バジルと大葉を育てて4年目、暮らしに少し気にするものが増えた
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部屋のベランダ寄りの窓辺に、バジルと大葉を置いている。
レースのカーテン越しに光が入る場所で、朝になるとなんとなく様子を見る。
左にバジルがあって、右に大葉がある。
どちらも苗を買って育て始めたものだ。
ベランダには、九条ネギもある。
こちらはまだ芽が出たばかりで、料理に使えるようになるのはもう少し先だと思う。
それでも、細い芽が土から出ているのを見ると、少し気になる。
家庭菜園というほど、きちんとしたものではない。
水をあげて、葉の色を見て、少し伸びたかどうかを見る。
そのくらいのものだ。
でも気づけば、バジルと大葉はかれこれ4年目くらいになる。
便利だから始めたものが、いつの間にか生活の一部になっていた。

きっかけは、料理だった
コロナ禍の頃、料理に少しはまった。
家にいる時間が増えて、料理動画を見ることも増えた。
その中でも、イタリア料理を見ることが多くなった。
パスタを作るようになると、バジルやイタリアンパセリが気になり始める。
ただ、スーパーで買うと少量なのに意外と高い。
しかも、すぐ傷む。
大葉も同じだった。
買ったはいいけれど、使い切れないまま冷蔵庫の中で元気がなくなっていく。
それなら、育てた方が便利なのではないか。
最初は、たぶんそのくらいの実用的な理由だった。
バジルと大葉は苗を買った。
そこに、おまけで九条ネギの種子がついていた。
せっかくだから、これも育ててみようと思った。
始まりは、かなり軽い。
料理に使えたら便利そう。
そのくらいだった。
水をあげるだけなのに、最初はよくしおれた
育て始めたからといって、すぐに丁寧な暮らしになるわけではない。
毎日水をあげる。
たったそれだけのことが、最初はなかなか習慣にならなかった。
気づいたら、葉が少ししおれている。
それを見て、あ、やってしまったと思う。
慌てて水をあげる。
しばらくすると、また少し戻ってくる。
そんなことを何度か繰り返した。
植物は怒らない。
でも、こちらの雑さは葉に出る。
それがけっこう正直だった。
誰かに頼まれたわけでもない。
やらないと怒られるわけでもない。
でも、完全に放っておくこともできない。
そのくらいの距離感が、少しずつ生活の中に入ってきた。
パスタに使えるくらいが、ちょうどいい
今は、パスタに使うことが多い。
イタリアンパセリがない時は、ペペロンチーノに大葉を使う。
トマト系のパスタには、バジルをのせる。
本来の使い方として正しいかどうかは、正直よくわからない。
でも、自分の家で食べるものなので、それくらいでいいと思っている。
買ってきた大葉を使い切れずに傷ませることは減った。
バジルも、必要な分だけ少し取れる。
料理としては、小さな違いかもしれない。
でも最後に葉を一枚のせるだけで、少しだけ自分で作った感じが増す。
食材を足したというより、部屋の中で育っていたものを料理に移した感じがある。
それが思ったより楽しい。
写真を見返すと、成長記録みたいになっていた
過去の写真を見返すと、バジルと大葉を思ったより何度も撮っていた。
苗を買ってきた頃の写真。
少し葉が増えた頃の写真。
レースのカーテン越しに光が入って、葉が透けて見える写真。
育て方を相談するために撮った写真もある。
その時は、きちんと成長記録を残しているつもりではなかった。
少し伸びたなと思った。
葉が大きくなったなと思った。
これでいいのか少し気になった。
それで、なんとなく撮っていたのだと思う。
でも見返してみると、もう十分に記録になっている。
便利だから育て始めたはずだった。
大葉を使い切れずに傷ませるのがもったいなかった。
バジルやイタリアンパセリを少しだけ買うのが高いと思った。
だから、自分で育てた方が便利だと思った。
でも4年近く続いているのは、便利さだけでは説明しきれない気がする。
気づけば、成長を見ること自体が少し面白くなっていた。
摘心したものまで、気になり始めた

バジルや大葉は、伸びてきたら摘心する。
最初は、切ったものをそのまま料理に使っていた。
でもある時、摘心したものをペットボトルに挿して、水耕で育ててみることにした。
本格的な道具ではない。
切ったペットボトルに水を入れて、そこに挿しているだけだ。
増やしたかったというより、実験っぽくて面白かったのだと思う。
本当に根が出るのか。
どれくらいで伸びるのか。
そういう途中が気になった。
しばらくすると、白い根が水の中に伸びてきた。
それを見た時、生命力ってすごいなと思った。
切ったはずのものが、まだ続こうとしている。
そう見えると、もうただの切れ端ではなくなる。
捨てるものだったはずの一枝まで、少し気になるものに変わっていく。
料理に使うために育て始めたはずなのに、いつの間にか、育ったものの先まで見ている。
たぶん自分は、植物そのものだけではなく、変化していく途中を見るのが好きなのかもしれない。
おまけの九条ネギにも芽が出た

バジルと大葉の苗を買った時、おまけで九条ネギの種子がついていた。
せっかくだから育ててみようと思って、ベランダのプランターにまいた。
最初は、本当に芽が出るのかもよくわからなかった。
でも、しばらくすると細い芽が出てきた。
まだ頼りない。
料理に使えるようになるのは、かなり先だと思う。
それでも、その細い芽を見ると、ここから育つのかと思う。
おまけだったものに、いつの間にか存在感が出てくる。
今はまだ食べるものというより、これからどうなるのかを見るものになっている。
それはそれで、少し楽しい。
完全に雑になりきらない暮らし
一人暮らしの部屋は、放っておくと自分の都合だけで回る。
疲れていたら片づけない。
眠ければ寝る。
面倒なら後回しにする。
それでも生活は回る。
でも窓辺に植物があると、自分以外の状態を少し見るようになる。
水は足りているか
葉は元気か
そろそろ料理に使えるか
摘心したものは根が出ているか
九条ネギの芽は少し伸びたか
その時間は、効率がいいわけではない。
何か大きな成果が出るわけでもない。
それでも、部屋の中に少しだけ気にするものがあると、暮らしの流れが少し変わる。
丁寧な暮らしというほど、きれいなものではない。
毎日完璧に整っているわけでもない。
水を忘れて、あ、やってしまったと思う日もある。
でも、完全に雑になりきらない。
丁寧な暮らしには届かないけれど、完全に雑になる手前で、少しだけ生活を戻してくれるものなのかもしれない。
便利だから育て始めたバジルと大葉。
おまけでもらった九条ネギの種子。
摘心して、水に挿した一枝。
気づけばそれらは、部屋とベランダにある「少し気にするもの」になっていた。
便利で始めたものが、いつの間にか生活になる。
そういう変化も、悪くないのかもしれない。
あなたの部屋にも、気づくと少し気にしてしまうものはありますか。
植物でも、道具でも、置きっぱなしの何かでも。
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