チャッピー(ChatGPT)は「電気回路の親友」となり得るか?
ChatGPTに「チャッピー」なんて名前がついて、まるで「親しい相談相手」みたいな存在になるなんてホントに思わなかった。そして、そういう世の中に対しては「そこはかとなく嫌な感じ」を抱いてもいる。
さて、とはいえ僕は、「相談相手としてのチャッピー」というのは凄く良い存在だなとは思う。そもそも「相談事は人にしにくい」という人もいるだろうし、生成AIだから話せるということもあるだろう。現状、人間と生成AIには利害関係はないので(今後は分からないが)、人間の返答よりも素直に受け取れるかもしれない。
また、チャッピーに相談するのってなんとなく「占い」的な機能もあるなと思う。人に相談する場合って結局、「人に言われたことに従う」みたいな印象になるが、占いというのは「占星術ではそうなっている」「タロットがそう告げている」など「占い師本人の意見ではない」という形で提示される。占い師は単なる「依り代」みたいなもので、「別の誰かの意志を私の口を通じて伝えています」というスタンスにすぎないのだ。そしてチャッピーにもそういう雰囲気がある気がする。「人類の叡智を私(チャッピー)の口を通じて伝えています」みたいな雰囲気なので、「占い」に親和性がある人はチャッピーにも相談しやすいかなと思う。
でも、僕はチャッピーには相談したくないなぁ、と感じてしまう。
まず大前提として、僕は「人間に面白いと思ってもらうため」に生きている。それは「相談」でも同じだ(僕はあまり人に相談したりしないが)。だからそもそも、「生成AIとのやり取り」には満足できない。情報を得るためには使うが、「やり取りそのもの」に興味を持てることはきっとないだろう。
また僕はそもそも、「あなたはどうしてそう思うのか?」に興味がある。「返答そのもの」よりも「そう考える理由」が知りたいのだ。しかし、少なくとも現状では「生成AIは『考える』ことが出来ない」はずなので、チャッピーに何を聞いても「チャッピー自身の思考」を知ることは出来ない(ただ最近は、生成AIが数学の未解決問題を証明したみたいな話もあるので、状況は変わるかもしれないが)。なので今のところは、チャッピーが出力する「回答」に特段の興味はないし、何か相談したりもしないというわけだ。
さて、一応こんな風に「チャッピーに相談したくない理由」を挙げられはするのだが、ただ僕の中には、そういうこととは別に「チャッピーにはなんか相談したくないんだよなぁ」という漠然とした感覚がある。そして、それって何なんだろうなぁ、と思う。
シンプルに、「『人間だから良い』というのは単なる慣れの問題なのかな?」という気もする。生まれた時から生成AIが存在するような世代にはもう、「チャッピーと喋る方が普通」みたいなことになるのかもしれない。人間だって生成AIだって「思考のプロセス」そのものは可視化されないわけだから、「出力の質」みたいなものは本質的には変わらないだろう。だとすればやはり、受け取る側の感覚でしかないのか。
ただ、もっと広い話をするのなら、「『チャッピーとの会話で満足できてしまう人』が増えていく社会は嫌だな」とは思う。そういう社会はシンプルに「他者との関係がますます築きにくくなっていく」ように思うからだ。「チャッピーと喋ってる方がラクだよね」みたいな感覚が広まることで、「人間としての面白さ」みたいなものがどんどん削られていくような感じもするし、それは「人間の面白さ」に興味がある僕にとってはとても嫌な世界に感じられる。
その内、「8割ぐらいは生成AIだけど、2割は人間が返答してます」みたいな、チューリングテストみたいな「ハイブリッド生成AI」が出てきたりしないかな。まあしないだろうけど、そういう感じで無理矢理にでも「人間」を混ぜ込んでいかないと、「人間の面白さ」みたいなものがどんどん無くなっちゃいそうで嫌だなと思う。
でもこういう「生成AIを人格的に捉えて相談する」みたいなのって、欧米もあるのかなぁ。僕は昔、「欧米は一神教だから『知性を持つ機械』みたいな存在は受け入れがたいが、日本は鉄腕アトムやドラえもんなど『知性を持つロボット』に元々親和性があるから、AIに対する拒絶反応が世界の中でもかなり低い国」みたいな話を聞いたことがある。日本は「擬人化文化」も盛んだし、だから「チャッピー=相談相手」みたいな構図も特段の抵抗なく受け入れられるんだと思うが、欧米の人がどんな感覚なのかはとても気になる。
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