【映画】「はじまりの記憶 杉本博司」感想・レビュー・解説
国立近代美術館の「杉本博司 絶滅写真」展にはホントに驚かされた。
全然知らない人だったし、写真展にはあんまりピンと来ないことが多かったので、正直「行かなくてもいいかなぁ」とか思っていたのだが、ホントに行って良かった。久々にズバッと来た展示だったんだよなぁ。マジで何も知らずに観に行ったから、ホントに頭が混乱する写真ばかりでぶっ飛んだ。
それから、ギャラリー小柳での「海景」シリーズの展示とか、竹尾のポスター展とかにも足を運んだ。自分でも大分引きつけられてるなぁと思う。
で、本作『はじまりの記憶 杉本博司』は、そんな杉本博司のドキュメンタリー映画である。10年前の作品だが、「絶滅写真」展と連動する形でリバイバル上映が決まり、今日は杉本博司と監督のトークイベント付きの上映ということで満員だった。しかし、そのトークイベントの中で「絶滅写真展が炎上してる」みたいな話が出て、でも調べてもよく分からなかった。「作品紹介が短歌(狂歌)だから」みたいなことなのかなとか思ったけど、よく分からない。
で、本作では、まさに「絶滅写真」展で展示されている作品の背景が色々と分かるので、展示を観る前に映画を観てもいいし、展示を観てから映画を観るのも良いだろう。
で、先に書いておくと、トークイベントの中で杉本博司は、「この映画のせいで、崇高なアーティストみたいなイメージが作られた」みたいな話をしていた(このことは、10年前の公開時から言っているそうだ)。「ホントはふざけた人間なのに、そういう部分は編集で全部カットされちゃった」とのこと。作中では、「生まれ変わったらコメディアンになりたいという」みたいなナレーションがあって唐突だなと思ったのだが、それで謎が解けた。というわけで、本作での描き方は、少なくとも杉本博司本人の自己認識とは大きく異なるようである。
「絶滅写真」展に掲示されていた色んな文章の中で印象的だったのが、「私は写真をアートの一流に引き上げたい」みたいな宣言である。彼は立教大学を卒業後、ロサンゼルスの写真学校で学び、それからコマーシャルフォトのアシスタントになった。ギリギリたが生活は出来ていたそうだが、このままコマーシャルフォトの世界にいるかは悩んでいたそうだ。で、当時のアイデアブックには、絵を描いてみたり彫刻のアイデアを書き留めたりしていたのたが、結局写真でやっていくことに決めたという。
ただ、当時写真はまだ「アート」とは認められていなかった。そこで彼は「写真をアートと認めさせる」という決意を抱いてその世界に踏み出すのである。
作中で李禹煥(だったはず)って人が「杉本博司の凄いのは、写真でしか出来ないことをやっていることだ」と話していたり、浅田彰が「写真を使って『現在が永遠である条件』を探っている」みたいに言っていたのが印象的だった。また、ペースギャラリーの学芸員は、「杉本博司のアートは知覚を拡張させる。見えないものや気付かなかったものを可視化させるのだ。それが重要なポイントで、境界を押し広げるような、これまで見たことのないアート」と評していた。まさに彼の試みは結実したと言っていいだろう。
杉本博司自身は昔から、「カメラを持ってフラフラするような写真家にはなりたくなかった」「設計図を作ってそれに沿って作るような写真が良いと思っていた」みたいなことを言っていた。どうしても写真と言うと「即時性」「即興性」みたいなことをイメージしてしまうが、杉本博司のそれはむしろ建築みたいなもので、「いかにして設計図通りに出力するか」みたいなことが重視しされる。
そのことが強く理解できるのが、本作の冒頭で映し出される『放電場』の制作風景だろう。彼はラボみたいな場所に発電機や鉄製の板などを持ち込み、「40万ボルトの電気を放電し直接フィルムを感光させる」という、カメラを使わない作品を作っている。発電機を決めるのに1年かかり、また他の様々な設定を変え実験しみたいなことを4年も続けているという。彼がイメージする完成形に近づけるような「最適な設定」を見つけ出すために執拗に繰り返しているのだ。
さて、この『放電場』に関しては実に興味深いエピソードがあった。
とここでいきなり話は変わるが、杉本博司はある人物に自分を重ねているという。それが、ネガポジ法を開発したウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットである。彼は様々な分野のエキスパートだったらしく、電気の研究もしていたという。杉本博司はある時期、1年分の収入を費やしてタルボットのネガを買い取るほど彼にシンパシーを抱いている。
で、そんな杉本博司に、「タルボットの遺族が手放した遺品が手に入った」と連絡がある。その中には、タルボットがネガポジ法を開発するきっかけになった妻の絵もあったそうだ(妻が描いたのと同じ風景を上手く描けなかったタルボットが、妻の絵より上手く風景を描く機械を作ろうと考えてネガポジ法が生まれたらしい)。でさらにその中に、遺品を杉本博司に見せた人物には用途が分からないものがあった。
そしてそれがなんと、杉本博司が『放電場』を作成するのに自作した道具とほぼ同じ形・機能を持つものだったのだ。偶然にしては出来過ぎている。別の場面でだが、杉本博司は「招かれている、導かれていることをやり続けてきたただけ」みたいに言っていたが、まさにこれなどはその象徴と言っていいようなエピソードではないかと思う。
また、『劇場』という「映画を上映している間シャッターを開きっぱなしにして撮った作品」もあるのだが、これも自身のイメージを実現するために時間を費やしている。彼は、写真を撮り、ホテルですぐ現像して修整し、また撮り直してみたいなことを3、4日、時には1週間も続けるらしいが、問題は「撮ってる間に上映作品が変わってしまうこと」だった。上映作品が変わると露出の設定も変えなければならないからだ。展示を観ている時にはそんな苦労想像もしなかったので、なるほどなぁという感じだった。
作中で「密着中、杉本博司は『アートの価値』について何度も言及した」みたいなナレーションが入る。彼は、アートが資本主義に呑み込まれてしまった現状を憂えるような発言もしていた。彼がアートの世界に入った頃は、コレクターはお金目当てではなかったし、彼自身もお金のためにアートをやろうという発想はなかったそうだ。「作ることに意味がある」とも言っていた。
で、そんな彼が「アート」を定義する場面があった。その定義が、
【目に見えないものを物質化する技術】
である。なるほどなという感じだろう。
しかし、そもそも「写真」というのは「目の前のものを写す装置」であり、「目に見えないものを物質化する」という定義には当てはまらないようにも思う。しかし、杉本博司の写真を観ると、その感覚は吹き飛ぶだろう。
『建築』というシリーズは、「無限大の2倍の焦点」という、僕にはよく分からない設定で撮った写真で、まあようするにボケている。そういうやり方で様々な建築物を撮った写真は、弱い線が消え強い線だけが残るので、「建築家が最初に思い描いた原初の姿」に近いはずだという。確かにそれは、「目に見えないもの」だろう。また『建築』を紹介する際には字幕で、「現実に介入する前の風景に降り立つことはできるか?」と表示された。人間は当然、その場にいて目で見たり、あるいはカメラなどで写されたものを見たりするしかないわけだが、そうではなく「『見る』という行為に晒されていない風景」を捉えようとしているというわけだ。これも「目に見えないもの」である。
また、杉本博司の代表作の1つである『海景』にも、「かつて人類が見たかもしれない海」というコンセプトがある。意識を持つ「人類」という種が地球上に生まれた頃の海というわけだ。これもまた「目に見えないもの」である。
『放電場』についても、「無機物としての電気に有機物のような形を馳せる」みたいな紹介がされていた。「電気」もまさに「目に見えないもの」であり、それに杉本博司は有機物としての形を与えているのである。
このように杉本博司の写真には「目の前に見えているものを映しているわけではない」という前提がある。同じく代表作である『ジオラマ』は博物館の剥製を撮ったものだし(しかし驚くほどリアルに見える)、『ポートレイト』は蝋人形を撮った作品だ(しかし驚くほどリアルに見える)。これらも、実態としては確かに「目の前に見えているものを撮っている」のだが、しかしそこに映し出されているものはそれそのものではないのだ。
しかし、トークイベントの中で、「こういうやり方が通用したのは、『写真が真実を写すものだ』という前提があったからだ」みたいな話をしていて、なるほど確かにそうだなと思う。現代では、CGやら生成AIやらでいくらでも「フェイク写真」が生み出せてしまう。つまり、「写真=真実」という等式が崩れてしまっているのだ。だから現代では同じようなことは出来ないと杉本博司は言っていたように思う。
で、それを受けて監督が、「だからこそ杉本さんの写真が映し出しているものが、逆説的に『本物』であるようにも感じられる」みたいにも言っていた気がする。僕も「絶滅写真」展では、その異常な「リアルさ」に驚かされたのだが、ただ、その感覚はもしかしたら、杉本博司が作品を発表した当時に観た人とはまたちょっと違った捉え方なのかもしれないなと思う。
さて、少し『海景』の話に戻そう。僕は「絶滅写真」展で初めて作品を観て、「かつて人類が見たかもしれない海」というコンセプトを知ったわけだが、本作の制作には杉本博司のかなり個人的な感覚が強かったという。
というのも、杉本博司の「最初の記憶」が『海景』のような「水平線がビシッとなった海」だというのだ。「眼鏡トンネルを抜ける時に見えた海がずっと記憶にある」というのである。
で、その原初の記憶を再現するように作品を撮ったのだが、当初彼は「これは売り物にならないだろう」と考え、自宅に飾っていたという。で、「飽きたらお終い」と思って日々見ていたという。でも、全然飽きなかった。だから彼は、「これは強いんじゃないか」と思ったそうだ。そこでその理由を考えてみて、「かつて人類が見たかもしれない海」という認識にたどり着いたというわけだ。彼の記憶が「海の景色」より前に遡れないことから、「個人史を超えた人類普遍の記憶がそこに残されているのではないか?」と考えたのである。こうして、代表作『海景』が生まれたというわけだ。
それで、「絶滅写真」展を観ている時に、「この写真は一体どうやって撮ってるんだろうな?」と思っていたのだが、その様子が少しだけ分かった。そもそも彼はまず、「ATLAS」というデカい地図本で良さげな場所を探すそうだ。「山が突き出ていて、いきなり崖になっているところがいい」と言っていた。そういうロケーションを探すことで、海と空以外のものが何も写らない写真が撮れるのだろう。Googleマップなんか当然なかったから仕方ないわけだが、それにしても地図で探しているとは思わなかった。
あと、この『海景』に関してはトークイベントでなかなか驚くような話が聞けた。なんと、彼の最初の記憶である「眼鏡トンネル」の土地を彼が譲り受けたというのだ(買ったわけじゃなく、もらったみたいである)。今はそこを車が通れるように整備したりしているらしい。なかなか凄い話である。
杉本博司は8×10(エイトバイテン)という大判の銀塩写真機で写真を撮っているらしく、でその銀塩写真はもう消えつつあるようだ。「絶滅写真」という展示のタイトルもそういう意味を含んでいるし、トークイベントでは「国立近代美術館での展示は、銀塩写真の生前葬のつもりでやった」みたいなことも言っていた。映画の中では「写真の終わりに立ち会えて良かった」みたいな発言もあったかな。「銀塩写真」という技術の可能性を最大限に押し広げた上で、その技術や蓄積と共に時代を終えていくというのは、狙って出来るようなことでもないと思うので、なかなか特異なアーティストだなと思う。
で、特異と言えば、彼は写真以外のことも色々やっている。水戸の加工場で指示を出したり(『観念の形』というステンレス製の作品を作っている)、能を演出したり(能の脚本も書くという)、独学で身につけた建築技術で色々作ったりもしているようだ。直島の神社の再建を託された、みたいな話もあって「何でだよ」って思ったが、そこでも「記録に残る以前の日本人の信仰の形」を想像して形にするという、「目に見えないものを物質化する技術」を駆使した”アート”を生み出していた。
というわけで最後に、トークイベントで語られていた「本作を制作するきっかけ」と「その高い評価」の話に触れて終わりにしよう。
テレビマンユニオンにいた監督の中村佑子は元々プロデューサーとして本作に関わる予定だったらしい。同僚の男の子が監督になる予定で2人で企画を練っていて、それで「私が口説いてくる」と言ってギャラリー小柳に足を運んだそうだ(どうやらこのギャラリー小柳のオーナー(?)は元々、NYの杉本博司のスタジオで働いていた人みたいだ)。するとそこに、全然想定していなかったが、杉本博司本人がやってきたという。新木場で丸太を買った帰りだったとかで、テンションが高かったそうだ。でそのまま、「どんな映画にしたいか」みたいな話を1時間ぐらいしていたのだが、そこで杉本博司から「あなたとこうやってお喋りしている感じを撮るんだったらいいよ」と言われたのだそうだ。
もちろんこうなっては、「いや、実は別に監督がいて……」なんて話は出来ない。そこで彼女は会社に戻り、「ごめん、私が監督やるわ」と言って、翌日からカメラを回し始めたという。こういう裏話は面白い。
で、本作は元々映画にする予定ではなく、WOWOWのドキュメンタリー番組として企画されたのだが、WOWOW用の番組を完成させた後、「やっぱりこれはもっと長いものとして届けるべきだ」と思ったようで、それで、今回リバイバル上映をしているシアター・イメージフォーラムに放送前の番組を観てもらい、「長くするなら映画として上映できるよ」と言ってもらえたから映画化が決まったそうだ。
それで、凄いことに、そうやって映画化が決まった後でなんと、WOWOWで放送されたバージョンがエミー賞のノミネートされたのだそうだ。最終5作品まで残ったとかで、凄いものだなと思う。
というわけで、そんな杉本博司のドキュメンタリー映画が、国立近代美術館の「絶滅写真」展の会期中ぐらいは上映される予定らしいので、是非皆さん観に行こう。展示が先でも映画が先でもいいが、僕のように「え? 何なのこの写真?」みたいな混乱を抱きたくなければ映画を先に観てもいいかもしれない。
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