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そのイライラ、幸せの証ですよ

娘「赤ペンの見直し、やる」

自分からそう言ってくるのは偉い。
しかも娘が苦手な算数だ。
小6程度なら、俺も余裕で教えられる。

が。

娘に勉強を教えると、毎回イライラしてしまう。
口調も厳しく、キツくなる。

娘も必死に食らいつく。
何とか終了。

幹「お疲れ。よく頑張った」

明日の野球の練習着を準備し、寝る娘。
娘が引きずらないタイプで、本当に良かった。
そうでなければ、とっくに険悪になっていただろう。

昨夜、「人格は、テストの点では測れない」という記事を書いたが、これが実態だ(笑)。

なかなか綺麗事では済まない。
勉強がある以上は、こうなってしまう。

ピアノも野球もそうだ。
勉強も含めて、もちろん穏やかに教えられる時もあるんだけど、イライラしてしまうのはなぜだろう?
ちょっと考えてみた。

①できるようになってほしいから
②自分のほうができるから
③教える労力に見合わないから

①できるようになってほしいから

親子は特にそう。
親は子に、色々なことをできるようになってほしい。

「できなかったこと」を頑張れば、できるようになる。
その経験を自信にして、何事にも挑戦してほしい。

しかし、注意することが2つある。

・その期待は、今の子どもに見合ってるか?
・「できる子の親でいたい」という下心はないか?

両方とも「イエス」と言い切れないことはあるだろう。
それは仕方がない。

ただ、自覚は必要。
自覚すれば暴走しない。

②自分のほうができるから

これは親子に限らない。
野球などでは特にそう。

コーチやチームメートが、できない子にイライラする。
もちろん①の気持ちも重なっている。

勉強、ピアノも含めて、自分のほうができると、「なんでこんなことができないんだ?」と思う。
冷静に考えれば、無茶なのはイライラしてる側。

できない子は、必死に頑張っている。
それでもできない。
教える側は、それを分からなければいけない。

③教える労力に見合わないから

ハイ、これも教える側が勝手に盛り上がってるパターン。

「何回言えば分かるんだ?」

答えは簡単。

「分かるまでの回数です」

その回数は、教える側が決めることではない。
教わる側の理解のスピード。
もしそれを速めたければ、教える側が工夫するしかない。

以上、3つのイライラ要因を挙げた。
正反対を考えてみる。

①別にできるようになってほしいとは思わず、
②自分よりも、その子のほうができて、
③ちょっと教えただけで、グングン伸びる。

ああ、これならイライラしない。
しかし、これは楽しいか?
親子と呼べるのか?

②は、ある。
俺は息子のプログラミングにはイライラしない。
全く教えられないからだ。

娘のピアノも、来年あたりそうなるかもしれない。
そしたらイライラは減るだろう。

③も、ある。
イライラは少ない。

しかし、できない子ができるようになった時の、とてつもない喜びは、味わえないだろう。

①は、自分が興味のないジャンルならあるだろう。
しかし、全てそうなった関係は、親子として寂しい。

親が子に「できるようになってほしい」と思うのは宿命。
それがあるから、子育てができる。

つまり何が言いたいのかというと、親子である以上は、イライラから逃れられない。
もっと大きく捉えればいい。

イライラする気持ちも含めて、幸せなことだ。
そう捉えて、明日も幸せにイライラしよう。
もし明日、イライラしたら思い出そう。

「そのイライラ、幸せの証ですよ」と。

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