。

また、生まれてしばらくの子カモシカは警戒心が薄く、好奇心が強いのか、人間(飼育員)を恐れずに近寄ってくるそうです。体重計測などには都合がいいのですが、伊藤さんは、すずなの冷たい視線を感じながら作業していたのだとか。
(気性の荒い母親だと攻撃してくることもあるそう)
しかし、そっけないもので、1週間もすると、子カモシカは逃げるようになるそうです。
伊藤さんもちょっと複雑な気持ちになるのだとか。
お腹を下す
子カモシカはよく下痢をするようです。
動物舎の殺菌などの対策をとっても、子カモシカではほとんど決まって起こるそうです。原因は不明ですが、重症化することもなく時間を経て良くなるらしく、その他の異常が見られなければ、気にし過ぎないようにしているそうです。
反芻獣であるカモシカは、植物の繊維を分解するために胃のなかに微生物を飼っていますが、これは、生まれた後に徐々に形成されます。子カモシカはまだこれが未発達なため、植物をうまく分解できないのかもしれません。
カモシカの子どもが見せる行動
また、飼育下だからこそ、じっくり観察できることもあります。
子カモシカは、母親の背中を左右に行ったり来たり飛び越す行動を見せることがあるそうです。
伊藤さんはこれを反復横跳びと呼んでいます。
どの個体でも決まってこの行動が見られ、もしかしたら、険しい斜面で生きるカモシカの発達に、足腰を鍛えるというような、何かしらの意味があるのかもしれません。

カモシカの未来は危うい?
講演では、カモシカの現状と未来についても話題に上りました。
2026年4月、名古屋大学のキャンパス内にカモシカが出現し、ほかにも、この頃は人里にカモシカが出てくるというニュースを目にすることも増えました。
一見すると、カモシカが増えているように思えますが、カモシカの生息環境が変化している可能性があるそうです。
じつは現在、日本に生息する野生のカモシカの数は減っています。
特に西日本の一部地域では、カモシカは絶滅の危機に瀕しています。
環境省のレッドリストでは、紀伊半島・鈴鹿山地、四国、九州のカモシカが、絶滅の恐れがある地域個体群(LP)に指定されています。
カモシカ減少の原因の一つとして考えられるのが、ニホンジカの増加です。
日本全国でニホンジカの数が増加し、植物を食い尽くすなど生態系に影響を及ぼすことが大きな問題となっています。

浅間山や富士山でカモシカを観察し続けてきた髙田さんは、このことを如実に感じているそうです。どちらの地域でも、ここ数年のうちにニホンジカが増え、カモシカが減っていることを確認しています。
植生も様変わりしており、浅間山では高山帯の花畑が見られなくなるなどの変化が起こっています。同じく植物を食べるカモシカにとって、大食漢なニホンジカは厄介な存在です。
*実際に髙田さんは、カモシカがニホンジカの存在を忌避することを観察から明らかにしています。詳しくは以下の記事もご参照ください。

人里に降りてくるカモシカは、ニホンジカに生息環境を追いやられているのかもしれないと髙田さんはいいます。
カモシカの未来と動物園の役割
こうしたカモシカの現状に対して、動物園が担う役割もあります。
例えば、カモシカの繁殖事例は保全に役立てることができるかもしれません。
カモシカを守るためには、どんな環境条件が必要で、どんな生息環境を保全していくべきなのかを考える必要があります。この時、動物園で得られるカモシカの繁殖成功や子の発達にかかわる知見は重要な情報になるでしょう。
井の頭自然文化園は「日本に生息する野生動物の保全と啓発に取り組む動物園」を理念として掲げ、日本の動物たちを展示し、その素晴らしさや現状について来園者に伝えています。

今回の講演も動物園という子どもから大人まで動物に親しむ場を入口に、じつは絶滅の危機に瀕しているカモシカのことを広く知ってもらう機会です。
講演は、そんな動物園の使命を強く感じる内容でした。
私も、いち生き物好きとして、井の頭自然文化園を訪れる人たちに、このちょっとヘンテコで、愛すべき生き物、カモシカのことをもっと知ってもらえたらうれしく思います。
取材協力
井の頭自然文化園
author
須藤哲平 (文一総合出版 編集部)
関連書籍
『カモシカと進化をめぐる冒険 山の上の生存戦略』

ISBN 978-4-8299-7262-5
2025年11月17日発売
定価2,200円(本体2,000円+10%税)
