【映画】「ぼくの名前はラワン」感想・レビュー・解説

とても静かなドキュメンタリー映画だった。ほとんどが、手話のシーンだからだ。音声は、あまり出てこない。両親や兄のコメントが時々出てくるぐらいだ。

ラワン少年は、イラクで生まれた。公式HPを見るまでちゃんと理解していなかったが、彼の一家はクルド人らしい。そして、ラワンは生まれつき耳が聴こえない重度聴覚障害者だそうだ。

イラクでの生活は酷いものだった。ラワンは基本的に、ずっといじめられていたのだ。理由は「みんなと違うから」。学校も、彼の教育を諦め、「こういうやつは家から出すな」と言われたという。イラクにはろう者に対応する仕組みが存在しないのか(あるいは、彼らが住んでいた地域が田舎でそういう情報にアクセス出来なかったのか)はよく分からないが、とにかく一家は、「イラクでの生活はラワンにとって何もプラスにならない」と判断。彼らはイラクを捨て、難民として新天地を目指し始める。

そうしてたどり着いたのがイギリスの王立ダービーろう学校だった。そしてラワンはここで「言葉」を手に入れた。「手話」である。

それまで手話の存在を知らなかったラワンは、自分の意志を他者に伝える方法がなかった。映画冒頭では、ラワンは発話を練習する音声が流れるが、相当上手く行っていなかった。そもそもラワンの両親が、「口に出しなさい」という教育をしていたそうで(彼らもまた、「周りと違わないように」という理由からそうしていたそうだ)、しかし生まれつきの重度聴覚障害者であるラワンには恐らく、喋れるようになるまでは相当時間が必要だっただろうし、そうなれたとしてもかなり不自由な発話だっただろうと思う。

しかしラワンはイギリス手話をすぐに習得する。すると、それまでの姿がウソだったみたいに、彼は活き活きと喋り、友達と戯れ、楽しそうな姿を見せるようになった。結果として、イギリスにやってきたことは大成功だったというわけだ。

しかしそんな彼らに地獄のような通達が届く。内務省から国外退去命令が下されてしまったのだ……。

というような話です。

本作を観ながらまず凄く不思議だったのは、「ドキュメンタリーの制作陣は一体、ラワンの情報をどこで仕入れて密着を決めたのか」ということだった。本作では、王立ダービーろう学校全面協力の元撮影が行われているようだが、「ラワンが全然手話を扱えない頃の映像」もあるので、ほぼ入学直後ぐらいから密着しているみたいな感じじゃないかと思う。「国外退去命令を受けたことがメディアで報じられて知った」というなら全然分かりやすいが、恐らくそういうことではない。そうなるずっと以前から密着しているのだ。

言い方は悪いが、本作は割とドラマティックな展開のあるドキュメンタリー映画なわけで(国外退去命令を受けるなんてまさにその1つだろう)、しかし当然、密着を始めた当初にそんな展開になることは分からなかったはずで、「そんな状況でよく密着を決断したな」と思う。しかも、公式HPによると、ラワンに4年も密着していたそうだ。これも言い方はよくないだろうが、制作陣からすれば「賭けに勝った」みたいな感じもあるかなと思う。

さて、僕は少し前に『みんな、おしゃべり!』という映画を観た。これがなんと、「ろう者とクルド人のコミュニケーション」という、本作『ぼくの名前はラワン』にちょっと通じるような物語だったのだ。そして、その『みんな、おしゃべり!』の中で印象的だったのが、「手話も『言語グループ』に入れてくれ」という話だった。

これだけだとよく分からないだろう。『みんな、おしゃべり!』は、「外国人や障害者に商店街の空き店舗を活用してもらう」という自治体のプロジェクトが動いている町での物語だった。そしてそのプロジェクトでは、「言語」「障害」など4つの区分がなされていて、「ろう者」は「障害」に分類されていたのだ(ちなみに、クルド人を含む外国人は「言語」である)。

一見、何の問題もなさそうだが、ろう者のグループは担当者に、「自分たちは『手話』という言語で繋がってるんだから『言語』のグループに入れてほしい」と訴えていて、「なるほどなぁ」と感じさせられた。

そして本作『ぼくの名前はラワン』を観て、同じように感じる場面があった。これは実際の話だが、イギリスで2022年3月18日にBSL法が成立したという話が出てくるのだ。どうやらこれは「イギリス手話を国内の第一言語に認定する」という話らしい。「第一言語に認定される」とどうなるのかよく分からないが、作中でラワンが「権利を得られるのは聴者ばっかり」と言っている場面があったので、恐らく「第一言語に認定される」ことでなにがしかの権利が保護されるのだと思う。そしてそこに、正式に「手話」が含まれたというわけだ。

これもやはり、「自分たちは言語で繋がっているんだ」みたいな気持ちが背景にあるように思うし、「手話」というのがろう者にとって、単なる「コミュニケーションツール」以上の存在感を含んでいるんだろうなと感じさせるものだった。

そしてろう者と聴者のそんなすれ違いは、既にざっと触れたことではあるが、「両親がラワンに喋らせようとしていた」という点にも表れていたように思う。イギリスに来て、ラワンが手話を習得してからも、どうやら両親は手話を学ぼうとしなかったようだ(最終的には学んでいたが)。イラクでの手話の捉えられ方とか、両親の固有の価値観など色んな要素が入り混じった話だとは思うが、とにかく両親は「聴者の理屈で物事を考えていた」と言っていいんじゃないかと思う。ラワンはある場面で、「僕だけが家族の会話に入れない」と話していた。

しかし、ラワンには、「言葉を発して話すこと」は向いていなかった。そう言えば、ちょっと違うパターンではあるが、『みんな、おしゃべり!』にも似たような人物が出てきたなぁ。こちらは、「どうして手話を使わないんだ」と怒られる少年なのだが、感覚は近いものがあると思う。「自分の表現方法としてしっくりこない」みたいな感覚に従っていたのだろう。

ラワンは、イラクにいる頃は自分のことを「ポンコツ」だと思っていたと言っていた。まあそう感じるのも当然だろう。しかし、手話を自在に使いこなすようになって、「僕でいるために手話は必要」という感覚にまでなったようだ。ホント、手話との出会いは僥倖だったと言っていいだろう。

ちなみに、凄く良かったなと思うのが、ラワンに対する国外退去命令が出された後のダービーの街の住民の反応だ。学校を先頭に、彼らは国に抗議したり意見書を提出してくれたりしたそうだ。日本とイギリスで難民事情がどの程度違って、どの程度同じなのかよく知らないが、「世界有数の難民非受入国」である日本も、もうちょっと「共生」的な方向に行った方がいいと思うんだけどなぁ、と個人的には思う(とはいえこれは、自分の周りに難民の存在を実感することがないからこそ言えることかもしれないが)。

というわけで、基本的には少年に密着し続ける作品で、5歳でイギリスにやってきたラワン少年の莫大な成長が垣間見える作品だ。メチャクチャ面白いというわけではないが、なかなか興味深く観られる映画ではないかと思う。


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