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ズーカラデルを好きな人がもっと増えればいい [北海道発バンド/10周年]

大人になってから、大ファンと公言できるくらい好きだと思えるバンドに出会えることがめっきり減った。そんな折、少し前にズーカラデルという札幌発のスリーピースバンドを知った。きっかけはダダリオという曲。

今はサービス終了してしまったのだけど、当時「placy」という、居る場所や気持ちに合った音楽をフレンドとシェアするSNSがあり、とても合うと思う人がこの曲を選んでいた。

とても素晴らしい日々だ
はりぼてみたいだ
誰もいない部屋で今日も目が冴える

ダダリオ

せつなくキャッチーなメロディと、このフレーズにぎくっとして背筋が冷たくなった。憂鬱でやさしくて、長雨前後の空気感。忘れられない曲になった。

それから聴く曲聴く曲とても良くて、全曲好きになる勢いではまっている。Apple musicによると、私は昨年4,397minutesつまり73時間ズーカラデルを聴いたらしい。

今年で10周年とのことで、10周年特設サイトがオープンしている。これから知る人がもっと増えていくだろうし、ズーカラデル人口が増えたらもっと息がしやすい世界になる気がするので、私が思うズーカラデルの好きなところを書いていく。

人と人は分かり合えない。そこからの話

ズーカラデルの歌詞は、「人同士の分かり合えなさ」や「すれ違い」を悲劇的にドラマチックに拡大して書いたりしないところが好きだ。悲しくても切なくてもリアクションは特に無でも、すんなり日常茶飯事にそれを描く。

人との違いを痛いほど突きつけられてきた自分としては、「人は違う」ことを前提に、違うなら違うでほっといてくれるやさしさが助かるし、お互いが開く加減により人生の一部を交差させていける感じに希望が見出せる。

心理的なパーソナルスペースを尊重しながら探り探り信号を出し合うコミュニケーション。音楽からそれを感じるズーカラデルというひとつの人格には深い信頼を寄せられる。

あなたとコンビになりたいわって思って言葉を探す
あなたの言いたい言葉をなんとか聞こうと耳を澄ます
時間をかけて近づいたってふたりはひとつじゃない
君の悲しさも僕はわからずにいる
君の美しさもちゃんと伝えられずにいる

ころがる

歌詞のなかで言葉を探す、選び直す

言葉を選びながら会話をするくらいの頻度で、ズーカラデルの歌詞の中では発した言葉を撤回したり定義しなおしたり、程度を軌道修正しているしぐさがある。なんだか誠実だと感じる。

かと思いきや、線は引き直すのに余計な一言は入ったまんまで、「なんだよ」と思う。人間的だと感じる。それもまあ若干誠実かもしれない。

生きていると、「言っておけばいいものを」と「言わせておけばいいものを」という場面にしょっちゅう出くわす。それをなぜか拾ってきて歌詞に置いてくるというか。

そして、迷って言葉にもならず自分が捨てたものを歌詞として飾られると、ワッと感情が溢れ出てしまう。ほんとは悔しかったな、とかほんとはもっと嬉しかったよな、とかほんとは泣きたかったよな、とか。

実は私はこの記事を下書きに入れてから、半年以上文章を増やしたり減らしたりして、「たくさんある曲のこの部分が」と部分的に指し示す構成をしていた。

しかし正直なところ、聴けば聴くほどあらゆる曲や制作物からこのエッセンス(前章で書いた「分かり合えなさ」も含め)を感じ取ってしまって、なんかもう「私はズーカラデルの曲を聴いてこんなメッセージを受け取っています」という以上のことが言えなくなってしまった。

私のアンテナが、ズーカラデルを受信して勝手にそう変換して、そのプロセスの先で私のこころは助かっています。

簡単なことが難しい
流行りの論理はピンとこない
周回遅れで動けない夜も 空に星がきれい

多分 明るい人にはなれない
別に暗いやつって訳でもない
とても一言じゃ表せないが
誰も聞いちゃいない

正しかった人

「明るい曲」というより「明るくやってく曲」

不器用で朴訥でやさしいズーカラデルのミドルテンポの楽曲はほんとうにずっしりすごい。良いとこの野菜のようだ。しかし、曲調にバリエーションがあり、どんどん新しい一面が見れるのもまたズーカラデルの魅力。

どんな曲調もズーカラデルの良さというところにすべて収まってしまうような。こんなのも聴いてみたかったと思わせる力があるような。一貫して「らしさ」があり、一本筋通っているように感じる。良い野菜のようだと例えたけど味噌汁のほうが近いかもしれない。

ズーカラデルにはアップテンポの曲もたくさんあるが、その中でも明るい曲は「明るい曲」というより「明るくやってく曲」のように聞こえる。努力の明るさがある。

自分のこと考えて、あなたのことを考えて、あの人のことを考えて、社会のことを考えて、憂鬱になって。その果てに、「明るくやっていく」。

明るくしようとすること、それは踏ん張りだ。抵抗だ。暗さや痛みを認めながら明るくいることを諦めないズーカラデルに呼応して、もうちょっとだけ頑張ろうという気持ちになる。

どうか どうか すっごい大冒険の果てに
真実の愛とか掴んで見せて 私の代わりに
ベイビー この通り もう散々なんだよ現在
画面の中のスター 戦争と恋とため息と音楽

バードマン

応援したくなる人々

ズーカラデルの、ライブの良さも含めて、細やかな発信・制作・世界観のコントロール、表現者として尊敬している。何かあったとしたら、何かあったんだろうなと思うくらい、この人たちを信用している。このお三方が、同僚だったらいいなといつも思っている。

自分は詳しい訳ではないが、ズーカラデルの演奏も好きだ。ボーカル/ギターの吉田さんの他メンバーはベースの鷲見さん、ドラムの山岸さんで構成されているスリーピスバンド。歌もリズム隊もめちゃくちゃ安定していて、ライブが本当にかっこいいのだ。安心して音楽に身を委ねられる。

▼ベースならこれが好き
どの曲もベースにうっとりしているが、この曲は特にかっこいい、後半しぬ。

▼ドラムならこれが好き
山岸さんの軽快なスネアが大好きで、MV中でドラムがセンターでよく見えるからこの曲を選んだ。


おわりに

中高生で出会いたかったと思う一方、今ほどズーカラデルの歌詞が痛いほど沁みることはあるだろうかとも思う。肉に下味をつける前に穴を開けておくのと一緒で、心に小さい傷だらけの今のほうがしみるのかもしれない。(ズーカラデルのことを考えるとなぜか食べ物のことばかり考えてしまうな)

ほんとはもっと書きたい好きなところがいっぱいある。がいくらでも書けてしまうからここで終わる。

ぜひ曲を聴いてほしい。


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