「杉本博司 絶滅写真」(@東京国立近代美術館)は凄まじく良かった!何故「生命感」が漂うのか不思議で仕方ない

現在、東京国立近代美術館で開催中の「杉本博司 絶滅写真」に行ってきたのだが、メチャクチャ良くて驚かされた。かなり衝撃的だったなぁ。ここ最近だと、森美術館でやってる「ロン・ミュエク展」が圧巻だったのだが、それに匹敵するぐらいのインパクトだったし、本当に観に行って良かったなと思う。
正直なところ、写真展はあまり刺さらないことが多い。これまでも写真展にはそれなりに足を運んでいると思うが、森山大道のようなメチャクチャ個性的な写真家か、あるいは、ロバート・キャパの戦場写真やピュリッツァー賞受賞作など、現実をリアルに切り取ったものでもない限り、写真を観てもあまり何も感じられないことが多かったように思う。実際、自分の記憶をさらってみても、「写真展で圧倒された」みたいな経験はちょっと思い出せない。たぶんそんなことはこれまでなかったんじゃないかな。
そういうこともあって、本展「杉本博司 絶滅写真」には驚かされてしまった。まさか写真でここまで衝撃を受けるとは思わなかったなぁ。

しかし、美術展の感想を書く時は常にそうなのだが、何が良かったのかの言語化がとても難しい。本展も、冒頭の<ジオラマ>と呼ばれるシリーズを観た時から「えっ? 何これ?」って感じだったし、その驚きが最後まで続いたという印象なのだが、「じゃあ何が良かったの?」と聞かれると答えるのが本当に難しいなと思う。なにせ、杉本博司の写真は、被写体そのものは正直「大したものじゃない」のだ。例えば、先に挙げた<ジオラマ>は、ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館に展示されている「ジオラマ」を撮った作品である。つまり「模型」だ。にも拘らず、レンズやフィルムを通して杉本博司が写真(「銀塩写真」という技法らしい)に定着させたそれらは、「生命が存在している」かのような臨場感に溢れていた。恐らくだが、自然史博物館にあるジオラマを直接観ても、同じような感覚を抱くことはないだろう。杉本博司が何か魔法を掛けているとしか思えない。

さて、私は普段美術展では「良いと感じた作品」しか撮らないようにしているので、もちろん全作品を写真に収めるなんてことはしない。しかし本展では結局、ほぼ全作品を撮ってしまったと思う。どれも素晴らしかったからだ。また、私は本展を結局3周した。1周目では写真を撮ることを最優先し、2周目でそれぞれの作品を細かく観て、3周目に全体を引きで観ながら好きな作品をまた仔細に眺める、みたいな感じである。普段から2周するようにはしているのだが、森美術館のように回遊しやすい構造でもない限り、3周することはまずない。ホントに、最初から最後まで凄く良かったんだよなぁ。

で、まず興味深かったのは、写真を学んでいた杉本博司がアートの世界に踏み出そうとしたその動機である。本展の最初の説明文にこんな風に書かれていた。
その時、私の心にある野心が芽生えた。写真はアートではないと思われている。よしんばアートだとしてもアート界の二流市民だ。この二流市民を一流市民にしてみせよう。こうして私は写真を媒体として写真を裏切り、現代美術作家として世に出ることを決意した。
本展では最初の方で<ジオラマ><劇場><海景>という、杉本博司のライフワークにもなったシリーズが展示されているのだが、これらは彼の初期の代表作であり、そして確かに「写真」というよりも「アート/現代美術」という印象が強い。まさに自ら宣言した通りの形でアート界に殴り込みをかけたというわけだ。


<ジオラマ>は先述の通り、博物館のジオラマを撮影したものだ。しかしそういう説明は本展にはなく(少なくとも「アメリカ自然史博物館のジオラマを撮影した」みたいな紹介はなかったと思う)、だから私はしばらく、「この写真は一体何?」と混乱していた(音声ガイドでは説明があったのかもしれないが、僕は普段から音声ガイドを全然聞かない)。「写真だ」と主張するには、映し出されている光景が非現実的すぎるからだ。初めは「誰かに原人の格好をしてもらって撮ったんだろうか?」みたいに考えていたのだが、細かく観るとそういう解釈もどうも不自然な感じがあって、「マジでこれ何なん?」とずっと思っていた。


で、ネットで調べてようやく「ジオラマを撮影したものだ」と分かり、一応状況は把握できたのだが、だとすると今度は、これらの写真が放つ「生命感」が不思議に感じられるようになる。「ジオラマがリアルなんだ」と言われればそれまでかもしれないが、写真を観ていると、ただそれだけじゃない何かがあるような気がしてくるのだ。

そういう感覚になったのは、展示の最初の一枚がこの亀の写真だったことも大きかったかもしれない。これが「現実の光景を映していてもおかしくないと感じさせる写真」だったため、余計にその次以降の「原人の写真」が理解不能に感じられたみたいなこともあるだろう。ホント面白いことを考えるものだよなぁと思う。


ちなみに、本展は少し外国人には優しくないかもしれない。説明文の大半が英訳されていないからだ。まあそれも仕方ない部分はあるだろう。というのも、各写真のキャプションに「57577」の短歌の調べで文章が書かれているからだ。恐らくだが、「このニュアンスを英訳するのが難しい」みたいな理由で、ほとんどが日本語の説明のままなんじゃないかなという気がする(僕の勝手な予想に過ぎないが)。

続いては<劇場>のシリーズ。世界中の様々な映画館を撮影したものだそうだ。で、これも本展には詳しい説明がない。ただ、常設展の方にも杉本博司の作品が置かれており、そちらに少し解説があった。このシリーズは、「映画1本を上映している間ずっとシャッターを開きっぱなしにして撮っている」そうで、そのためスクリーン部分だけ白く光って写っているのだそうだ。


これも、ただそれだけと言われればそれだけの作品なのだが、何故か惹きつける力が強く、魅入ってしまった。先の解説には「この写真は一瞬ではなく、上映時間分の時間が詰まっているのだ」みたいなことも書かれていたのだが、そういう知識によって感動が駆動するという感じではなくて、ただ観て「あ、メチャクチャ良い」という風になったのだ。どうしてなのかは分からない。映画館やら古い建物やらに特別な感情は抱いていないし、写真自体もシンプルに「空間を映しているだけ」でしかないのだが、なんか「それだけではない何か」が捉えられているような気がする。でも、それは一体何なんだろう?

で、次が<海景>である。これも観た瞬間に「良いなぁ」ってなる感じがあった。<海景>については、「水平線がちょうど真ん中に来る構図」や「海と空以外何も映っていない構成」、「水墨画を思わせるような世界観」など、「きっとこういう部分を良いと感じてるんだろうな」という要素を挙げられはする。けどやっぱり、「それだけじゃないよな」という感覚もとても強かった。あとそもそもだが、この写真、どこからどう撮っているのか不思議で仕方ない。「海と空以外映らない構図で撮れる陸地を探している」のか「セスナや小型船に乗って撮っている」のか、あるいは全然違うのか。そういうことも分からないままだった。


<海景>にも色んなパターンがあり、「空も海も白くて水平線がほとんど分からない」とか「水平線がかなりぼやけている」などそれぞれの良さがあったのだけど、一番好きなのは下の「夜の海を撮っただろう作品」だ。

他は基本的に「海が黒くて空が白い」という構図なのだが、この作品だけは「夜の空が黒く、月明かりに照らされているのだろう海が白い」という形になっている。色彩的にはやはり「黒の方が重い」ように見えるので、だから他の写真は「重い黒の方が下にある」という自然な印象になるが、黒が上にあると、なんとなく「物理法則に反している」みたいな印象にもなって、それで違和感にも似た感覚になるのかなとも思う。

ちなみに、日曜日ということもありお客さんは結構いたのだが、「ちょうどここだけお客さんがいない」みたいな状況になることもちょいちょいあって、「広い空間を人が映らないように撮る」なんてことも出来た。この写真からは結構、展示の雰囲気が伝わりもするんじゃないかなと思う。

それから、「ボケた建物の写真」が展示されるコーナーに移る(ボケてるのは僕の写真の腕が悪いのではなく、そういう作品なのだ)。これもまた、不思議な感触を与える作品だったなと思う。


見え方としては、「自分の視界の一部分だけがボケている」みたいな印象になるので、「あれ? 自分の視力に何か問題があるのか?」みたいな感覚に一瞬なる。たぶん目というのは無意識の内にピントを合わせようとするんだろうし、でも元々の写真がボケてるわけでどうやったってピントは合わない。その違和感みたいなものが脳内で上手く処理できずに、「なんか変」みたいな感覚として伝わるのかなという感じがした。
僕のような見方は恐らく、杉本博司がこのシリーズを撮った動機みたいなものとは全然違うんだと思う。ただ個人的には、「アートなんか好きに観ればいい」と思ってるし、なので「僕は僕なりにこういう興味深さを感じた」というだけの話である。

で、この次も個人的にはなかなか驚きだった。色んなブランドの服を撮っているのだけど、これも凄く良い風に感じられたんだよなぁ。


でもやっぱり、「これの何が良いわけ?」とも思う。僕はファッションには全然興味がないし、だから「この服のシルエットが……」「この素材感が……」みたいに感じているわけでは全然ない。服のことなんかさっぱり分からないのだ。でも、凄く良い。どうしてなのか分からないが、凄く惹きつけられるんだよなぁ。


で、さらに驚きなのが、写真を観たら分かると思うが、このシリーズは「服を着た女性」を撮っているのではなく「マネキン」を撮っているに過ぎないのだ。にも拘らず、僕にはこの写真から「生命感」みたいなものが感じられる。「人ならざるもの」を写しているのに、そこに「生きている人の雰囲気」みたいなものが浮かび上がるような気がするのだ。これもホントに不思議なポイントである。何でそんな風に感じるんだろうなぁ。


で、その驚きは、続く「人物写真」にも引き継がれる。ダイアナ妃や昭和天皇など、「えっ? そんな人の写真を撮ってるの?」と感じる被写体ばかりなのだが、その印象は間違いだ。

というのも、この一連の写真群にはナポレオンもいるのである。さすがにナポレオンの写真は撮れないだろう。ではどういうことなかというと、これらはすべて蝋人形らしいのだ。

という事実もしばらく分かってはいなかったので、僕は普通に「本人を映したんだろう」と思いながら観ていた。だから、蝋人形だと知って本当にビックリしたのである。こちらもまた「人ならざるもの」を写しているにも拘らず、「生命感」がとても強い。もちろん<ジオラマ>と同様、蝋人形が凄くリアルであることは確かだろう。しかしやはり、これらの蝋人形を実際に生で見た時よりも、杉本博司の写真に捉えられている方が、よりリアルさが強いんじゃないかという気がする。ホントに、こういう「生命感」がどういう過程で写真に宿るのかは謎すぎるなと思う。ちなみに杉本博司は「自分の写真を撮ってほしい」みたいな依頼をされることもあるようだが、その際は、「死んで蝋人形になってからまた声を掛けて下さい」と返すのだそうだ。これもまた凄い話だなと思う。



その後は、「放電の様子」「光の分解」「暗闇を映し出すためのロウソク」などを捉えたものが続き、展示は終わる。「写真家として『光』の探求は重要」という認識があるようで、それでこういう被写体も撮っているのだそうだ。

という感じで企画展の方は終わるのだが、常設展の方にも杉本博司の展示コーナーが設けられていた。そしてそこには、杉本博司がこれから撮ろうと考えている被写体について、構図をどうするか、どう現像するかなどの「設計図」を記したノートも展示されている。
で、普通はショーケースの中にあって触れないと思うのだが、ここでは実際にページをめくってOKなノートも展示されていて、凄く良いなと思う。



何が書かれているのかはよく分からないが、事前にかなり詳細な検討がなされていることは伝わってくるし、こういう「作家の頭の中」が垣間見える展示はメチャクチャ良いなと感じた。美術展には色々と足を運ぶが、こういう「触ってOK」みたいなものはなかなかないので、企画展の後で常設展の方にも行ってみるといいだろう(企画展のチケットを買えば常設展にもそのまま入れる)。
というわけで、メチャクチャ良い展示だった。冒頭でも書いたが、少し前に行った「ロン・ミュエク展」も大当たりだったし、あるいはそこまでのレベルではないものの、「マルタン・マルジェラ展」「シュルレアリスム展」「量子力学の展示」もかなり良かったので、今年は当たりの年だなと思う。
美術展は「言語化が難しい」ので、物事を割と頭でっかちに言葉で捉えようとしがちな僕にとっては、「何だかよく分かんないけどすげぇ良い」っていうアホみたいな感覚になれる状況がとても良かったりする。「言語化するのが好きだからこそ、『言語化できないな』と感じる対象に出会いたい」という欲求を強く持っているとも言えるだろう。そういう意味でも美術展は良いし、本展「杉本博司 絶滅写真」も最高だった。マジでこれは行って良かったなぁ。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートいただけると励みになります!