「AIに恋愛相談してみた」 第8話
第8話 「告白」
「行ってきます」
家族から「行ってらっしゃい」と声がかかる。
その中にあの奇怪な電子音がないことに少し寂しさを感じながら、土曜の午後の街を歩き出す。
夏の到来を本格的に感じさせる焼け付くような日光は、太陽が傾き始めてからその本領を発揮するようだ。
今日の服装は無地の白Tシャツに黒のスラックス。
街中を歩けば五回はすれ違いそうなこの時期ありがちのファッションだが、こんな涼しげな格好でも歩いているだけで少し汗ばむ。
制汗スプレーをつけてこなかったら佐藤さんと会う前に汗だくになっていたかもしれない。
花火大会は俺と佐藤さんの最寄りから三駅先にある外周十五キロ超に及ぶ大きな湖、その一角を使って開催される。
例年何万人もの観衆が寄って集まって、このためだけに遥々やってくる観光客もいるほどだ。
社会情勢的にここ三年は開催を見送られていたが、今年は様々な難局を潜り抜けて久々の開催に漕ぎつけた。
朧げな記憶だが、俺は子供の頃に一度家族で行ったことがある。
その後一緒に行くような友達も恋人もいなかったが、久々に赴くイベントでのデートに緊張を感じていた。
そしてそれ以上に告白のことを考えると、今にも意識を手放しそうになるくらい心臓が早鐘を打つ。
思えばここまでの旅路は長くも短くもあった。
佐藤さんと出会ってから早くも一年半が過ぎようとしている。
気になり始めたのは多分半年くらい前から。
本気で付き合いたいと、自分を変えたいと孤軍奮闘を続けてきたのがここ二ヶ月。
その中で色々な人に出会って、そして別れた。
今日はどんな結果であれ一旦その節目を迎える。
過ぎ去った道を眺めれば悲しくも辛くも楽しくもあったけど、今この瞬間だけは次の未来を掴むために前だけを見ていたい。
最寄り駅に到着した。
集合十五分前だった。
佐藤さんから、バスで向かっていてもうすぐ到着するという旨のメッセージをもらったのでロータリーの側まで向かって待つことにした。
五分ほど経った頃、一台のバスがやってきた。
目の前のバス停で停車すると、一人また一人と降車してゆく。
バスってこんなにたくさんの人を乗せられるのかと思うほど、次々と人が降りる。
まだ佐藤さんの姿はない。
何分、何十分も降車する人の姿を見ているようだった。
花火大会に向かうであろう人の姿も多い。
家族、学生、社会人、おじいちゃん、おばあちゃん。人間の見本市を見ているみたいだった。
やがて溜まっていたものを全部吐き出してスッキリしたように、バスは降車口を閉じて次の乗り場へと走り去っていった。
おかしい、佐藤さんはこのバスじゃなかったか。
不安に思ってスマホを開いた、その瞬間。
「森くん、お待たせ!」
「っ……!」
反射的にスマホから声のした方向へと視線を切り替える。
ロータリーの奥に別のバスが止まっていた。
それを背景に立つのは浴衣姿の佐藤さんだった。
淡い青色の生地に朝顔の柄があしらわれたそれは、夏の訪れと清涼感を同時に感じさせる。
髪は後頭部で一纏めにされていて、白く細い頸におくれ髪が垂れている。普段下ろしているのとはまた違った雰囲気だ。
草履の鼻緒も浴衣と同じ淡い青色で、対比的に深い青色のペディキュアが施された小さな足が覗く。
「すごく……似合ってる」
「ほんと? ありがと! お母さんの浴衣借りてきちゃった」
軟派な反応になってしまったが、それはほとんど無意識で出た言葉だった。
まさかのサプライズだ。
佐藤さんが浴衣を着てきてくれるなんて。
こんな素敵な姿、俺だけが見るには勿体無い。
と思うと同時に他の誰にも見せたいくないという、独占欲に似た感情が掻き立てられる。
それほどまでに見るものを惹きつけてやまない魅力が今の佐藤さんにはあった。
「ごめんね、バスの一台目乗れなくて臨時便で来たら遅くなっちゃった」
「全然大丈夫。じゃあ、飲み物と軽食買って行こうか」
「それなんだけど電車もう来ちゃうから向こうの駅着いてからでもいい?」
「あ、ほんとだ。じゃあとりあえず現地行こ!」
「うん!」
ということで少し予定を変更し、佐藤さんと連れ立ってホームまで向かう。
そこには見たこともないほどの人だかりができていた。
普段電車は二、三十分に一本という地域だが、この人数にはとても見合わない。
少し早めの電車を選んだはずだがこの混み具合とは。
花火大会の規模を見誤っていたか……。
いやこの分だと運営側や鉄道会社でさえ予測できなかったのだろう。
久々の開催もあり例年より多くの参加者が募っているのかもしれない。
「すごい人……」
佐藤さんが呆然としたように呟く。
「ほんとだ……」
こうしているうちにも後から新たな人の流れがやってくる。
まだ増えるのか。
電車はちょうど駅のホームに到着したところだ。
果たして乗れるだろうか。
ホームのスピーカから「本日、駅構内が大変混み合っております。降りるお客様を優先し、落ち着いてご乗車ください」というアナウンスが流れた。
しかし降りる人はほとんどいない。
会場三駅前というだけあって電車内にはまだ多少の余裕はあるが、ここにいる人全員が乗り込んだらあと二駅分の乗客の猶予なんてなさそうに見えた。
人の流れが巨大な濁流となって電車の狭い入り口へと飲み込まれてゆく。
「森くん……!」
「っ?!」
人混みに圧倒されて気づかなかった。
隣にいたはずの佐藤さんが、居ない。
二人の間に人の流れができて距離が離れてしまっていた。
佐藤さんは浴衣に草履でただでさえ動きにくい格好をしているのだからこんな状況では尚更だ。
考えれば当然だった、もっと俺が気を配れていれば。
ここで離れてしまったら、再度落ち合うのは困難を極めるだろう。
極端な人混みの中では携帯の電波も繋がらず連絡を取る手段もない。
いやそんなこと考えたって仕方がないじゃないか。
俺は巡る思考を跳ね除けて、今なお距離が開いていく佐藤さんの方へと手を突き出した。
その手に小さく柔らかな感触を確かに感じて、そのまま強く握りしめる。
少し強引に、けれどどこまでも繊細に人の流れを断ち切ってお互いを引き寄せ合う。
間一髪のところで離れることなく電車に乗り込むことができた。
「気付けなくてごめん……!」
「う、ううん大丈夫。助けてくれてありがと……」
少し恥ずかしそうに視線を逸らす佐藤さん。
俺は佐藤さんの手を握り続けていることに気がついて、慌ててそれを解放した。
佐藤さんが少し名残惜しそうな表情をした……のは俺の願望かあるいは勘違いだったか。
電車が一度大きく揺れて、発車する。
駅を重ねるごとに増えてゆく人。
電車にはこんなに多くの人が乗れるのか、と驚愕している暇はない。
目的の駅に到着する直前には、俺と佐藤さんはほとんど密着するような形で電車で揺られていた。
心音が耳に届くくらい大きな音を鳴らす。
佐藤さんの匂いがいつもよりはっきりと感じられた。
前髪に隠れて、佐藤さんが今どんな表情をしているかわからない。
不快じゃないだろうか。
こんな人混みではかける言葉も見つからず、俺はただ極めて平然を装うために意識を蚊帳の外へ追いやることしかできなかった。
電車に乗っていた時間は人生で過ごしたどの十分より長かっただろう。
会場の最寄りに降り立つと、そこには道の全面を覆い尽くすほど密に寄り集まった群衆があった。
会場に向かう流れはあるが、それに抗うことはできそうにない。
「どうしよ、この人混みじゃコンビニとか寄れないよね……」
佐藤さんの指摘に俺も同意する。
「確かにこれは厳しいね……とりあえず会場まで行って屋台で買おうか」
「そうしよっか」
「あと……人多いから離れないように」
言い訳のように言いながら、俺は佐藤さんの手を取った。
「そ、そうだね……!」
少し驚いたような表情をした佐藤さんだったが、二、三回頷くと割れ物にでも触るみたいな力で俺の手を握り返してくれた。
湖近辺までの距離はそれほど離れていないが、こうも人が多くては普通に歩いた場合と比較して時間は倍以上かかる。
俺たちは打ち上げ予定地まで、それから三十分以上の時間をかけてゆっくりと進んだ。
「佐藤さん足疲れてない?」
「大丈夫! 記者は体力仕事だからね、こう見えてもパワフルなんだ」
「ははっ、そっか。……けどやっぱ人すごいね。列もほとんど動かなくなっちゃったし」
「ね……屋台も並びすぎてどこが最後尾かわからないねぇ」
「うん」
完全に規模と参加者が見合っていない。
久々の開催とあって今まで来れなかった人が一気に押し寄せたのか、道という道が人で埋め尽くされてもう一歩も後にも先にも行けないような状態だった。
もし一本遅い電車で来ていたら湖畔にすら辿り着かなかっただろう。
あるいはもう路線の通行規制が行われているかも知れない。
湖畔には湖をぐるりと囲むように草原が広がっている。
しかしそこは朝早くから、下手したら泊まりがけで場所取りをしていた人で埋め尽くされているか、有料の観覧エリアしか残っていない。
草原の手前には一段下がった所に並木道があり、今は歩行者天国となっていて俺たちはそこで立ち往生している。
屋台はチラホラ見えるがそんなに数も多くない上に人が多すぎて列なのかただの物見客なのかわからないほどである。
必然俺たちは花火が打ち上げられる間、つまり一時間の立ち見を要求されることになった。
つまむものもなければ、飲み物はバックの中に入っているミネラルウォーターしかない。
座れなかった時のために屋台や湖畔を軽く見歩きながら花火を時折見る、なんてプランも考えていたがまさか座ることはおろか動くことさえままならないとは。
正直花火大会を舐めていた。
事前調査を軽視して杜撰な計画を立てた俺の責任だ。
せめて似たような過去の経験があればこんな状況でも楽しむ術を探し得たかもしれないが、ここまで人混みを忌み嫌ってきた人生を呪うばかりである。
人が多すぎて二酸化炭素濃度が上がっているのか、たまに呼吸すら満足にできない過酷な環境。
もっとロマンチックに、花火の降り注ぐ中で告白をする予定だったが、これでは雰囲気のかけらもない。
最早これは物見客による場所争奪戦に成り果てている。
「もし足痛くなったりしたら言ってね」
「うん、ありがと」
俺はそんな不安や葛藤を悟られないように、平静を装って聞く。
この人混みでは流石に佐藤さんもストレスを感じているのか表情に疲れが見える。
俺は繋いだ手の力をほんの少しだけ強めた。
佐藤さんもそれに応えてくれた、ような気がする。
そうだ、例えこんな状況でも二人で花火大会に来ているという事実は変わらない。
二ヶ月以前の自分に佐藤さんと花火大会デートに行った、なんて言ったら絶対に有り得ないと切り捨てるはずだ。
しかし夢のまた夢だった機会を、幸運にも掴むことができた。
二人の時間を大切に、楽しく過ごす。それさえできれば来て良かったと、きっとそう思えるはずだ。
花火の打ち上げまではあと十五分ほどある。
俺たちは他愛もない話をしながらその時を待った。
打ち上げ五分前から、会場にアナウンスが流れ始めた。
出資した企業や演目の紹介に始まり、予想以上の観光客で車道、鉄道ともに規制が行われていること、安全上の注意や熱中症対策の推奨などがその主な内容だった。
あっという間に打ち上げまで三十秒を切った。
それに伴いカウントダウンがはじまる。
三十、二十九、二十八……。
時刻は七時目前。
日は完全に沈み、西の空に仄かな青みを残す程度となった。
二十、十九、十八……。
先程まで混雑のせいか陰鬱な雰囲気に覆われていた観衆も元気を取り戻し、カウントダウンの声は数字の減少に反比例して大きくなる。
十、九、八……。
記念すべき一発目は幅約五百メートルに及ぶ二尺玉。
人々の視線が藍色に染まる夜空の虚無に集約する。
三、二、一、零……!
ドッ……と鈍い音の後、トンビの鳴き声のような甲高い音が宵闇を貫いた。
その声が鳴き止んだ数秒の後。
お腹の底に響く巨大な爆裂音と共に、空の青さを甦らせる輝きを以て一輪の花が夜空に咲いた。
明滅を繰り返しながら流れ星の様に降り注ぐ花弁が、パラパラと最後の音を立てて一つ、また一つと黒いキャンバスに呑み込まれてゆく。
遅れてやってきた空気の振動は体を、あるいは魂を揺さぶる衝撃となって、後には酸化物の残骸だけが残った。
咲き誇る時間の短さが桜を美しく見せるなら、花火の儚さは我々に何を魅せるのか。
きっと瞬き一つ許さず五感を支配するだろう。
……そのはずだったのに。
俺たちの視界は眼前にそびえる並木に覆われて、打ち上げられた花火のほとんどを見ることができなかった。
「まじか……」
ここまでのミスはかろうじてリカバリーが効いた。
人が多いことも食べ物が買えなかったことも、言って仕舞えば些細な問題に過ぎない。
しかし肝心の花火が全く見えないなんて大問題だ。
周囲の観衆がどよめき立つ。
場所を変えようと人混みを押し除け合う動きさえ生まれ始めていた。
こうしている間にも花火は次々と上がり、その音と衝撃波だけが無為に反響する。
なんでこんなことが予測できなかったんだ。
もっと高い位置で花火が上がると思っていた?
それとも打ち上げ地点の方向を見誤っていた?
理由なんてなんだっていい、とにかくこのままでは駄目だ。
今は現状を打開する術を考えろ。
どうしよう、一体どうすれば……いや、焦るな!
一度深呼吸をし混沌とする思考に酸素濃度の低い空気を潜らせる。
そうだ……並木の薄い部分を探す、あるいは並木から離れれば視界全てが木の葉に覆われることにはならずに済むはず……!
「……佐藤さん、場所変えよう!」
「うん……!」
そこからは混濁とする人の流れに飲まれそうになりながら、少しずつ場所を変えていった。
途中何度も人にぶつかり、怒声や子供の泣く声を聞きながら目的地も分からず進んだ。
結局並木の切れ目から少しだけ花火が見れる位置に移動して、そこ落ち着かざるを得なかった。
ただでさえ密集していた人は花火をわずかでも見れる位置に移動したことで粗密を繰り返す歪な塊となっている。
まるで超満員の映画館で画面の片側を隠されながら映画を見ているような気分だ。
そんな気分を紛らわせるために俺と佐藤さんは当たり障りのない会話をしていたが、演目が終盤に近づく頃には言葉数も少なくなっていた。
正直このデートは失敗だ。
告白なんてこんな雰囲気でできるわけがない。
しかしこの後に及んでも、俺は佐藤さんの側に居られる事が幸せでならなかった。
小さな手のひらから伝わってくる熱や触れ合った肩の柔らかさ、そんな物理的な距離の近さもある。
しかし同じ環境に身を置いて同じ物を見ている。それは楽しさはもちろん、苦しさまで共有できる心の距離の接近に、例えそれが一方通行の感情であっても多幸感を覚えずには居られなかったのだ。
こんな、ともすれば歪んだ感情が恋なんだろうか。
一瞬とも永遠ともつかない一時間は二百発の花火を一度に打ち上げる演目で終わりを迎えた。
花火の打ち上げが終われば駅の方へと向かう人の流れが再形成される。
行きよりも多くの人が同時に動くせいか、帰りは一時間以上をかけて駅まで向かった。
途中何度も列が動かなくなったし、警察や救急の音がそこかしこで聞こえた。
駅前に着いた頃には佐藤さんも俺も体力的に限界を迎える寸前だった。
「電車は……四十分近く乗れそうにないね……」
俺は駅員の掲げるプレートに四十分待ちの文字を見つけてそう言った。
複数ある駅の入り口は混雑緩和のためか一箇所に絞られ、そこには最後尾の見えない巨大な列が形成されている。
「うん……お腹も減っちゃったし、先に食べてから帰る?」
「そうしよっか」
時刻は九時を過ぎる頃で空腹感も酷い。
座って何かを食べられれば最高だ。
しかしこの場にいる誰もが同じことを考えたのだろう。
駅前にあるレストランというレストランが満員かつ電車以上の待ち時間を提示しており、どこにも入る事ができない。
せめて前もって予約していたら、こんな時スマートにエスコートできたはずだ。
……キャットアイならこの混雑も読み切って、レストランの一つでも予約していたのだろうか。
結局空腹感が限界に達した俺たちは、成す術なくコンビニのイートインで軽食を摂ることになった。
苦肉の策この上ないし雰囲気なんてあったもんじゃないが、奇跡的に席は空いているので足を休めながら栄養を取ることができるだろう。
「とりあえず何か買いに行こっか」
「うん」
俺たちはコンビニで適当におにぎりやパン、飲み物なんかを買ってイートインスペースに戻った。
しかし一度雪崩が起きたら途中で止まることはないように、失敗も負の連鎖を続けてゆく。
食べ物を買っている間にイートインはほとんど埋まってしまい、壁際のひと席を残すまでとなっていた。
ここは佐藤さんに席を取っておいてもらって、欲しいものを聞いた俺が二人分のご飯を買いに行くべきだったか……。
頭も配慮も回らずにこんな簡単な考えすら思い浮かばなかった。
「佐藤さん、先に食べてて」
「いいの?」
「うん」
デートで離れ離れにご飯を食べるなんて前代未聞だ。
けれど今の俺が言えることは、ただそれだけだった。
数分間、俺は店内を回って時間を潰しつつイートインの入り口付近で席が開くのを待った。
やがて佐藤さんの隣の席が空いたのでそこに向かう。
すると何やら、佐藤さんは浴衣の方を気にしていた。
「どうしたの?」
俺が聞くと悲しげな表情を浮かべながら佐藤さんが答える。
「ご飯で浴衣汚しちゃって……」
「え……」
見ると浴衣の一部が汚れてしまっていた。
なぜここまで不幸が続かなくては行けないのか、俺はやり場の無い感情に襲われた。
しかし起きたことを呪っても仕方がない。俺はテッシュをもっていたのでそれをすかさず差し出す。
「すぐ拭き取れば大丈夫だから、これ使って」
「うん……! ありがと」
佐藤さんはテッシュを受け取ると洗面台へ汚れを落としに向かった。
俺は佐藤さんの巾着に入った荷物を見つつ、帰ってくるまでに自分の食事を済ませる。
「浴衣大丈夫そう?」
「うん、ちょっとシミになっちゃったけど……どっちみち汗かいたしクリーニング出す予定だったから心配しないで〜」
洗面台から帰ってきた佐藤さんに優しい笑顔でそう言われて、俺は申し訳ないような、悲愴感で胸を打ちつけられるような気持ちになった。
「じゃあ電車の時間も頃合いだし、そろそろ帰ろっか」
辛い気持ちを顔に出さないように、俺は囁くように言う。
「うん」
小休憩で枯渇していた体力が帰宅分ほどには回復し、そのまま駅に向かった。
駅は臨時便が走っているらしく列を成す人が大きく減っていて、予想以上に短い時間で駅からホームへ、そして電車へと乗る事ができた。
乗車人数も行きより比較的少なく、多少は快適に過ごす事ができた。
「今の時間だとバスもうないよね、家の近くまで送るよ」
「いいの? 森くんの家確か逆方向だよね……」
「大丈夫大丈夫。それにもうちょっと……一緒に居たいから」
「ほんと? ……じゃあお言葉に甘えて」
最寄りに着くと、さっきまでのとんでもない人混みが夢だったかのように閑散とした道を歩いた。
「今日すごい人だったね」
「うん……びっくりしちゃった」
「もっと上手くエスコートしたかったんだけど……疲れたよね?」
「ううん、森くんと花火見れて楽しかった」
「そっか、なら嬉しい」
街灯が時折二人を照らして、後は行き先の見えない闇を進む。
ついさっきまで触れ合っていた手が、今はとても遠いように感じた。
「森くんは楽しかった?」
「もちろん。佐藤さんとならどこでも楽しい」
「あははっ、どこでもは言い過ぎ」
佐藤さんは少し恥ずかしそうに、はにかみながら答えた。
言い過ぎなんて事はない。
どこに行くかじゃなくて、佐藤さんと行くから良いんだ。
その本質に今更ながら気づいた。
「ほんとほんと。これからも佐藤さんと一緒に色々なとこ行きたい」
「たとえば?」
「遊園地とか水族館とか。どこでもいいよ」
「ふぅん……いいね、行こ!」
それは友達として?
そう口に出しそうになって、やめた。
ここで前に進むことを拒めば、俺はきっと今後も佐藤さんと友達で居られる。
進めばあるいは、もう友達にすら戻れないような関係になるかもしれない。
それは今の俺にとって何よりも辛いことだろう。
そうなったら半年は引きずるかもしれない。
進んだことを、好きになったことを後悔するんだろうか。
あれほど動けない自分が、自分の気持ちに素直になれない自分が嫌いだったのに。
「花火……半分くらいしか見れなかったね」
「まさかだったよね。びっくりしちゃった」
佐藤さんはイタズラっぽく笑った。
あんな状況でも楽しんでくれていたんだろう。
そんなところが、また一つ好きになる。
俺は足を止めた。
不思議そうな表情で、佐藤さんはこちらを覗く。
「ひとつ、提案があるんだけどさ」
「うん」
進むべきか、否か。
何度も何度も、行ったり来たりを繰り返した。
結論を出したつもりになって、また悩んだ。
今はどうだ。
……俺の決意は、もう揺らぐことはない。
「……もうちょっと花火見たくない?」
「ん? どういうこと……?」
カバンからあるものを取り出す。
「えぇっ、線香花火?! ……いつの間に?」
「コンビニで席空くの待ってた時に」
それは十本入り一袋の線香花火だった。
コンビニの花火コーナーにポツンとひとつ売れ残っていたのを見つけたのだ。
無意識に、あるいは縋るように、それをライターと共に購入した。
「そこの公園で二人だけの花火大会、やならい?」
「あははっ何それ、最高じゃん!」
「決まり!」
バケツはもっていなかったので、小さな公園の真ん中にある水道の近くで俺たちはしゃがみ込んだ。
引っ張れば簡単に破れてしまいそうなそれを、そっと袋から取り出す。
「ライターもあるから、火つけて」
「ありがと」
時刻は十時を回った頃だろうか。
薄暗い公園で高校生の男女が線香花火をしてるなんて、通行人に怪訝な目を向けられかねない。
しかし疲労のせいか一周回ってテンションが上がってきた俺たちは一本ずつ持った線香花火に嬉々として火をつける。
「わぁ、綺麗!」
「ね、今日見たどの花火より綺麗かも」
「あははっ、隠れてないもんね」
「ははっ、そうそう」
パチパチと小さな音を立てて、無数の火花を散らす。
やがて勢いがなくなり、先端に実った小さな火球が地面に吸い込まれて輝きを失った。
「やったあ、うちの勝ち」
「すごいね、まだ光ってる」
佐藤さんの線香花火の先は、未だに鈍い灯りを放ち続けている。
その明かりのおかげで誇らしげな笑顔が垣間見れた。
「佐藤さん、実は俺さ。……今好きな人が居るんだよね」
「へぇ……どんな人?」
三、四本目の線香花火に火をつける。
ぼんやりとした輝きが、佐藤さんの輪郭を朧げに照らす。
アーモンドみたいな綺麗な形の目。
文学少女のような物静かな見た目とは裏腹に、溌剌たした表情に血色のいい肌と健康的な体つき。
それらをなぞるように照らしている。
「笑顔が素敵で、いつも明るい人」
「そうなんだ……他には?」
五、六本目の線香花火に火をつけた。
佐藤さんの表情が暗闇に沈んでしまったようで、よく見えない。
しかしその少しハスキーであどけなさを残す声が確かにそこにある。
この声音がいつも俺を幸せな気持ちにした。
また一本、花火が役目を終えてその輝きを失う。
暗闇の中から、佐藤さんの声だけが響いているみたいだった。
「一緒にいると楽しくて、安心できて。もっと一緒に居たいなって思う人」
「……それから?」
七、八本目の線香花火に火をつけた。
世界に二人だけが取り残されているみたいだ。
どこまでも深い闇の中に、線香花火の光だけが道標となって行先を示す。
その光に導かれて、感情の渦が短い言葉になって現れた。
「夢があって、それに向かって一生懸命になれる人。俺は、その人の事が好き」
九、十本目の線香花火に火をつけた。
その最後のニ本はいつまでも輝き続けているように感じた。
耳をすまさなければ聞こえないくらい小さな線香花火の音が、今日見たどんな花火の音より大きく聞こえる。
「……それって、誰のこと?」
長い長い瞬きの後、世界に静寂が訪れた。
俺はその人のいる方へと、顔を確かに向ける。
「佐藤さん。……好きです、付き合ってください」
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