映画『四月になれば彼女は』愛を終わらせない方法とは
Amazonプライムビデオで6月~配信されたとのことで、視聴しました!
原作は川村元気、監督は山田智和。
ちなみに本作『四月になれば彼女は』、数年前に原作の小説を読んだことがあったのですが、大まかなストーリーしか覚えていなかったので、映画も新鮮な気持ちで見ることができました。
ちなみに川村元気さんの小説は『世界から猫が消えたなら』も読んだことがあるのですが、調べてみるとどうやら本業は映画プロデューサーのようです。
『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』『怒り』『何者』を手掛け…え、めっちゃ有名作ばっかりですやん!!それなのに小説もヒットしてるとかすごすぎる!!!
↓これよりネタバレを含みます
原作では表現し得ない、物語全体の画
何よりもまず、映像が本当に綺麗でした!!
ボリビアのウユニ塩湖や、チェコプラハの街並み、アイスランド。
もちろん原作の描写も素晴らしいのですが、2人が見たかった海外の絶景を、映画の中で実際に見ることができます。
特にウユニ塩湖はとても綺麗で、これをスクリーンで見たら圧巻だろうなと思いました。
私はAmazonプライムで、自宅のちっさいテレビで見てしまったけど、それでも感動していつか現地に行ってみたいなと感じました。

そして本作のモチーフが「写真」であるからこそ、原作を映像化する意味があると感じました。
ペンタックスで撮影した写真を、液に付けたり、乾かしたり、1枚ずつ現像していく作業の描写。
そして現像された、自然体で笑っている人物たちの写真。
物事を描写する方法の1つとして「言葉」があります。言葉を尽くして物語を伝えようとするのが文章や小説だと思いますが、美しい自然や景色、人の複雑な表情など、映像作品でしか表現できないものも一部あるなと感じました。
ハルが作中のセリフで「目に見えない物を撮りたい」と言っていたこともあり、特に写真にはにおいや息づかい、心情など、さらに目に見えないものまでを映し出す力があるのかもしれませんね。
主要キャスト3人の見事な演技
本作のヒロインは2人。
対照的に描かれる2人の女性のことを、森七菜と長澤まさみが完璧に演じていたと思います。
ハルを演じた森七菜は、あどけなくて純粋で、守りたくなるような背の低さでかわいらしく、思い出の中にいる儚さを持つ。弱そうに見えるけれども最後には自分の意思を貫いた芯のある女性。
弥生を演じた長澤まさみは、仕事に打ち込むしっかりした女性で、キリンのように背が高くて美しく、婚約者として一緒に毎日を過ごしている。強そうに見えるが、恋愛に対しては臆病なところもあり、弱さや暗さが見え隠れする女性。
全く違う性格で異なる描かれ方をしている2人ですが、同じ男性を愛しそして愛された女性として、ホスピスで心を通わせ会話するシーンは、見ているこちらも「愛」について考えさせられるような、そんなシーンでした。
そして何より、主演の佐藤健…かっこよすぎるよね(そこ?)
最近たまたま2018年のドラマ『義母と娘のブルース』を見たばかりだったので、麦田というハッピーおバカ役を演じていた佐藤健の印象が強く残っていて、個人的には本作とのギャップに驚かされました。

ですが、今をときめく俳優の佐藤健は、昔は二枚目から三枚目まで色んな役を演じていたような気がしますが、最近では『恋はつづくよどこまでも』『First Love 初恋』『はたらく細胞』など、クールでかっこいい役どころを演じることが多いような気がします。
本作に登場するフジも、精神科医の職につき婚約者もいるという安定した生活を送り、どちらかというとそこまで感情を表に出さないクールなキャラクターです。
近年の作品でクールで完璧な男性のイメージが付いている佐藤健は、本作の淡々とした性格のフジとすごくマッチしていました。
さらにラストの、フジが感情をあらわにしながら海辺で弥生に駆け寄るシーンは、クールなイメージを持つ佐藤健が演じるからこそ、一段と際立っているように感じました。
なぜ弥生はハルに会いに行ったのか?
失踪した弥生からの手紙を読み、ようやく自分の過ちに気付いたフジ。
写真を撮る時も「人と向き合うのが怖い」と言っていたし、精神科医の仕事でも患者に対して淡々と接している。詰まった排水溝に気付くが何もしない、グラスが割れたときも2人で選んだときのことを忘れていて黙々と片付けるだけ。
そんなフジが弥生からの手紙を読み、そこで初めて、自分が弥生にちゃんと向き合っていなかったことに気付く。
そして、彼女のことを深く知るために、動物園に足を運んで彼女が愛してやまない動物のことを調べていくのですが、ここのシーンがまた面白く、愛おしいですよね。
彼女のことを知るために、彼女の好きな物を理解しようとする。
弥生も同じだったのではないかと思います。
「愛することをさぼった」との発言が意味するように、長く時間を共にしすぎた2人は、一見うまくやれているように見えて、深い心の繋がりがなくなっていた。
出会った頃のような愛が失われてしまったこの状態で、果たして結婚していいのかどうかと不安に駆られた。
また、「幸せになるのが怖い」という発言。
1度上り詰めてしまったらその後は落ちるだけという考え方は、先日鑑賞した映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』に出てくる「最高の幸せは最大の絶望を連れてくる」というフレーズに似たものがあると感じました。
愛が手に入ったら、逆に退屈になって冷めてしまうかもしれない。
結婚という、2人の関係をさらに進める行動を起こすことで、逆にお互いの心が離れていってしまうのではないか。
そんな様々な不安が重なりあって、「逃げる」という選択を選びます。
そして、弥生がフジの前から姿を消すだけでなくハルに会いにいくことにしたのは、
弥生のことを知りたくて弥生の好きな動物を見に行ったフジと同じように、
弥生もまた、フジのことを理解するために、ハルに会いにいったのではないかと思います。
フジがかつて愛し、フジに愛された女性。
一目見るだけではなくホスピスで働くことで、近い場所で彼女の存在を知りたかった。
これはハルを通してフジのことを知り、理解しようと思ったが故の行動なのではないかと思います。
結果的に、ハルと直接会話をすることで、彼女の人柄や撮る写真、まっすぐな思いに触れ、弥生自身の心も解れていきます。
一見すると元カノと今カノが対峙する激ヤバシーンなのですが…お互いがお互いの存在を認識してなお、海辺で「愛」とは何なのかを噛み砕き、そして噛み締める2人の様子は、とても綺麗でしたね。
「愛を終わらせない方法」とは結局なんだったのか
この謎かけを残して消えてしまったハル。
作中の回想シーンで「手に入れないこと」という答えは一応出てきますが、「愛を終わらせない方法」は物語全体の問いとして視聴者に問いかけられているような気がしました。
ただ、ここでいう「愛」とはなんでしょうか。
「愛すること」?それとも「愛されること」?
個人的には、この場合は愛するなどといった「行為」を表すというよりは、2人の間に存在するもの、という考え方をした方がしっくりきました。
「愛」とは2人で大切に育てていく、満たしていくものなのではないかと思います。
私にも一緒に暮らしているパートナーが居ますが、たしかに始めは新鮮だった生活が徐々に当たり前になってきて、今は少しお互いを思いやる時間が減ってきてしまっているかもしれないな、と作中のふたりを自分たちと重ね合わせてしまいました。
同じ時を過ごし続けていると、人間ならば誰しも、新鮮だった毎日に飽きが来てしまう。
だけれども、どちらか一方ではなく、2人で力を合わせてこの問題に、そしてお互いの存在に向き合い続ける必要があるのだと思います。
かつてお互いを愛したという事実は消えないしはっきりと残っているから。
それを思い出させてくれる記憶や思い出は、物や、手紙や、写真の中にたくさん存在するのだから。
あえて言葉にするならば、愛を終わらせない方法の答えもまた、愛なのではないでしょうか。
そして藤井風の歌う主題歌『満ちてゆく』、伸びやかなリズムが心地よく、とてもいい曲ですね。
晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
2人で長い時間を過ごしていくと、新鮮さは薄れてしまうし、色々な問題にも直面します。
日々が変わっていくことや、失ってしまうこともあるかもしれないけれど、それでもお互いに歩み寄り、分かり合おうとする努力をすることこそが、見返りを求めず無条件に愛することであり、それによって2人の間の「愛」が育まれ、『満ちてゆく』ということなのではないかと思いました。
映像も主題歌も、美しい画と音楽で語りかけてくるような、そんな綺麗な作品だったなあ~
わたしも身近な愛を、これから大切に、変わりゆく日々の中で満たしていこうと思います。

