【映画】「BAD GENIUS/バッド・ジーニアス」感想・レビュー・解説

これはなかなか面白い物語だった。「カンニング」という、昔からいくらでもある物語のネタだけど、ほぼそれ一本だけで勝負している感じも潔いし、さらに、全体を通して「(特にアメリカの凄まじい)格差社会」の現実が映し出されているのも現代的だなと思う。

本作の冒頭には、サー・トマス・モアという人物の言葉(書籍からの引用?)が表示される。大体、次のような文章だった。

【高潔で利を得られるのなら、誰もが高潔になるだろう】

つまり、「高潔でいたって利益にはならないんだから、誰も高潔なんかでいるはずがない」という主張である。そしてまさに本作では、そのような現実が描かれていると言えるだろう。

主人公は、アメリカに暮らすアジア人のリン。コインランドリーを営む父の手伝いをしなければならないぐらい貧しい家庭に育ったのだが、彼女はまさに天才だった。中学では全科目学年トップ、数学の大会では1位を取り、陸上とクロスカントリーで表彰もされている。さらにピアノも上手いのだ。父親はそんな娘をMITに入れるべく、有名な私立高校であるエクストン高校への進学を希望しているのだが、なんと授業料は年間4万ドル(制服や教科書など諸々の経費も考えると5万ドル)である。とてもじゃないが払える額ではない。しかしエクストン高校の校長はリンの才能に惚れ込み、授業料免除の特別待遇で入学を許可してくれた。

そんなリンの案内役に指名されたのがグレースである。彼女は落第ギリギリの劣等生なのだが、女優志望であり、評定が3.0以上ないと希望するオーディションも受けられない。そこでリンから勉強を教わることにしたのだが、その後行われたテストではグレースの苦手分野ばかり出題され、絶体絶命だった。しかしリンは、試験中に対策を考え、どうにかグレースに試験の答えを教えてあげることに成功したのだ。

その話を聞きつけて興味を抱いたのが、グレースの恋人であるパットである。彼の発案で「カンニング希望者から金を募り、リンが利益を得られる仕組み」を作り出した。リンもまた、彼女らしい独創的なアイデアでカンニングを行い、多くの生徒を合格させることに成功した。

しかしやはりそう上手くはいかず、このカンニングは白日の下に晒されることになった。しかしその後、再びグレースからの連絡によって、一層レベルの高い、そして一層狂気的な話が舞い込み、リンは再び壮大なカンニング計画を実行に移すことにしたのだが……。

というような話です。

さて、本当に考えることの多い作品だなと思う。もちろん「カンニングはいけないことだ」と一刀両断するのは簡単だけど、本作『バッド・ジーニアス』の特異な点は、「カンニングをする側」ではなく「させる側」が主人公という点であり、ここには色々と考えるべきポイントがあるなと思う。

まず、僕の基本的な発想は、「どんなに悪法であっても、それがルールであるならば従わなければならない」である。これが僕の出発点というわけだ。ただここには一点重要な前提がある。それは、「ルールを変更する機会があり、そのプロセスが明示されていること」である。つまり、「ルールを変えられるんだったら、変える努力をしなければならない」と考えているのである。だから僕は、例えば「独裁国家でルールを守る必要はない」と思っている。ルールを変更する機会が多くの人は与えられていないからだ。あくまでも、「ルールは変えられるし、変え方も分かる」というのが大前提だ。

さて、この「悪法でも法は法」というのを大前提としつつ、同時に僕はこんな風にも思う。それは、「ルールは弱い立場の人間を守るものであるべきだ」である。世の中には様々な意味で強者・弱者がいるわけだが、強者は基本的に「ルールによって守られる必要はない」と僕には感じられる。もちろん、強者だろうが弱者だろうが「人間は皆平等だ」と思っているし、人間として社会に生きている以上、ある程度は誰もが同じ権利を有するべきだと思っているが、それでもやはり、「弱者が救われず、強者ばかりが優遇されるようなルール」は不必要に感じられる。これは僕の価値観であり、反論はあると思うが、僕はそう考えている。

そして、だから僕は、「弱者が救われず、強者ばかりが優遇されるようなルール」を弱者が破ることは黙認されてもいいんじゃないか、と考えている。確かに、弱者もルールを変える努力をすべきなのだが、資本や人脈など色んな意味で太刀打ち出来ない相手と戦わざるを得なくなるわけで、その労力を弱者側が負わなければならないのも何かおかしな気がする。だから僕は、そういう「ルール破り」は、僕個人としては黙認したいと思っている。

というのが、本作の内容とは関係ない、僕が抱いている「ルール」に対する基本的な考え方である。

では、それを本作に当てはめてみるとどうなるのか。しかしこれがなかなか難しい。そもそもだが、「カンニングを禁止するルール」は全然悪法じゃないし(当たり前だ)、また、リンたち学生は学校側に「カンニングを認めてくれ」と訴えることも可能(つまり「機会はある」)と言えるだろう(もちろん、そんな訴えを聞く学校は存在しないと思うが)。

しかも「弱者が救われず、強者ばかりが優遇されるようなルール」という話も、微妙にリンには当てはまらない。というのもリンは、有名私立高校に授業料無料で入学できているからだ。確かにリンは「弱者側」にいるかもしれないが、ただ、その才能は正しく認められているし、全然「救われている」のだ。

だから、このように考えると、リンの「カンニングへの加担」という行為は、なかなか擁護が難しくなる。

ただ、本作で描かれているのはもっと広い範囲の話なんだよなぁ、とも思う。つまり、「教育を含めたあらゆる『機会』が経済的な『格差』によって固定されている」みたいなことである。金があれば塾に通え、親のコネがあれば良い学校に行ける。みたいな状況はやはり実際に存在するわけだし、そういう社会構造であればあるほど、本来公正公平なはずの「試験一発勝負」みたいな状況すら、弱者では逆転が難しい勝負になってしまう。

まあそれは、僕らが資本主義社会に生きている以上、ある程度は許容するしかない状況ではあるのだが、しかし、個人的には「許容したくないな」という感覚は強く抱かされるし、実際に許容できないレベルにまで格差が広がりすぎているようにも感じている。

そして本作でリンは、「そんな社会」に対して挑戦状を叩きつけているのである。

ただ、「面白い」と表現していいか分からないが、そんなリンが取った手段が、「金持ちの息子たちをカンニングによって試験で良い点を取らせる」だったのだから、実に皮肉的で面白いなと思う。なにせ、それこそまさに「経済的な『格差』による『機会』の差」を広げる方向に働く行為だからだ。リン個人としてはある程度のプラスの利益を得られるだろうが、世の中全体のことを考えれば、リンの行為は、リンのような立場の人間にとってマイナスの効果を生むようなものでしかないだろう。

もちろん、リンだってそんなことは理解しているはずだ。そして、それを理解しながら彼女は、自分の「夢」のためにカンニングに加担せざるを得なかった。リンは、僕が元々抱いていた価値観に照らせば「全然許容できない存在」なのだが、しかし本作を観て僕は、リンを責める気にはなれない。この矛盾が、僕の中でぐるぐるしていて、だから「あー、なんとも難しい問題だな」という感覚が凄く強くなっているのだと思う。

そして、そんな風に考えながら映画を観ていた僕としては、本作のラストはかなり良いものだった。父親がリンに「正しいと思うことを」とアドバイスするのだが、リンはまさにその通りのことをしていると言っていいだろう。この結末を含めた上でリンの行為を総合的に捉えれば、「結果論ではあるが、リンは良いことをした」と言えると思う。そんな風に感じられるラストで良かったなと思う。

「どんなやり方を取ろうが、結果さえ残せればいい」みたいな考え方をする人間は世の中にそれなりにいるだろうし、それこそ「強者」側の人間には、そんなやり方によって這い上がっていった人もいるだろうと思う。リンがある場面で受けた「驚きの提案」をした人物も、まさに「手段は問わない」とはっきり口にしていた。

そしてやはり僕は、強者がそんなやり方を取ることは許容しにくい。あまりに理想論的な話だと自分でも思うが、「既に様々なものを手に入れている人」は「ルールに沿った真っ当なやり方」で勝負してほしいなと思う。

一方で、リンやバンクのような人間(バンクはリンよりもさらに厳しい状況にいると言っていいだろう)が「どんなやり方を取ろうが、結果さえ残せればいい」みたいに考えてしまうことは、仕方ない気がしてしまう。強者がすべてを奪っていくみたいな世の中でその才能を発揮しようとしたら、ルールを蹴散らすぐらいのことをやらなければ全然対抗出来ないだろう。

正直僕の直観は、「こんな風には考えたくないんだけどな」と告げている。やはりベースとしては「ルールを守るべきだ」と考えているからである。でもなぁ、リンやバンクみたいな人間がちゃんと真っ当に報われる世の中であってほしいなと思うし、同時に、パットみたいな人間が「努力のしなさ」に比例するように報われない世の中であってほしいとも思ってしまう。

なんてことを色々と考えさせられた。

さて、ここまでほぼ触れてこなかったが、僕の文章をここまで読んでくれている方には結構大きな疑問が残っているんじゃないかと思う。「リンがカンニングに加担する動機」である。おさらいするが、リンは有名私立高校に授業料免除で入学が許されており、校長からのお気入りとして校内で人気者である。成績ももちろん、トップだ。校長の友人にMITの教授がいるらしく、MIT入学の話もしてくれると約束してくれた。傍目にはメチャクチャ恵まれているように映るだろうし、だからこそ、「カンニングへの加担」なんていう危険な橋を渡らなきゃいけない動機が想像出来ないんじゃないかと思う。

この辺り、本作ではなかなか上手く設定がしてあって、「なるほど、そういう事情でリンはカンニングに加担せざるを得なかったのか」と感じられると思う(ここでは触れないが)。リンのこの動機は、本来的には「存在しなくても良かったはず」のものであり、だから、「物語である」という事実を無視してシンプルに「リンの人生」と捉えた場合には、その点がとても残念だったなと思う。何かが少し違っていれば、リンにはカンニングに加担する動機が存在しなかったのだから。この描写にも、色々と考えさせられるんじゃないかと思う。

また本作は、なかなか構成が面白い。冒頭からしばらく、「主要な登場人物たちが弁明をするシーン」がちょいちょい挟み込まれるのだ。カンニングがバレて教師なのか警察なのかから尋問されているみたいな場面である。このシーンの意味は後半で理解できるし、しかも、その意味が明らかになると同時に、「えっ、あれってああだったの?」みたいな事実も明らかになるわけで、そのような展開のさせ方も上手かったなと思う。しかしホント、強者のクソさにはイライラさせられるぜ。

というわけで、色んな点で考えさせられる物語であり、と同時に、エンタメとしてもなかなか面白く、結構満足な鑑賞体験だった。

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