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好きの瞬間、好きの永遠。

好きなものを「推し」ということに
いまだ慣れていないのだけど。

わたしの「推し」ってなんだろうって
考えていた。

けっこうあって、迷った。

嫌いなものの多い人生だと思っていた
けれど。

意外にあるじゃんかって。

いきなりだけど。

穂村弘さんがたぶん永遠に好きだと思う。

彼の言葉が好きだ。

これまでなんども掬ってもらってる。

2017年の手帳から、はらはらと落ちてきた
紙切れ。

その年の4月頃のものだった。

なにも書けないときに、わたしの目の前に
現れてくれた穂村弘さんの言葉に救われた。

いや掬ってくれた。

それは本を読むということや言葉について
語られていた。

読書は誰かが、原風景や心象や出来事や現象を
言葉に置き換えて世界をみせてくれていると
綴られていた。

私がイメージしたのは蜘蛛(くも)と糸と巣の関係です。
蜘蛛が自分の糸だけで編んだ巣の上で生きるように、
我々も普段は意識しないけど、自らの内なる言葉(糸)が
作り出した世界像(巣)の上で生きているんじゃないか。
つまり、人間は言葉の介在無しに世界そのものを直(じか)
に生きることはできないんじゃないか、と。

穂村弘さん「内なる言葉の塊」より。

言葉のない世界に生きたいと思うことも
あるけれど。
そんな時でもまた言葉を手繰り寄せている
だろう。

そこで穂村弘さんの言葉推しのわたしが
捧げる一首。


穂村さんからの、本つながり。
好きな詩人井坂洋子さんの『詩の誘惑』を推したい。



伝えると聞くと、誰かのことばかり
想像するけれど。
その本の中には、
「人に伝えることばがあるのかを問う前」に
「自分が自分に伝えることばはあるのか」って、
詩人の石原吉郎さんの言葉が綴られていた。
ああ、と腑に落ちた。


じぶんに折り合いがついていないのに、誰かに
言葉なんて伝えられないんだなと。
誰かに伝えること、アウトプットすることばか
り考えていた。

今の時代を分析はできないけれど、今は
何かを伝えようとしてばかりいることが常で、
私の言ってることわかりますか?ってみんなが
口々にいっているそんな時代
なのだ、きっと。

過呼吸気味に伝えようとしていることじたい
が、自分を含めて苦しかった、いまも。

でも誰かに伝える前に自分が自分に伝える
言葉がない限り、誰にも伝わらないような
気がしている。

でも、例えば詩を書くというのは。
誰かにではなくてまず自分へ贈る言葉なの
だと、井坂洋子さんは綴る。


本の読み方が、わからなかったので読書は嫌いだった。
中学生の時、唯一読めたのがこの『痴人の愛』だった。

マジメか!のサラリーマンの譲治と、カフェで出会った美少女
ナオミの物語。いわゆる自分好みに育ててゆくというあれです
が。

読み終えて中学生の私は密かに嬉しかった。
飼われたのは、ナオミじゃなくて譲治のほうだったのかと
気づいて、清々しい気持ちになった。
谷崎潤一郎という名前は、私にとっての避難場所になった。


次は最果タヒさん。
もうすごいお名前だよな、タヒさんだよ。

SNSを知らなかった頃。あえて手をださなかった頃。
みんながシェアしてくださいって言いあって。
なんかいやだった。でも心のどこかわたしもシェアして
くださいって思っていたのかもしれない。

エッセイの中で最果タヒさんが、
「わららないぐらいがちょうどいい」って
タイトルのエッセイを書いていらっしゃって。

そこに反応した。

彼女が冒頭で、

<どんなにシェアされたって、私が聞きたいのはそれじゃない>

<SNSで教えてもらった食べ物、好きな音楽、そんなものを
知ったところで私はきみをまだ知らず、きみに会いたいとも
思わない>

心の底から、すきって思った。
でも、すきって思ったからって、わたしが最果さんの何かを
すべて知ってしまったわけじゃない。

大いなるジェラシイもありつつ、こういうことをいつか
空の下で言ってみたいって願望にも駆られながら読み
進めていた。

したたかで、しなやかな心の持ち主の人は
たぶんシェアというカテゴリーのどこでもないところで、
しゃんと生きてるんだなって思った。



やっぱりここまで来てあの人のことを書かない
わけにはいかない。

大好きな、過ぎる藤井風さん。

はじめてのLiveに行った今年の2月がもう遠い昔の
ようだけど。

彼の言葉はいまも私の中で生きている。

「でもみんな孤独やし、みんなひとりやし。
みんなひとつやし。そんな孤独にぴったりの曲をやります」

そんなMCがあって。

もうあの曲だよなって思っていたら

『ロンリーラプソディ』が流れていた。

彼の言葉に触れると、わたしの琴線が

どこにあるのかわかるような気がする。

わたしの心のよくわからない場所が

痛むように震えるからだ。

琴線のあの線がここらへんにあるみたいって

この年になって初めて知ったかもしれない。

マスクの中で泣いていた。

泣く時わたしは腹筋を使うのだけど

お腹の筋肉がぎゅっとなる感じで

泣いていた。

孤独なんて幻想、
気にしなきゃいいの
みんな同じ星
同じ呼吸
すーはー
なにをしたの?
なにもしてないよ。
きみはだれなの?
ぼくはここだよ

ロンリー・ラプソディ
作詞・藤井風

この曲の間にも、呼吸に意識するようにと

彼は言う。

「吸って吐いて。
嫌なものは吐き出して、
吐く時にネガティブなものは
ぜんぶ吐き出して
いいものだけを吸って~」


ネガティブなことを感じてる自分のことが
嫌いだから、わたしはそうやって
ロンリーラプソディが流れている間
彼のパフォーマンスを忘れないように
目に焼き付けながらも、息をすーはーして
嫌なことをイメージして吐き出していた。

でも不思議だけどその時、わたしには
何が嫌なことだったのか思い出せない
ぐらい音に包まれていた。

あのときの幸せを短歌に訳すのなら
こんな感じだった。


いきなり終わります。
幸せの余韻のまま。

今日はこちらの企画に参加しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。


 

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ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

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