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映画『国宝』感想 血は武器にも足枷にもなる

遅ればせながら見てきました!
前評判があまりにも良かったので、期待値高すぎて怖かったけど本当に素晴らしい映画でした。
3時間という上映時間の長さでしたが退屈なシーンは全くなく、むしろ展開としてはポンポン進んで、もっと見せてー!ぐらいに思えたパートもありました。
歌舞伎のことは全然知らなくてそこも不安だったのですが、重厚なストーリーと俳優の演技、そして圧倒的な迫力と映像美に終始釘付けでした。これは絶対に映画館で見るべき映画!!

興奮冷めやらず、いつものように感想を書いていきたいと思います。

↓これより下はネタバレを含みます


歌舞伎パートの艶やかさ

私は歌舞伎を一度も見たことがないけれど、まず、大きな劇場とライトアップされる舞台、豪華なセットと煌びやかな衣装が映画館の巨大スクリーンに映し出される様子は圧巻で、初めて劇場を訪れた幼少期の喜久雄のようにわくわくしました。

そしてストーリーの各所に挿入された歌舞伎の演目シーン。
役者たちの鬼気迫る演技には圧倒されたし、素人にも分かる所作の美しさ、そして荒々しさ。
この人たち、本業で歌舞伎やってる人じゃないの?と思えるほどの、劇場の豪華さに全く見劣りしない演技力と立ち振る舞いの一挙手一投足に、1秒足りとも目を離すまいという気持ちで見ていました。

『二人道成寺』を演じる喜久雄

特に女形は、本当に男性?と思えるほど、色気があってとても美しかったです。
実は私は趣味でダンスをやっているのですが(プロでも何でも無いので偉そうなことは言えないのですが)、パフォーマンスで色気を出すことってものすごく難しいと思います。
同じ動きをしていてもちょっとした腕や首、体の角度が少しでも変わるだけで見え方が全然違うし、表情や、視線の持っていき方で全く違う印象となります。
女より女らしいというか、主演2人が舞う様子息を飲むほど美しかった。

映画全体としてはストーリーがポンポン進んで展開が早く、登場人物の心情の変化そのものにはあまりフォーカスされない印象でしたが、
代わりに歌舞伎のシーンを重厚に描くことで、役を演じるという行為を通じて自分の熱量や想いを表現しているように感じました。
何が何でもこの世界で生き残ってやるんだという喜久雄の心意気が、血ではなく技の力で成し遂げてみせるんだという俊介の執着にも近い信念が、演じる役を自分に憑依させるだけでなく、己の気持ちとリンクさせて放出しているのだ、と個人的には思いました。

世界観に負けない主演2人のパワー

ほとんど前情報を入れずに映画館に足を運んだのですが、ヤクザの息子である黒川想矢くんが成長したら横浜流星になるのかなと見ながら勝手に思っていて、刺青の掘られた背中のカットが引いたらバーンと吉沢亮の顔面が映り、えーそっちなの!?と正直思いました。
吉沢亮って綺麗でええとこの坊ちゃんそうな顔してるし、横浜流星もかっこいいけど少しの野性味を感じるから(すみません)。
でも2人の演技を見て、これが正解だったんだと確信。
吉沢亮演じる喜久雄はキレイな顔立ちしてるけど一度プッツンすると手が付けられなくなる危うさを持っているし、横浜流星演じる俊介はチャラチャラしていて軽そうに見えるけど中身は真面目で育ちの良さを感じる。
このバランスが素晴らしく、納得のキャスティングでした。

2人とも本当にかっこよくて大好きなのですが、顔がかっこよすぎるが故に、実はこれまで個人的には正直そこまで演技派俳優のイメージがなく(すみません)。
でも本作の2人の、咽び泣くシーンや喧嘩するシーン、自暴自棄になるシーン、そして魂のこもった舞のシーンを見て心が震わされ、本当にすごい俳優やんけ…と己の身を恥じました。

何度も言うけどやっぱり歌舞伎のシーンがすごいよね。
まず、吉沢亮と横浜流星が煌びやかな衣装に身を包んで化粧をして出てくるだけでもチョー美しいのに、
しとやかな振る舞いと目線をスクリーン越しに食らって、特に2人が同時に舞った『藤娘』では、やばい「美」の権化が2人出てきた…てかどっちが横浜流星?どっちが吉沢亮…?ア…わかんねえ…どっちも美しすぎる…アッ…もうこれ国宝…タイトル回収やんけ!!!(?)
みたいな、しとやかな振る舞いと目線、微かに微笑むセクシーな口元に、アホの感想しか出てこなくなってしまいました。
もちろん美しいだけでなく、役が憑依しているかのような狂気に満ちた迫力のある演技に、見ていて鳥肌が立ちました。

は?美しすぎてキレそう…

脇を固める俳優と2人を支えた女性たち

主演の2人はもちろんのこと、脇を固める俳優たちも素晴らしかったです。
渡辺謙、田中泯の歌舞伎チームはもちろんのこと、三浦貴大もこういうマネージャー、いそう〜感が良かった。
さらに今回、歌舞伎という、男性がスポットライトを浴びる世界の物語だからこそ、男性たちを支えた女性陣にも注目していきたいと思います。

まず寺島しのぶ。喜久雄のことも気にかけつつ、息子の身を誰よりも案じて時に声を荒げる様子がとてもとても良かったです。
愛人役の三上愛は、歌舞伎の世界を理解しつつ一歩引いた演技が良かった。
森菜々ちゃんは、先日『四月になれば彼女は』を見たばかりだったので、やっぱ透明感ええなあ…と思っていたところ登場からすぐに食われてしまったので、なにくそー!!という気持ちになってしまいましたが、やっぱり、家を勘当された後も喜久雄を懸命に支える様子が健気だったし、でも段々とボロボロになっていって最後に「どこ見とんの」と言い放つセリフは初登場時とのギャップにくらくらしました。

そして今回最高だったのが、花江を演じた高畑充希。
中盤のシーン、『曽根崎心中』の演目の最中に思わず客席から飛び出してきてしまった俊介に寄り添い、手を取ってそのまま消えてしまった行動には、ええー!お前喜久雄がいるやろがい!と私も初めは思ったのですが、
確かに、弱っている人に寄り添いたい、寄り添ってあげたいと思う気持ちは分からなくもない。
苦しんでいる人を守りたいという気持ちは、一種の庇護欲なのかもしれません。
花江の生い立ちや喜久雄との出会いについては映画で詳しく書かれていなかったですが、幼い頃に親を殺された喜久雄と関係を持ったのも、彼女のそういう欲求によるものなのかもしれません。
でも何にせよ、上阪して水商売で生計を立てながらも喜久雄を支え、物分かりのいい女として結婚の誘いを断り、でも最終的には俊介と一緒になり歌舞伎の道での正妻となる…
女としての健気さも感じ、同時にしたたかさやずる賢さのようなものも少し感じました。
何にせよ、悪役には決してならず、上手いバランスで演じていた高畑充希はさすがでした!!

かわいい。この顔になりたい

血は武器にも足枷にもなる

血統、血筋、血族。この映画では、「血」に踊らされた2人の人生が描かれています。
作中でやはり一番印象に残ったのは、半ニ郎の代役として『曽根崎心中』のお初を演じることになり、公演前に震えが止まらなくなってしまった喜久雄と、それを慰める俊介のシーン。
そんな喜久雄が俊介を前にして放つ「血が欲しい」というセリフは、どんなに練習しても本家の血筋を得ることはできないという現実をも恨んでいるようで、胸が締め付けられるほど苦しく、それでいてぞくぞくするほど猟奇的でした。
それに対して、優しく抱きしめながら「お前には芸があるやないか」と微笑む俊介の、プレッシャーに押し潰されそうになる喜久雄の心に寄り添いながらも、芸に優れたその姿を認めつつ、かと言って彼の欲しがるものは何も分け与えることができないというもどかしさを感じ、切なくて切なくて耐えきれませんでした。

歌舞伎のことは詳しくないですが、やはり誰の血族か、というのが重要視される世界であるのだと感じます。
歌舞伎の才能がある、つまり「芸」を持つ喜久雄は、どんなに芸の技術を磨いたとしても、「血」がないという理由で様々な酷い目に遭います。
己の身を守ってくれる、自信に繋がるための血がないこと、その自信を努力でカバー出来たとしても、歌舞伎界で生き残るための後ろ盾が無いことや、世間からのバッシングも受けやすいこと。

この世界で、血というものがあればどんなに生きやすいか。
目を覆いたくなるようなむごいシーンも経て、一度はどん底まで落ちた喜久雄ですが、最終的には技だけを追い求めることで、人間国宝まで上り詰めます。
ただ、血がないというハンデを跳ね除けるためにただ歌舞伎のことだけを考えて努力をしたのでしょう。
「歌舞伎以外のものは何もいりません」「悪魔と取引した」と娘の前で発言したように、恋人や奥さん、子供、人並みの幸せ、友人、さまざまなものを犠牲にせざるを得なかったのだと思います。

まっすぐな視線が美しい

そして俊介もまた、喜久雄と同じように「血」に苦しめられた人生だったのではないでしょうか。
歌舞伎の世界で、有名な歌舞伎役者の血を引いているということは、才能が保証され、活躍のための環境も充分に用意されている。
ただ、「血」という最大の武器を持っているにもかかわらず、それでも叶わない本物の「技」を目にした時、つまり喜久雄の演じる『曽根崎心中』のお初を目にした時は、自分には敵わないと確信し絶望に打ちひしがれたのではないでしょうか。

「血」を持つ者は恵まれているように見えて、たくさんの苦悩があると思います。
才能のある親や兄弟との比較。
家族や周囲からの期待とプレッシャー。
別の道に進むことが許されない環境。
これは何も歌舞伎役者だけではないし、たとえばテレビに出ている二世俳優だってそう。
政治家や医者、弁護士などの職業もそうですし、世襲制や、一族経営という言葉もあります。
血を持っているということはその道を進む上で大きな武器になり得るけど、同時にその血に苦しめられることもある、人生の足枷になる場合だってある。
映画を見て、そんなことを思いました。

だけど作中の俊介は、自分に流れる血に慢心することもなく、喜久雄の才能に一度は逃げ出したもののしっかりと己の技と向き合います。
血がある者とない者という違いはあれど、技を磨き続けた者同士という意味で2人は真のライバルとなり得たのだと思います。
そして俊介は最期の力を振り絞り、決死の思いで『曽根崎心中』のお初を演じました。
お初という人物の心情ともリンクし、死にゆく恐怖と、最期の瞬間を喜久雄とともに迎えられる喜びが、迫真の演技から伝わってきました。
そして糖尿病で壊死する脚(皮肉なことに、これも血の繋がり)を引き摺りながらも何とか舞を終えた瞬間、俊介は化粧の落ちた顔面で笑みを浮かべます。
これはかつて演じることのできなかったお初を今度は演じ切ることができた、まさに自分の「血」を乗り越えることが出来たという達成感を感じていたのではないでしょうか。
そして、あの時最期を看取ることができなかった父に対する弔いであり、演じ切れた瞬間に肩の荷が降り、あの世の父と繋がれたのだと思います。
血を乗り越えると同時に、血の繋がりをも感じさせるような素晴らしいシーンでした。

どうかananの世界でだけでも幸せになってくれ…ていうか2人とも本当に顔がいい

最後に

とりあえず、熱量をビンビンに感じて、本当に素晴らしい映画だった!
ていうか主演2人が本当にすごかった。
原作も読んでみたくなりました。

とりあえず、吉沢亮は血を追い求めすぎるあまりに吸血鬼になっちゃったって理解でOK?

シリアスからギャグまで温度差すごすぎんだろ。大好き。

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