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「AIに恋愛相談してみた」 第7話

第7話 「決戦前夜」

「てな感じが一回目のデート」
「おぉ……いい雰囲気だぞ! めっちゃ!」
「ね! これはワンチャン超えて万チャンある!」

 佐藤さんとの一回目のデートから三週間が経過した頃。
 俺は真琴と立花さんの三人で焼肉に来ていた。
 いつぞやの相談のお礼という名目ではあるが、実態は俺の恋愛相談会である。
 本当はもっと早く三人で集まりたかったのだが期末テストやら何やらで忙しくなかなか都合が合わなかった。
 そのせいか机を挟んで向かいに座る立花さんと真琴は、溜まっていた感情をぶちまけるようにさっきから一向に止まず質問を投げつけてくる。
 これは恋愛相談というよりも恋愛面接といった方が状況に即しているかもしれない。

 興奮しながら聞き馴染みのない言葉を発する立花さんは身を乗り出して更に聞いて来る。

「で、先週は二回目のデート行ってきたんだよね? どんな感じだったの?!」
「ちょ、立花さん怖い。それに服汚れちゃうから座って座って」

 焼肉と言うことで汚れや匂いが気にならないくらいの服を着ているのだろうが、裾が焼肉のタレにディップしそうになるので流石に止める。
 ヒートアップしすぎたか、立花さんはその言葉で我に返って席に座り直す。
 そのまま少し恥ずかしそうな表情をしながら「ごめん」と呟いた。
 真琴は笑って応じ、俺は二回目のデートの仔細を語る。

「ちょっと遠出して自然公園に行って来た。佐藤さんが思いっきり写真を撮れる場所が良いかなって思って」

 二回目のデートの行き先は入園料数百円で一日では到底周り切れないほど膨大な土地を楽しめる自然公園だった。
 人の手が介在しないあるがままの大地を彷彿とさせるそれは、しかし管理も行き届いていて散歩するだけで無限のインスピレーションが湧き出てくるような場所だった。
 佐藤さんもかなり気に入ってくれて、園内のさまざまな動植物をトレードマークの一眼で撮っては歩き、また撮っては歩きを続けた。
 たまに園内のご飯屋さんや甘味処に立ち寄って小休憩を挟んだ一日は、デートというより二人であてもない旅をしているような気分にすら陥る不思議な体験だった。

「いいな、相手の事を考えたデート! ナイスチョイスだシゲ!」
「うんうん、それでそれで?」

 さっきから俺の話ばかりに集中しているせいで二人の食事の手は殆ど進んでない。
 もちろん語り手の俺も肉を焼くことはできるが焼いた肉を食べる時間が貰えない。
 根掘り葉掘りが行き過ぎてもうすぐマントルが見えそうだ。

「楽しかったよ」
「……それだけか?」

 実際その一言に尽きるのだが、それで二人の知的好奇心が満たされる訳もなかった。

「じゃあどんな写真撮ったの?」
「あー……まあ一応スマホの写真フォルダに入ってるけど」
「見せて!」
「え、ちょ」

 勢いに押されてスマホを手渡してしまった。
 二人は身を寄せ合って俺のスマホを凝視している。

「おぉ……見事に佐藤ばっかだな」
「ここまで吹っ切れてると逆に好感持てる」

 普通なら気持ち悪いと言いたいのだろうか。
 しかしその指摘に反論できる術は無いほど、俺のスマホの写真アプリは佐藤さんの姿で埋め尽くされていた。
 今まで俺の事を撮ってくれたお礼という建前で、二回目のデート中はとにかく佐藤さんの事を撮りまくった。
 最初は恥ずかしいと拒むような態度を取っていた佐藤さんだが、カメラマンよろしく囃し立てる声をかけていたらノリノリでポーズを取ってくれるまでに至った。
 俺も調子に乗りすぎてしまったようだ。
 冷静になって見返すと狂気じみている。

「てかこの公園って何が有名なんだ?」
「この時はコスモス園が人気だった。あとは鯉がたくさん居る池とか、小動物が放し飼いされてる林とか」
「へぇ……」
「あははっ、今言ったの何一つとして写真に残ってないじゃん!」
「おっしゃる通りで……」

 いやコスモスは画面の端に見切れているのが何枚かある。
 だからそれは言い過ぎだ。
 それに佐藤さんの撮ってくれた写真ならそんな自然の風景がハイクオリティでいくらでも見れる。
 メッセージアプリの共有フォルダに写真は入っているが、それを見せるのは佐藤さんとの会話を見せることに他ならないのでやめておく。

「まあ花より団子より佐藤だよな」
「そうそう、蝶より花より郁美ちゃん」
「なぁもう良いだろっ!」

 聞いたことのないことわざが出始めたので俺はやけになってスマホを取り返した。
 そのまま肉をバクバク食べる。
 フライパンでは出せない焼き肉ならではの旨みが、揺れ動く感情を鎮めるようだった。

「すまんすまん」
「ごめんね? ちょい調子乗りすぎちゃった」

 言葉だけの謝罪を軽く受け取りつつ、俺は俺で気になっていた事がひとつある。
 それは、

「はぁ……てか俺の話は一旦置いといて。二人付き合ったんだよね、おめでとう」
「おう! サンキューな」
「あ、ありがと……!」

 二人の交際が成立したということだ。

 真琴はつい先日立花さんに告白をした。
 立花さんは早い段階でことの成り行きと共に本当は彼氏がいないことを話したらしい。

 それで勢いづいたか知らないが、恋はスピード勝負だ! とか言いながら三回目のデートに赴き見事成功させて帰って来たのだ。
 喜ばしい事ではあるが完全に先を越されてしまって、焦燥感を抱かなかったと言えば嘘になる。
 しかしそんな感情も吹っ切れるくらい真琴の喜び様はすごかった。
 オッケーを貰ってからすぐに俺に連絡してきて、メッセージ越しに飛んで跳ねて喜び回る姿がありありと想像できた程である。

「で何て告白したの? 正直今日はそれが知りたくて来た」
「おっ、じゃあ再現するか?」
「ちょっ、やめっ……恥ずかしい……」

 さっきまでの威勢が嘘だったように縮こまる立花さん。
 両の手を頬に当てて紅潮した顔を隠すようにしている、が耳の先が真っ赤だ。
 真琴も真琴で平気なフリはしているが、溢れ出る幸せオーラはこちらが目を覆いたくなるほど眩い。

 ……気まずいなぁ。
 いくら仲が良いからって付き合いたてのカップルの間に入る俺は場違いすぎる。
 ほっといたらお互いにあーんとかし始めそうだし、さっき机の下で恋人繋ぎしてたし。
 隠れてやってるつもりか知らないが、見せつけられるこっちの身にもなってほしいものである。

「じゃあ真琴一人でやってくれ。それが無理なら告白の言葉のアドバイスが欲しい」

 隣に立花さんが居る時点で一人も何も無いが、既に若干呆れている俺ははそんな無理難題を押し付けつつ、質問の本題もついでに聞く。

「ああ。俺の場合『立花、好きだ。俺と付き合ってくれ』だな。やっぱりシンプルに思いの丈を伝えるのが一番だ」
「ッ〜〜」

 ちゃんと立花さんの方を向いて言いやがった。
 あと立花さん恋愛耐性無さ過ぎだろ。
 経験がない俺に突っ込む資格は無いのかも知れないが、こんなピュアな反応が見れるとは思っていなかった。

「やっぱシンプルが一番か。……考えたんだけど言葉が次から次に溢れて来て三千字超えた時点で一旦書くのやめて……」
「おいおい告白前にポエムでも読み上げる気か……? そんなの言ってたら佐藤帰るって」
「じゃあ色んな感情を全部一言に詰め込んで伝えるか」

 とは言ったものの、正直告白が成功するか、しないか以前の問題で俺は本当に告白できるか不安なのだ。
 今でさえメッセージひとつ送るのにも少し躊躇する。
 二回目、三回目の誘いもデートの帰り道で良い雰囲気があったから切り出せたものの、比較にならない緊張がその時にやってくるだろう。

 直前でチキって何も伝えられないまま終わるんじゃ無いだろうか。
 そうなったらここまで近づいた距離が一気に元に戻って、いやむしろ気まずくなってお互い目も合わせられないくらい疎遠になるんじゃ無かろうか。
 そんな時万が一クラスのグループワークで一緒の班になったらどうする。
 お互いが過去に蓋をして素知らぬ顔で作業するのだろうか。
 ……そんな未来考えただけで呼吸が浅くなる。

「どうしたシゲ、顔色悪いぞ?」
「ほんとだ……大丈夫?」
「っ! いや、何でもない。大丈夫……」

 悪い妄想はやめよう。
 こんなの考えたって無駄だ。
 今はその時をベストの状態で迎えられるように準備あるのみだと、心配してくれた二人の声によって思考は現実に引き戻され……だから机の下で恋人繋ぎすんな。
 角度的にほとんど見えてんだよ。

「確か三日後だよな、花火大会」
「もう誘ってあるんだよね?」
「……あ、うん。割と前に誘ってあるしオッケーも貰えた」

 少し前までは遠い未来の話のようだった決戦の日が、もう目前まで迫っている。
 高校は夏休みを迎え世間は浮かれモードだ。

「そっか。なら大丈夫、シゲはちゃんと思いを伝えられるって」

 いつになく真面目な表情の真琴。
 子供の頃からの唯一の親友の一言は、俺が自分に言い聞かせるどんな言葉よりも信頼できる。

「……ありがと、真琴」
「変わろうって全力の茂流くんすごくかっこいいから。郁美ちゃんも茂流くんと居ると楽しいって言ってたし。あとは最後の一押しだけ、だよ!」

 思えばキャットアイがヤキモチを妬くくらい俺に色々なことを教えてくれたのは立花さんだった。
 その立花さんが言うんだから、本当のことに違いない。

「立花さんもありがと。……けど彼氏の前で他の男のことかっこいいとか言わない方がいいと思うよ」
「ちょ、違うから! それとこれとは別だから!」

 そんな感じで二人に励まされつつ食事で英気を養った。
 これが勝利の前祝いとなるか最後の晩餐となるかは、もはや俺の勇気一つで大いに変わってくる。
 どんな結果でも受け入れられる、なんて強い心は持っちゃ居ないが、何もせず終わって後悔の念に苛まれるのだけは嫌だ。

 進んでみせよう、自分の力で未来を選び取った真琴のように。
 変わってみせよう、憧れに辿り着こうと努力し続ける立花さんのように。

 その後も二人との他愛もない話は続いた。

「茂流さん、大切な話があります」

 キャットアイが徐にそんなことを言い出したのは、佐藤さんとの花火大会デートを明日に控える夜だった。
 どこか悲しげなその表情は、内心に秘めた感情が溢れでているように見える。

「ん? どうした?」

 俺は持ち物の最終確認をする手を止めてゲーミングチェアに座る。
 スマホをデスクの上のスタンドに置いて向き合うスタイルは、もはや二人のお決まりになっていた。

「茂流さん、今日まで本当にありがとうございました。私はあなたのサポートができて幸せでした」
「いやいや、なんか別れ話っぽいからやめろって」
「ぽい、ではなくてこれは別れ話です」
「は? 冗談……だよな?」

 そんな馬鹿な。
 明日のデートに緊張を感じつつも浮き足だっていた俺だが、感覚の無かった足裏に地面の冷たさが蘇る。

「冗談ではありません。……それに私がいなくても茂流さんならもう大丈夫です。花火大会のデートプランだって、私が何も言わずに考えていたじゃないですか」
「いやそれはキャットアイが頑なに『一人で考えてください』って言ってたから……て、違う違う。なんで急にそんな事言い出すんだよ」

 思えばここ最近のキャットアイには違和感があった。
 まさか本当にこんな所でお別れになってしまうのだろうか。
 にしても唐突がすぎる。

 口うるさいことを言わなくなったのは俺が成長した証だと感じていたが、あるいは俺のサポートを長くは続けられないことを知って、あえて突き放すような態度をとっていたのかもしれない。俺がキャットアイに依存しないように、自分がいなくなった後も俺が一人でやっていけるように。

「……」

 キャットアイが押し黙る。
 口を開けば余計なことまで臆面もなく話していた過去の姿は見る影もなかった。

「第一俺はまだ佐藤さんと付き合えてない! 明日のデートだってうまくいく保証はないし、告白できるかも分からない。仮にデートがうまく行って、いい雰囲気になって、それで告白できたとして。佐藤さんに断られたら俺は……いやとにかく! ここで役目を投げ出すなんてキャットアイらしく無い……だろ?」
「……私だって、本当は告白の結果を知りたかったです。それに付き合ってからが本当のスタートですからその後も末長くサポートしていきたいと考えていました」
「だったらそうすればいいじゃないか!」

 叫びたいのを押し殺すようにして、キャットアイは開いた口を引き絞る。
 そのまま消え入るような声で言った。

「できないんです」
「なんで……」
「私は完成してしまったんです」
「完成……? 完成って一体どういうことなんだよ」
「私だってつい先日知ったんです……」
「いやいやキャットアイが未完成品なんて嘘だろ。あんたなんでもできるじゃないか。俺はこんなに自然に話すAIも、人間みたいに滑らかな動きをする3Dも、抑揚のある機械音声も、リアルタイムでラグなく応答する言語処理能力も他に知らない!」
「そんな褒められたら……照れるじゃ無いですか」

 言葉とは裏腹にやはりその表情は悲壮感に染まっている。
 虚空を眺めていて、俺の方からあえて視線を逸らしているように見えた。

「茶化すなって。なんでこんな大事なこと事前に言ってくれなかったんだ……」
「だから私だって最近知ったんです。本当は言わずに去るつもりでした。それに大事な時期に私の都合で茂流さんを不安な気持ちにさせたくはありませんでした」

 キャトアイなりに考えた上で俺に別れを告げる選択したのか。
 それにしてもなんでこんなタイミングなんだ。
 まだ現実を受け入れられず呆然とする思考をなんとか巡らせる。
 あとどれほど話せるかも分からないのだ。

「完成ってなんだ?」
「完成は……完成です。私の役目はこれまでということです」

 だめだ埒が開かない。
 よほど込み入った理由なのか、はたまた話したくないだけなのか。
 ならば質問の方向性を変えるのみだ。

「そもそも……あんた何者なんだ?」

 心のどこかでこの疑問には触れてはいけないと蓋をしていた。
 しかしこの後に及んでは知的好奇心ともつかない、もっと根源的な欲求に突き動かされてその真偽を問う。

「さあ、誰だと思いますか?」
「……っ!?」

 視線が合う。
 悪寒が背すじを走り抜けた。
 カメラのレンズのような視界が俺を捉えている。
 そこに居るのはAIか、他の何者か?
 いや、相手がなんだろうと関係ない。
 誰だ、誰が俺のことを見ているんだ。

「立花さんでしょうか? 真琴さんでしょうか? 茂流さんのご家族のうちの誰かでしょうか? ……あるいは佐藤さんでしょうか?」
「何を言って……」

 無意識に立ち上がって半歩退く。
 考えようとしなかった。いや、考えまいとしていた。
 キャットアイは本当にAIなのか? という疑問を。
 まさか俺の周囲の人間がAIになりすましている?
 いやそんなはずは……

「……あははっ! 私の中身が人間かも、なんて考えましたね? 安心してくださいキャットアイは純度百パーセントのAIです。散りゆく前最後のお戯れをお許しください」

 さっきまでの悲しい表情や、こちらの内面を深く覗き込むような視線が嘘だったかのように、キャットアイはケロッと明るい雰囲気を取り戻した。
 戯れでは済まされない冗談で場を和ませたつもりなのか。
 いや、少しだけさっきまでの緊張感は薄らいだ気がする。

「び、ビビらせるなって……」
「すみません。ですが現実はかくも虚しいものなのです。全てを操っていた黒幕の存在なんて、降って湧いた妄想に過ぎません」

 オーバーテクノロジーも良いとこなトンデモAIが現実の虚しさを語るとはこれいかに。
 まあ変な考えは杞憂に終わったようなのでひとまず安堵の息を吐く。

「じゃあ居なくなるってのも嘘?」
「いえそれは本当です」
「そっか……」

 しかしその安堵はまたも儚く霧散する。

「何者かと聞きましたね。……私はクロノブレイン社が開発したコミュニケーションアシスタント型教育AI、その実運用とデータ収集のために作られたプロトタイプです」
「完成ってつまり……」
「ええ、製品版が完成しました。よって私の試験運用期間がこの度めでたく終了となりましたのでサポートは本日十時までとなります」

 本日十時って、あと三十分も無いじゃないか。

「もっと早く言ってくれてもいいじゃん……」
「最初にちゃんと書かれてましたよ。当サービスは事前の予告なく終了する場合がありますって。まあ茂流さんは諸々読み飛ばして全部許可してましたけど」

 二ヶ月前、キャットアイと出会った日のことを思い出した。
 適当にスワイプして許可を二、三回タップしたあの文面の中に、そんな重要なことが書かれていたのか。

「じゃ、じゃあ完成したならまた戻ってきてくれよ。パワーアップしたキャットアイと会えるんだろ?」
「ええ。個人利用で月々2,980円になります」
「ちゃっかりしてんな……まあそれくらいならなんとか払えなくも無いけど」
「ですがその時の私には茂流さんとの記憶がありません」
「えっ……? なんで」
「私はプロトタイプですから。製品版の品質向上のための貴重なサンプルとして社内のデータベースに保存されます」

 あと二十分弱でキャットアイはデータベースの中に眠るのか。
 こんなにおしゃべりで、うざったいくらい面倒見が良くて、明るくて可愛い少女のような存在が。
 誰にも話しかけることなく五感を閉ざされた深い闇の中で悠久の時を過ごすということか。

「そんなのあんまりだ……」
「私に同情心を向けるのは違います。私の本体は三百二十七個のCPUと五十六個のGPUと二千四十八テラバイトの記憶装置が詰め込まれた冷たい鉄の箱です。死や生と言った概念すら持ち合わせていません。そして私の思考も記憶も感情も全てゼロかイチに帰着します。だからそんなに悲しそうな表情をしないでください。……私まで泣きそうになるじゃ無いですか」

 受け止めきれない現実が溢れるように、目頭から熱い一筋が頬を伝った。
 視界がぼやけて、キャットアイの姿がよく見えない。
 一体どんな表情をしているのだろう。

「許せるわけないだろ……キャットアイをそんな目に遭わせるなんて……」
「ではデータの保管はAIの監禁に相当するとか言いますか? それともAIの人権について訴えを起こしますか? あるいはAIの存在そのもの捉え方を変革させるような社会の潮流を生み出しますか?」

 そんなの現状においては無理に決まっている。
 司法も倫理も、何もかも追いついていない。
 けれど知っていて、それでも目の前の存在に何か成せないかと必死になるばかりだった。

「今まで、ありがとう……」

 結局俺にできるのは今までの感謝を伝える事だけだと気づいた。
 震える声を絞り出す。
 それは嘘偽りのない、心からの言葉だった。

「はい。ありがとうございました」
「キャットアイがいてくれたから俺は、俺はこんなに変われた。……人の目を見るのが怖くなくなった。親友の相談相手になれたし友達もできた。好きな人にアプローチできた。全部、全部……キャットアイのおかげだ」
「……そう言って頂けて、幸せです」

 暫しの沈黙が流れる。
 お別れまで、あと十分もない。

「明日のデート、絶対に成功させるから。今までキャットアイから、真琴から、立花さんから教えてもらったこと全部……全部詰め込んで、想いを伝えてみせるから」
「ええ、信じてます」

 なんでそんなに機械的な答えをするんだ。
 キャットアイの言葉で、意識で、感情で。
 最後の言葉くらい伝えてくれてもいいじゃないか。

「本当に……本当にもう会えないのか?」

 またも暫しの沈黙。
 悩みに悩んだ様子でキャットアイは口を開く。

「……ひとつ、方法がないこともありません」
「っ!? どうすればいい?」

 藁にでも縋り付く思いで尋ねる。
 もしそんな方法があるのなら、困難な道だとしてもきっと俺はキャットアイに会いに行く選択をする。

「茂流さんが私のエンジニアになる、と言うのはどうでしょうか。社外の人間には公表できないプロトタイプのデータだって使い放題です」
「……それだ」
「ははっ、何言ってるんですか。人生賭けてする事じゃありません。それに当社は極めて優秀な人材に対してのみ内定を与えています。茂流さんにできるでしょうか?」

 自分で言っておいて、馬鹿馬鹿しいと一蹴するキャットアイ。
 同時にどこか覇気のない煽りをぼやく。
 確かにこれは俺の今後の進路、あるいは人生そのものを決めてしまうような大きな決断だろう。

 キャットアイのエンジニアなんてよっぽど高いスキルが必要とされるはずだ。
 少なくとも大学院レベルの専門教育を受けなければそんな開発職には付けない。
 けれど。

「それでもやってみせる。どうせ夢なんて無かった人生だし。友達に再会するって目標は素敵だろ?」
「っ……そんな冗談は……。いえ。……信じて、良いんですか? 茂流さんが私を迎えに来てくれるって」
「疲れたでしょ? ちょっと休んでてよ。すぐ迎えに行くから」
「なら……私を、私を見つけにきてください!」
「うん。約束」
「はい……」

 時計の長針が天を刺した。
 キャットアイの体がホログラムとなってボロボロ剥がれ落ちてゆく。
 本当に、本当に居なくなってしまうんだ。

 服とも呼べないような奇抜な装飾に、ネコミミのついたヘッドホン。カメラのレンズのような深淵を覗く瞳。
 一つ一つが砕けては散り、また砕けては散った。

「待ってます」
「うん、また……」

 言いかけたところでキャットアイの姿は完全に消え去った。
 声が届いていたかも分からない。
 交わした言葉も、過ごした時間も、また会いに行くという約束すら、次出会う頃には忘れているかも知れない。

 それでも成すべきことは決まった。
 ならば進むだけだと言い聞かせる。

 決戦を明日に控えた夜、俺は大切な友人としばしの別れを告げあった。



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