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たとえば飛行機にお辞儀のルール

うちの近所は割合に公園が多く、あたりを散歩する犬たちをよく見かけます。そのなかでも私が連れ歩く犬はレトリバーで大きいせいか、通りすがりの方から声をかけられる頻度も高めです。

その日も、両手に買い物袋の女性がにこにこと犬をほめてくださり、立ち話をしていたのですが、その最中に、小さな異変が起きました。

頭上に飛行機のエンジン音が聞こえた瞬間、女性がはっとした表情で空を見上げたのです。そして近づいてくる飛行機に向かい、かしこまった様子で二度のお辞儀をしました。まるで神社の拝殿の前にでもいるかのように。

そして飛行機が視界から消えるまで黙って見送り、最後にもう一度、やはり、神聖なものに対するように深々と一礼。そこに柏手がなかったのが不思議なほどです。

それからまたこちらに向き直ると、何事もなかったかのように話は続き、可愛いわんちゃん、本当にありがとう、とおっしゃりながら、足取りも軽く去って行かれました。

残された私が思ったことは、ひとつだけです。
何だったんだろう、今の。


あまりに自然で澱みのない、それでいて真剣そのもののご様子だけに、あの、何をなさっているのですか、などとは到底聞けませんでした。

ごく常識的に見える大人の女性が、道端で突然、無機物への信仰心めいたものをあらわにする場に立ち会うのは、なかなかに刺激的です。
もし私が近代以前に生まれていたなら、同じように空の飛行物に対し、崇敬の念を示していたかもしれませんが。

公園を横切り、地面や草むらのにおいを嗅ぎつつ先を急ぐ犬に付き合いながら、何かおまじないや願掛けの類だったのだろうか、などとまだ考え続けましたが、ご本人にうかがわない限り、本当のところはわかりません。


ただ、その時私が頭に思い浮かべていたのは、漫画家の水谷緑さんの作品に描かれていた、とあるエピソードです。

漫画の舞台は精神病院で、主人公はそこに勤める看護師です。患者さんはそれぞれ個性豊かな方たちであり、真夏でも常にニット帽という、印象的な女性も登場します。

いくらか気心が知れた頃、主人公がその理由を尋ねると、女性はこう返答しました。
「だって、脱いだら脳みそが出てしまうから」

その言葉に“患者さんの妄想を否定も肯定もしない”という教育を受けた主人公は、淡々とこう考えます。
「ああ、この人はそのルールで生きているのだな」

これが、私にはとても良い考え方に思えました。誰かの言動が自分には奇怪で理解し難いとしても、その人は自分なりのルールを持っているだけだ、と捉えることは、とてもフラットで平等に思えます。たとえその人が精神疾患を抱えていてもいなくてもです。
なぜならそこには、どちらが正しいかという価値判断や、差別意識がありません。


私は自他共に認める短気な性格ですが、私が誰か、あるいは何かに腹を立てたり憤慨する時、そこにはたいてい自分なりのルールとの衝突が存在します。

なぜこうしてくれないのか、なぜこうならないのか。

そんな考えで悶々とする時、そこには本当はこうすべきで、こうあるべきだという願望が隠れています。それはただの決めつけですが、私はしばしば、自分のルールを他の人やものにも当てはめようとしているようです。
そしてそれがうまくいかず、ルールがきちんと適用されない、ないがしろにされていると感じる時に、苛立ちが発動します。

何とも子どもっぽく恥ずかしいお話ですが、おそらくこれは私一人に限った話ではないはずで、よくいる”やたら怒っている人“や”何でも思い通りにしたがる人“というのは、この自分なりのルールに、とりわけ忠実なのかもしれません。自身が絶対だと思っているルールが破られることに、動揺や憤りを禁じ得ないのです。

それでも、大抵の人はそこまで自分のルールに固執せず、うまく外部や他の人のルールとも共存しているはずで、そうでなければ、世の中はとても回りません。
それが不満ならば一人で閉じこもるか、最悪の場合は高い塀に囲まれた建物の中に行かねばならず、皆、そんな事態を避けるためにも外側のルールを守り、中道的な振る舞いに努めているのではないでしょうか。


とはいえ、そこから逸脱したくなるのもまた人間の性であり、そのため時に外側のルールと衝突することもあり得ます。

そこで誰かから変だよと笑われたり首を傾げられたとしても、自らのルールに従うことに何ら問題はありません。
誰か、あるいは何かを意図的に傷つけたり、侮辱をしたり、違法性をはらんでいない限り、自分ルールの厳守上等、というのが私の考えです。

なので飛行機にお辞儀をする女性のことも、理由はどうあれ、ああ、それがあの人のルールだったのだな、と思うに留めています。
確かにちょっと変わってはいますが、それでこちらが少しでも嫌な気持ちにさせられたり、何らかの迷惑を被ったわけでもないのですから。


アインシュタインも言っています。
「この世には2種類の人間しかいない。変わった人間と、もっと変わった人間だ」

こういった心持ちであれば、誰かのことを妙だと嘲笑あざわらったり、あの人は違うからという理由だけで爪弾きにするようなことも無くなります。

だいたい世の中の全員が変わり者の集まりだとしたら、誰かのことを糾弾した途端、返す刀で自分もばっさり、ということにもなりかねません。そのため他人の“何だかよく理解し難いこだわり”に対しても、ああ、この人はそういうルールでやっているんだな、という解釈でいるのが最適に思えます。
その方が生きやすくもなるでしょうし。

では、この辺りでそろそろ失礼をして。
もうずいぶん長く座っていたため、椅子から立って、部屋の中で一歩も動かず走ってみたり、階下に響かないよう注意をしつつ、飛んだり跳ねたりしなくては。
私はこのルールでやっているもので。




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