人は思いがけず何かを抱えている
前に働いていた本屋のあるスタッフと、「遺書を書いたことがある」という話で盛り上がったことがある。
ただその女の子は、誰とでも楽しそうに喋る、見た目ももの凄く可愛い子で、だからその振る舞いだけ見ていたら「辛さを抱えている」みたいにはまったく想像出来ない。そんなわけで、どういうきっかけで遺書の話をしたのかまったく覚えていないが、「私も書いたことあります」みたいに言われた時にはまあ驚いた。
しかもその子は、凄く髪が長かったのだが、「顔を見られたくないから隠してる」とも言っていて、「えっ?」という感じだった。要するに、「自分の顔に自信がない」という話である。その子は本当に、客観的に見て「美少女」という感じの子だったので、その自己認識にも驚かされてしまった。ホントに、「人は見た目によらない」という感じである。
また、少し前にミセスグリーンアップルのドキュメンタリー映画を見たのだが、他のメンバーも大森元貴自身も、「大森元貴は特大の孤独を抱えている」という話をしていたのも印象的だった。
今や、音楽だけではなく、様々なエンタメ領域でトップを走っているアーティストの先導者であり、なんとなく勝手に「孤独とは無縁なんじゃないか」という風に見えるんじゃないかと思う。ただ、そんな大森元貴は、「きっとこの孤独感が無くなることはないだろう」みたいに話していて、やはりその感覚には驚かされてしまう。
僕は人生でこういう、「見えてる感じとは全然違う中身の人」と多く出会ってきたので、見た感じの雰囲気から相手の内面を判断しないようにという意識を強く持てるようになった。けど、普通はなかなかそうはいかないだろうし、だから、「『良さげな見え方』の人は大変だろうなぁ」といつも思っている。特に、「内面がしんどい人(概ね「優しい人」であることが多い)」は、「こんな大変な内面を他人に見せてしんどい思いをさせちゃいけない」とか考えて余計に「良さげな見え方」を意識するようになったりもするので、一層ややこしくなってしまう。
ちなみに、その「遺書を書いたことがある」という話で盛り上がった子は、別の時にも興味深い話をしていた。地元の友人に、ふと「毎日死にたいって思ってるんだよね~」と、割と軽いテンションで言ってみたのだけど、そしたら友人たちから「辛いことがあるなら話聞くよ!」「そんなこと言わないで!」みたいな、彼女的には「過剰な反応」が返って来てしまって、「あぁ、こういうことはこの人たちには話せないな」と感じたのだそうだ。まあ、確かにその気持ちはよく分かる。ホントに、そういう反応を求めてるわけじゃないんだよなぁ。でも、そういう感覚はなかなか伝わらない。
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