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自分が歌うより、その声が届く道を照らしたい。表現のそばで6年考えた『編集』



「編集者」を名乗っているのに、なんならライターもやるし音楽をやっているのに、僕は歌詞を書くのが苦手です。

ライブもする。曲をつくったり、たまに歌ったりもする。人前で表現をすることに、抵抗があるわけでもないんです。でも歌詞だけは、どうにも難しい。

自分の言葉に照れてしまう、というのもあります。ほかの誰かが書いたいい歌詞に出会ったとき、その仕掛けや仕組みがすこしだけ言語化できてしまう、ということも。どうしてこの言葉が届くのか。どこまで具体で、どこから余白なのか。なぜこの順番だと景色が立ち上がるのか。わかるからこそ、自分で書くのが億劫になってしまう。でも、Campで6年ほど編集の仕事をしているうちに、その考え方がすこし変わりました。

自分が言葉を書くことよりも、すでにいい言葉や表現を扱える人のそばに立つこと。その言葉や表現を洗練させるだけではなく、誰に、どう見せ、どんなかたちで届けるのかいっしょに考えること。編集やディレクションという仕事を続けるなかで、そういった行為の楽しさや必要性が見えてきました。

僕は、7月末でCampを退職します。6年以上、編集者として、ディレクターとして、主に記事やWebサイト、冊子なんかをつくる仕事に関わってきました。

自分のなかにあるものを言葉にするのはずっと迷いがあるのに、誰かの言葉や表現が多くの人に届くかたちを考えることは好きだった。自分は、表現する人になりたかったのか。それとも、表現する人を支える人になりたかったのか

なんだか大げさなもの言いですが、もちろん常に全力でこの問いにぶつかってきたわけではないです。ふだんは企画を考えたり、Webサイトのワイヤーフレームを引いたり、取材の質問を考えたり、ライターさんとともに原稿をつくったり、こまごまとスケジュールを調整したり……。画面越しに突きつけられる問題にあくせくしていることがほとんど。

この記事では、そうやって僕がCampで関わってきた仕事をいくつか振り返りながら、自分にとって編集やディレクションという仕事がどういうものだったのかを、あらためて考えてみようと思います。

「編集」は記事をつくること、だと思っていた

子どものころから、文章を読むのは好きでした。

学生時代によく読んでいたのは、『CINRA』や『Qetic』、『indiegrab』のようなカルチャー系のWebメディア。英語がわかるようになるとすこし背伸びして『Pitchfork』。友人との会話やSNSで拾うこともあったけど、知らない音楽やカルチャーに出会う入口は、かなりの割合でWebメディアだったように思います。

記事を読んで、知らなかったアーティストを知る。インタビューを読んで、作品の聴こえ方が変わる。レビューや特集をきっかけに、自分の好きなものがすこしずつ増えていく。誰かが誰かに話を聞いて、試行錯誤の末にかたちにした記事に、高校生から大学生の須藤はかなり育ててもらいました。まだまだ知らない世界を知るという意味でも、その先にあった音楽という意味でも。だから、いつかはWeb編集の仕事をしてみたかった。

当時の僕にとって編集とは、企画を考えて、取材して、原稿を書いたり整えたりして……とにかく「記事をつくる仕事」。雑誌や本やWebメディアに掲載される文章をつくることが「編集」だと考えていました。間違ってはいない。間違ってはいないけど、今思うとかなり狭い。

学生時代のある日、西荻窪にあった「喫茶WANDERUNG」で、Campの代表である横田さんと出会いました。音楽に関わり、喫茶店に立ち、編集や原稿の仕事もしている。え、Webサイトとかもつくってるの? 当時の僕から見ると、横田さんはかなり不思議な大人。

メディア運営やWeb制作をやってみたいと相談するうちに、すこしずつCampで働くことを考えるようになりました。ただ、そのころの僕はまだ、そこで自分が何をつくることになるのか、あまり具体的にはわかっていませんでした。

Campに入ってから知った編集は、もっと広かった。というか、もっといろんなものを含んでいました。文章だけではなく、Webサイト、冊子、イベント、企画、進行、チームとのやりとり、クライアントとの合意形成

当時はコロナ真っ只中、入社式もオンラインでした

企画や言葉だけを見るのではなく、関わる人たちの考えを整理して、何を大切にのこすのか、どういうかたちにすれば届くのかを考える。これは編集にもディレクションにも共通します。

そのことをはじめて体感したのが、Campのコーポレートサイト制作でした。

編集者もディレクターも「方向を示す人」

入社してすぐに関わった仕事が、自社のWebサイト制作というのも珍しいですよね。入社前は、記事をつくる編集者になるとばかり思っていたので、最初の仕事がWebディレクションというのはまったくの予想外。

細かなリニューアルはされているものの、大枠は当時のまま使われています(サイトを見る

スケジュールをつくって、ワイヤーフレームを引いて、デザイナーさんとエンジニアさんをアサインする。社内の声を拾い上げて、デザイナーさんに伝える。いくつかの案のなかから、ロゴやデザインの方針を定める。できあがったデザインラフをエンジニアさんに渡して、実装されたものを確認して、デバッグして、修正していく。

もちろん事前のレクチャーもあったし、先輩たちも並走してくれてた。今となっては「なるほど、Webディレクションですね」という感じですが、当時大学を出たばかりで「いい記事をつくるぞ!」とだけ意気込んでいた僕は、なにもわかっていませんでした。

「ディレクションってなに?」「ワイヤーフレームって言葉、はじめて聞いたぞ」「WBS? CMS……??」そんな状態。

自分が所属する会社のコーポレートサイトなので、当然ながら社内のいろいろな人の意見を反映しなきゃいけません。デザインをしてくれた中屋辰平さんが出してくれたロゴのパターンやデザインの方向性を全社に共有して、なるべくみんなの声を聞きながら進めていきます。

ただ、全員の意見を聞くことと、その意見をそのまま反映することは違います。ここが本当に難しかった。

集まった意見を整理して、どこに向かうべきかを考える。これまで自分が見てきたWebサイトやデザイン、記事、音楽、カルチャー、そういうこれまで見てきた「いいもの」をもとにした判断基準を総動員しながら、最終的には自分が舵を切らないといけない

そのためにも、まずは「いいもの」をたくさん見てインプットしないないといけないのだと痛感しました。サイトリサーチも、この時期にかなりやった記憶があります。なにがよくて、なにがCampらしいのか。うまく説明できないまま「なんかいい」では進められない。

「ディレクション」の意味は「方向」。ディレクターはつまり、方向を示す人。耳なじみがあっただけのこの言葉の意味を、初めて仕事として思い知りました。

Webサイトにも、編集者の目は活きる

その後も多くのWeb制作案件を担当するなかで、2023年に担当した『NiEW』のメディアサイト制作は、かなりうれしい仕事でした。

『NiEW』は、僕が憧れていたカルチャーメディア『CINRA』の創刊編集長・柏井万作さんとJ-WAVE.が手を取り、「TOKYO POP CULTUREを世界へ」というビジョンを体現するために立ち上げたカルチャーメディア。音楽、映画、ドラマ、アート、演劇、ダンス、文芸、ファッションなど、かなり幅広いカルチャー情報を扱っています。しかも、元同僚で旧知の仲である柏井さんと横田さんが「ひさびさにいっしょに、おもしろいサイトつくろう!」と始まったプロジェクトは、メディア機能だけではなく、ラジオ、イベント、動画、多言語展開まで含めて発信していく構想でした。

柏井さんから言われていたのは、「あのころのカルチャーの匂いたっぷりの、新しいWebメディアをつくりたい」ということ。この「新しい」が難しい。見た目なのか、体験なのか、情報の出会い方なのか(たぶん全部だった)。

サイト内でSpotifyを聴けるようにしたり、ファーストビューに特集のキービジュアルが断ち切りで入るようにしたり、アクセスするたびにロゴやメニューの色が変わるようにしたり。Webメディア黎明期の賑やかさやガチャガチャ感へのリスペクトもあり、右から左に情報が流れるマーキーや背景用のアニメーションも制作しました。

サイト上で音楽が聞けるメディアサイトは、当時日本にはなかった……はず

今のWebサイトではあまり見かけなくなった表現も、あえて入れる。既存のWebメディアの見慣れた体験を、すこしずらすための仕掛け

その一方で、メディアサイトとしての情報設計はかなり綿密に行いました。

記事一覧では、MUSIC、MOVIEなどのカルチャージャンルを、タグだけではなく色でもわかるようにしました。さらには記事としての種別、つまりコラムなのか、インタビューなのか、ニュースなのか、といった情報も整理しないといけない。実は連載、ニュース、特集など、大枠の記事種別によっても一覧の見え方は全然違います。

コントリビューター(ライター、編集者、カメラマンなど)をかなり尊重したつくりになっているのは、ふだんからクリエイターと間近で接している編集者ならではの視点だったかもしれません。

コントリビューター一人ひとりにサムネイルや説明を設定。ジャンルでの絞り込みもできます

Webサイトをつくっているのだけど、考えていることはかなり編集に近い。読者が記事とどう出会い、どう読むか。サイト内をどんなふうに回遊するか。誰が書いていて、誰が登場しているのかまで、メディアらしさを表現しなくてはならない。

編集方針やメディアの空気を、ワイヤーフレームやUIに翻訳していく。『NiEW』のWebサイト制作では、自分の編集者としての経験が、Webの情報設計にもちゃんと活きるのだと感じました。

言葉の奥にあるものを聞きにいく

『NiEW』では、記事制作にも関わらせてもらいました。

僕が書いたのは、インディーフォークバンド・ROTH BART BARONの三船雅也さんと、写真家・島村吉祥丸さんの対談記事。三船さんとは、コロナ禍にアバンクというパートナー会社で映像配信の仕事を学んでいたときに知り合いました。その縁もあって、特集であらためて話を聞かせてもらうことになりました。

対談のテーマは、音楽と写真の関係性

三船さんは、音楽家でありながら写真家でもある。アルバム『8』の発売にあわせて、初の写真集と写真展も開催していました。その展示では、アルバムに入っている1曲ずつに合わせて、さまざまな表現者が作品をつくっていた。島村吉祥丸さんも、その展示に参加していたひとりでした。

音楽を中心に幅広く表現活動を続ける三船さん。写真家でありながら食、フレグランス、ファッション、ギャラリーの運営など活動の幅を広げている島村さん。表現の種類はたくさんありながらも、自分のなかにある世界や想いを届けるために、いくつもの手段を選んできたふたり。

そのふたりに、それぞれの表現手法がどう関係しているのか。音楽が写真にどんなインスピレーションを与えるのか。そんな話を聞きたいと思っていました。

企画書には、裏テーマとして「社会が望む姿」を求める日本の社会への違和感に、ふたりがどう向き合っているのかも聞きたい、と書いていました。写真集に収録された三船さんの言葉や、『8』に収録されている楽曲の歌詞から、そこに触れられるのではないかと思ったからです。

取材って、目の前の作品について聞きながら、その奥にあるものへすこしずつ降りていく作業なのだと思います。

音楽について聞いているようで、写真について聞いている。写真について聞いているようで、社会との距離感について聞いている。作品の話をしているようで、その人がどう世界を見ているのかを聞いている。

もちろん、最初からうまくいくわけではありません。質問を用意していても、取材中に話が思わぬ方向へ進むこともある。用意していた問いよりも、相手がふと口にした言葉のほうが、その人の真意に近いこともあります。

横田さんからは、「取材は生モノだから」と言われることがよくありました。撮影にもインタビューにも、その場だけの魅力が生まれる瞬間がある。準備は必要だけど、予定通りに進めることを目的にしない。

相手の言葉の揺れや、その場で起きていることに反応しながら、表現の奥にあるものを聞きにいく。その感覚は、このあたりから自分がつくるインタビュー記事の根っこになっていった気がします。

記事はまだひとつですが、もっと増やしたい。がんばりますね、柏井さん……!

自分自身、表現したいという気持ちがまったくないわけではない。でも、すでにすてきな表現をしている人がいるなら、その人のなかにあるものをもっと知りたいし、その表現をもっと世に届けていきたい

自分の言葉を前に出すよりも、誰かの言葉が立ち上がる場所に立ち会うこと。その言葉が届くためのかたちを考えること。

このときに、自分にとっての編集のおもしろさの端っこを掴めた気がします。

その人の世界の見方に、表現は宿る

もうひとつ、自分の編集観に大きく影響している仕事があります。Campでメディアプランニングもサポートした、アイウェアブランドJINSが運営するWebメディア『JINS PARK』の「『見る』の開拓者たち」という連載です。

料理人、落語家、盆栽職人、登山家など、いろいろな分野の人に「見る」ことについて話を聞く連載。JINSのメディアだと考えると、ある意味ストレートな企画ですが、取材回数を重ねるごとにどんどん深みが増していくテーマでした。

なかでも思い出深いのは、盆栽職人・木村正彦さんの取材。

「取材させてください!」と企画書を携えてご自宅まで伺ったのもいい思い出です 
※画像クリックで全文が読めます

木村さんにとって盆栽は、小さな鉢のなかに木を収めることではありませんでした。そこに、大きな自然や長い時間軸、目の前にある原木を通して、まだかたちになっていない景色を見ている。

盆栽というと、完成された美しい作品を鑑賞するものだと思っていました。でも木村さんの話を聞いていると、実はそこに「完成」はなく、時間をかけて手を入れ続けるものなのだとわかってくる。木の癖を見て、枝ぶりを見て、その木が持っている可能性を見ながら、すこしずつ景色を立ち上げていく。

「見る」というのは、ただ目の前にあるものを認識することではない。まだかたちになっていないものの輪郭を見つけることでもある。

この連載を通じて、表現について考えることが増えました。

表現とは、きれいな言葉を使うことでも、目立つかたちにすることでもなく、その人のなかにある「世界の見方」が表に出ることなのかもしれない。

ちょっとまた大きなことを言ってしまったかもしれない。でも、『JINS PARK』の取材をしていると、本当にそう感じる瞬間がありました。

いい表現をしている人は、技術があるだけではなく、その人なりの世界の見方を持っている。その人にしか見えていない角度がある。だから、その人の言葉や作品に触れたとき、こちらの見え方まですこし変わる。

編集者の仕事は、その見方に触れることなのだと思います。そして、それを別の人にも触れられるかたちにすること。

取材をして、構成を考えて、原稿にして、見出しをつける。作業としてはいつも通り。でもこのころの自分は、その奥で、誰かの世界の見方を、別の誰かに手渡そうとしていました

編集で、表現が続くための道をつくる

最近関わっている仕事では、EPADの連載「舞台のあしあと」も、自分の目指すあり方と重なる部分があります。

EPADは、舞台芸術のアーカイブに取り組む団体。アーカイブといってもただ保存するだけでなく、デジタルシアター化して公演を丸ごと再現するような取り組みまで行っています。舞台は、その場に立ち会うことで生まれる表現。生の良さはもちろんですが、だからこそ、もう一度出会えるかたちにすることには、大きな意味があります。

「舞台のあしあと」は、舞台に関わる人たちに、影響を受けた作品やアーカイブの意味を聞く連載です。

ただ、自分としてはそれだけではなく、その人の表現の根幹にある想いにも触れたいと思っています。なぜ演劇をするのか。なぜ舞台に立つのか。なぜその表現を続けているのか。

もちろん、毎回そこまで簡単にたどり着けるわけではありません。アーカイブの話を聞いているはずが、記憶や原体験の話になり、気づくとその人の表現の原点に近づいている。そういう立体感は、お話を聞くのであればできるだけ表現したいと思っています。

表現や作品が届いていくためには、続いていくためには、出会い方の問題、伝え方の問題、そもそもの仕組みや人手の問題ーーいくつもの障害がある。EPADは、それを解決する気概をもって活動しています。だから、作品をのこすことと同時に、表現する人が見たもの、心を動かされたこと、舞台芸術を続けてきた理由を、いっしょに次の誰かに手渡したいと考えているんです。

すこしずつですが、そういう障害を片付けて、表現が続くための環境をつくること。それもまた、編集やディレクションの仕事なのかもしれないと考えるようになりました。

「表現する人」と「表現を支える人」は遠くない

ずっと、自分の歌詞が書けないことに少し引っかかりがありました。
自分は表現する人になりたかったのか。それとも、表現する人を支える人になりたかったのか。ここまで書いてきても、その問いの答えが出ているわけではありません。

Campで働くなかで、たくさんのライターさん、カメラマンさん、イラストレーターさん、デザイナーさん、エンジニアさんといっしょに仕事をしてきました。取材でも、本当に多くの表現者に話を聞かせてもらいました。

そのたびに思います。やっぱり、すごい人はすごい。無理にその人たちと同じ場所に立たなくてもいい。自分がずっと「表現者」であり続けなければいけない、ということもない。これは、かなり正直な気持ちです。

でも同時に、自分の表現をやめる必要もない、とも思っています。音楽をつくったり、たまに歌ったり、うまく書けない歌詞に悩んだりすること。その経験があるからこそ、つくり手の迷いや、どうしても譲れない部分にすこしだけ想像が及ぶこともある気がします。

この6年で学んだのは、自分が直接なにかを生み出すことだけが、表現に関わる方法ではない、ということでした。

誰かのなかにある言葉や想いを聞き、まだかたちになっていないものの輪郭をいっしょに探し、記事やWebサイトや冊子としてかたちにしていくこと。それは、誰かの「世の中の見方」を受け取り、別の誰かに届くかたちへと変えていく仕事です。

もちろん、そこにあるのは相手の表現です。僕らが主役になるものではありません。でも、どこに耳を澄ませるのか。なにを大切にのこすのか。どんな順番で見せるのか。誰かの中にある言葉や考えに明かりを向けて、その人の声がちゃんと届くかたちをいっしょに探していくことには、僕自身の「世の中の見方」もすこしずつ入っている

だから、「表現する人」と「表現する人を支える人」は、思っていたほど遠くないのかもしれない。Campでの仕事を振り返ると、それは僕にとって、そしてたぶん横田さんにとっても、表現に関わるかなり切実な方法のひとつだったのだと思います。

まだ名前のないものに、灯りをともす

僕は、7月末で独立してフリーランスになります。

これからなにをしていくのか、まだ自分でもきれいに整理できているわけではありません。ただ、つくり手やブランドが、自分たちのなかにある想いや見方を、どう言葉にし、どう見せ、どう届けていくのか。その過程をいっしょに考える仕事は、これからも続けていきたい。

それは、インタビューかもしれないし、Webサイトかもしれないし、パンフレットや動画かもしれません。あるいは、まだ何をつくるべきか決まっていない段階から話を聞いて、考えを整理することかもしれない。

最初から「こういうものをつくりたいです」と決まっていなくても大丈夫です。むしろ、まだ言葉になっていないことや、依頼のかたちになっていないことを、いっしょに考えるところから関わりたいと思っています。編集とディレクションをまたいで関われることが、自分の強みです。どうやったら、いちばん「らしさ」が伝わるのか、いっしょに考えられたらうれしいです。

そして、さいごに。もしそういう仕事に興味がある人がいたら、Campはおもしろい場所だと思います。僕が新卒から6年間Campで学んできたのも、そういうことをひとつずつひも解き、届け方そのものをつくる仕事でしたから。

記事をつくることも、Webサイトや冊子をつくることも、イベントすることも、広い意味では編集。対話を通じて想いをほどき、適切な言葉を考え、企画や構成を練って、必要な人といっしょに、見せ方や届け方まで考える。ディレクションやプロジェクトマネジメントで行き詰まり横田さんに泣きつくと、いつも決まって言われたのは「やることは編集と変わらないよ」。誰かの表現や活動が「届くかたち」を模索する仕事でした。

最初はその広さに混乱しました。でも、その幅の広さに育ててもらったのが今の自分です。

自分が歌うのではなくて、その人の声が届く場所まで、ともに道をつくる
今のところ、自分がやっていきたいことは、そのあたりにありそうです。

さいなら、そしてフリーの編集者・ディレクター&ギタリストの須藤も、よろしくお願いします!

クレジット:
執筆:須藤翔
編集:横田大、石澤萌
デザイン:植木駿、山下舞


Campでは、現在以下の職種で仲間を大募集中です!

制作ディレクター、編集者
・イベントディレクター
※ともに2年以上の実務経験者

また、今ある枠にとらわれず、
・プロパーに近い業務委託
・プロジェクト単位でごいっしょできるパートナー
・グラフィック・映像・イラストなどなど、クリエイティブ分野で伴走してくださるクリエイター
など、「Campといっしょにこんなことをやってみたい」という方も大歓迎です。

ご興味をもっていただけた方はコンタクトからお気軽にご連絡ください。
「あなた」とお話しできる機会を心待ちにしております。

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