生きづらいさを軽減するのは強者の自覚からと思った。でもそれが難しいんだよなあと思った話
最近お勧めに上がってきていてたこの動画、言語化プレッシャーを感じてNoteを書き始めた身ですから、気になって最後まで見ましたよ。
言語化プレッシャー、ありますよね💦
自分の思っていることを明確に喋ったり文章にできる人が仕事ができる=価値があるって思われていてますものね。
自分の意見を言語化できないと会社の中で無能扱いされてしまうことを実際に感じていましたので、私もちゃんと言語化できなければ!ってプレッシャーありました。
今の日本の文化圏では、会話と会話の間の時間が平均0.2秒だそうで、他の国にくらべても極端に短いそうです。
でもこれって「別に何の必然性もないというか、 0.2 秒でなければならない具体的な理由なんかない」そうなんです。
「努力したらできるようになる」とうのは真だけど、「できないやつは努力していない」は真ではない。
にもかかわらず、できないと努力不足の烙印をおされてしまうプレッシャー。
出来ないことは全部自助努力にされてしてしまう。
いつもいつも何かに責められたり焦らされたりしている感じがしてしまうことが生きづらく感じる要因の一つでもありますよね。
思考のタイプには、ビジュアルで思考する人と言語で思考する人がいるそうです。(どっちかにはっきり分かれる当よりは、どちらかの傾向が強いとのこと。)
今は言語で思考することに重きを置いている社会ですから「言語化」できる人が優位になっているだけ。
価値観や時代の空気は作られたもので、人間の本質はもっとちがうところにあるのに、世の中の価値は、なにが主流になっているかで決まり、その主流にうまく乗れた人が優位に立ち、そうでない人が劣っているとみなされる。
人が生きやすい世の中と言うのは、その本質がゆがめられない世の中だと思うのです。
私がこの動画で刺さった言葉は、
「31:39 ああ 本当は言葉をうまく伝えられてる人にこそ読んでほしいんです。 あなたがやってることはもしかしたらすごく暴力的なことしてるのかもしれないので 。」
のところです。
生きづらさを減らすには、生きづらいと感じている人がどうにかするのではなく、社会に適応している人たちが弱さをつくる構造に気づくことからしか変わっていけないと思いました。
「暴力的なことをしているかもしれない」この気づきは難しいと思われますです。
希望がないと言っているわけではありません。非常に核心をついていると思われるだけに、困難さがあると思うのです。
さらにまた難しいなと思ったのは、「暴力的になっていないかとうことを皆で気を付けましょう」となると、よけい空気を読むや気配りすることの新たな縛りやプレッシャーになってしまう可能性があることです。
ここまでは気にしすぎかもしれませんが、なんでも過敏になってしまうこともまたお互いを窮屈にさせる。 いまはほんとうに過敏な社会だと思います。
優劣を生む価値観や態度をそれぞれの中で見つけたら、少しずつズラして過度な緊張を緩めていって、みんなで息が吸いやすくなる社会になっていけたらと思います。
【追記】
ビジュアル思考の方のお話、これも面白かったので参考までに貼っておきます。
