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村上心、若干縮んだ。

コンビニで燻製チーズを買った。
燻製にすると食べ物たちは若干縮む。縮むんだ。伸びはしない。この真理、嫌いじゃない。少し笑える。いきなりチーズが年取ったみたいで。
たとえば、こういうことだ。縮むという字を燻製にしたら、宿になるようなもんだと、心は思う。
自分の名前の村上心という名前も、いっそ燻製にしてしまいたい。村上という苗字を持ちながらモノを書いていると、それだけですみませんという気持ちになるからだ。レジはいつものパートのおばさんだった。
燻製チーズ食べたことありますか?って声をかけられた。
はじめてですって答えたらすぐにスーパーで薬剤師が現れるみたいに一人の人が現われた。
お召し上がりになった後、若干声がですね若返るそうなんですよって、去っていった。夜、燻製チーズを食べた。ワインを飲もうとしたらその匂いを受け付けなかった。
まじゅい。そんな声がもれた。
声からは燻製ミルクの匂いまでしていた。鏡をみた。そこには赤ちゃんの頃の村上心のぼくがそこにいた。
マジか。マジか。って叫んでるのに。うまく声にできない。
まじゅか。まじゅか。としか聞こえなかった。
ぺたんとフローリングに座っていた。すっかりそれまでのぼくは失われていた。

それからどれぐらいかの時間が経ったんだろう。

ぼくは昭和の時代をそれから生きた。あの頃大好きな人をひとりだけ葬った。葬ったんじゃない、あれは囲ったのだ。郷田という男だった。

ひとはひとを好きになりすぎると葬りたくなるのだ。でもぼくは囲うことにした。

「そこに好きなものを入れておくといいよ、自分のすきなものがわかるから、大きなカゴをひとつ用意すればいいんだよ」

郷田は誰かの受け売りらしくその言葉が好きだった。

彼の部屋には透明のガラスケースの中に詰まっているたくさんのエアメールがあって、それがもう逢えなくなってしまった恋人のものだと知って、ぼくはひりひりした。この名付けられない感情は、それがいつか静まりそうにはなかった。

郷田は古い雑貨店のような<みらーじゅ雑貨店>を営んでいる。色とりどりの異国のスタンプが、押してある色褪せた夥しいほどのポストカード。そのスタンプは知らない国の誰かの顔写真みたいに見えた。無造作にガラスの中でひしめきあっているむきだしの手紙を見ていたら、彼がささやかな気持ちを大事にしながら、ていねいに過ごしている日常を壊してたみたくなったのだ。

郷田が云ったように、竹で編んだようなカゴに子供の頃好きだったレースをしまった。レースを、試しに入れてみたよって話した時、郷田は「レースって、どこか知らない国の線路みたいに見えるねって」昔、彼女が云ったことを思い出すよってうれしそうに話し始めた。話はそれだけで終わったけど、どこか遠い場所に思いを馳せている視線にさえ嫉妬した。
帰ってから、ライティングビューローのふたを開けて、そのカゴの中をじっくり見てみる。
細編み、長編み、フラワーモチーフの線路を想像していたら、気持ちが沈んだ。郷田の彼女だった誰かを想像していたら、何かが加速したかのように、暴力的な気持ちが芽生えた。ほんとうはこんなもの好きじゃなかったって、レースは全部ベランダからなるべく遠くに放り投げて捨てた。

「行きどまりがあるから、安心していられる世界。たとえば、器の中が果てしなかったら、どうしていいかわからなくて、海の中に潜ったみたいな所在投げな気分に駆られてしまうだろう」
郷田はいつかそう云ったのだ。 「時折、縦も横も高さも手に触れられるぐらい、ちゃんと限りのあることを、まっすぐに求めてしまいたくなることがある。手の届く範囲になにもかもが、収まっている世界って、いいよな」って。

 思えばじぶんが縮んでしまったあの燻製チーズを食べた時のことを思い出していた。

 あの頃まじゅかとか言ってたけど、ちょっとだけ甘美でもあった。  曖昧に返事のような返事じゃないような声を漏らしたけど、郷田はそういう世界を望んでいると視線で語った。
その眼差しはぼくをみているようで見ていなかった。 
ぼくは郷田蜃気楼が好きだったから、望みを叶えてあげたいと思った。  
クローゼットの中から星の砂や貝殻がちいさな筒状につめられた壜がいくつか出てきた。 
壜の中にあるものが好きだった。
たとえば、むきだしの星の砂や貝殻、ビー玉だったらもっとぞんざいに扱っていただろう。硝子の外側にははかりしれない世界が広がっているのに、この内側はどこかで均衡が保たれている。  
外の世界は果てしないけれど、こっちはまだ限界が目の中で捉えている安堵感が壜の外と内にはあるような気がする。 でも、ついうっかり指をすべらせてしまえば、たぶん外と内を隔てていた硝子の壁はこなごなになって、中に集っていたものたちはバランスを一気に崩してしまう。
身辺整理のつもりで、郷田が云ったことを忠実に守ろうと思った。

「そこに、好きなものを入れておくといいよ。ほんとうに好きなものがわかるから」
ぼくは星の砂の入っていた硝子の器にちいさくなった郷田蜃気楼を、そっと入れたくなって、あのコンビニへ出かけた。

 燻製チーズを買った。パッケージが新しくなっていたけどリニューアルされてロングセラーになっていた。 そしてそれを夕食に差し出した。一口食べた後、郷田はなぜか赤ちゃんではなくて、郷田のまま小さくなろうとしていた。

 燻製チーズはあの頃とは違っていた。コンビニの商品も年々進化している証拠だった。

 それは突然銃口を郷田に差し向けるような行為だったかもしれないけれど、郷田はそんなにぼくが欲しいなら仕方ないねって云って、抗わなかった。これが蜃ちゃんの望みでしょって言い返して掌をうつわみたいな形にして、みるみる小さくなっていった郷田蜃気楼をそっと硝子の器の中に収めた。 
その小ささは店の棚に並んでるバリのぶらんこに乗る猫の置物と同じぐらいになった。  

遠くで、セロファンが擦れる時みたいな透明な声がする。「あのエアメールと外国切手のファイルも入れておいてね」

郷田が営んでいた<みらーじゅ雑貨店>を引き継いだぼくは、店の硝子ケースの中にその器をそっとしまった。

郷田蜃気楼は硝子の器の中で、好きな物に囲まれたかったのか絶えず幸せそうだった。

そこにはnotforsaleの札を立てかけておいたから、誰も手に取ろうとはしなかった。客のいない時間に郷田が貝殻の道を歩きながら町の片隅で、暮らしている様子を眺めるのが唯一の娯楽になっていた。娯楽というよりはぼくの生きる術だったかもしれない。 

郷田を眺める幸せは、波に身をゆだねている時の絶対的な信頼感と畏れの薄い布をまとってる感覚に似ていた。 
甘美だった日々にまみれていたかったけど、それは長くは続かなかった。 
引き継いだ<みらーじゅ雑貨店>に盗みが入って、よりによってぼくの日々を支えていた郷田蜃気楼の器だけが盗まれてしまった。  
郷田のいない毎日を愛情を感じないガラクタに囲まれて暮らすことに苦痛を覚え、店は閉めることにした。

燻製チーズを郷田に差し出したことを後悔していた。その想いを抱えてぼくは生きていた。

骨董店を閉めてからも、もしかしたら盗まれた郷田にあえるかもしれないと、アンティークショップめぐりに勤しんでいた。

とある骨董屋さんで「想いのふた」という品物をみつけた。

その骨董屋さんは、「omoi de」っていうお店だった。

想い出、なのか。って思っていたら隣の省ちゃんが重いで、ってつぶやいた。

関西人やなぁ。

体重をはかっても、体脂肪率はわかるけど。心の重さは個別にはわからないよねって省ちゃんと一緒に映画を見た後話をしたことがあった。

でも、ひとは死んでしまったら、みんな21グラムだけ軽くなるという。
それが、魂の重さだっていう人もいるけれど。

ほんとうのところはよくわからない。省ちゃんも死んでしまったら21グラム軽くなるん?

ぼくは聞いてみる。

その21グラムが俺にもあったらの話やでって。

やでって、声がひっそりとしたお店の中に響いていた。それは、謙遜か、照れなのか、自虐か、甘えか。なんかよくわからないリアクションだった。

ふたりはいつもそんな、答えのない話ばかりしている。

充足しているというのか、この状態。これは充足? って尋ねようとしたけど、聞いてしまったらもうそれは充足じゃなくなるのでそっと黙っておいた。

ふたりは、「想いのふた」をそれぞれ買ってみた。

省ちゃんの「想いのふた」のデザインは水玉だった。

ぼくはストライプにした。
それを包んでもらって、ふたりは背中合わせでじぶんの心のあたりに装着した。

心にふたをつけてみたら、今まではだらりと、こぼれてしまいそうだった想いの輪郭がみえるようだった。

想いにふたをしてはいけないと巷ではいうけれど。

ふたがあったほうが、みえるものもあるんだなって心のなかでつぶやいたらたちまちその思いがふたつきの器のなかに収まった。

それはまるであの日の、すきだった郷田を入れた時のことを思い出させていた。

「心の欠片たち」を、みていると時々光った。

ぼくは省ちゃんの想いの欠片をみてみたいなって思ったけど。

さっきからじっと省ちゃんは、静かにそれをみているようなそんな気配だけが背中のあたりに漂っていたので、悲しくないといいのになって黙っていたら。

その凪のような思いも、たちまちぼくの心の器の中に吸い込まれていくのがわかった。

省ちゃんは死なないでほしい。そう思ったらたちまちその思いがふたつきの心に取り囲まれた。

「想いのふた」は、思うとそのふたつきの器の中に吸い込まれてゆく仕組みだった。

ぼくは、ぼくの「想いのふた」の中に郷田蜃気楼を今も思っている気持ちがさっきから夥しく吸い込まれてゆくのをじっと見て、切なくなっていた。

今のぼくには「孤高の天才未満」とネーミングされていた燻製チーズが必要な気がした。


今夜は駆け込みで #古賀コン  に参加させて頂いております。
お題は「孤高の天才未満」、お約束は一時間ほどで書くことです。
ここまでお読みいただきありがとうございます!

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ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

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