【Google出身CEO発】心拍データで現場を刷新。enstemが拓く行動革命
Google出身の山本寛大さんが率いるenstemは、眠気や体調の変化を早期に捉える「スマートウォッチ ✕ 生体データ ✕ AI」で、ノンデスクワーカーの安全・健康・生産性を高めるVertical SaaSを展開しています。心拍データから事故の予兆や作業負荷を可視化し、いかに健康管理と安全管理の両面で現場を支えているのかを伺いました。

【第1章】ドライバーよりも先に眠気や異常を把握
― 事業概要について教えてください。
株式会社enstemは2019年に創業されたスタートアップで、生体データを活用したノンデスクワーカー向けの業界特化型Vertical SaaSを提供しています。「人の可能性を引き出し、最高の生き方を実現する」というビジョンのもと、健康管理と安全管理の両面で現場に革新をもたらすテクノロジーを開発しています。
主力サービスは運送業界のドライバー向け「Nobi for Driver」と、製造や倉庫、保守、保全業務などの現場作業員向け「MAMORINU」です。スマートウォッチやバイタルセンサーから取得した心拍や体調データをもとに異常を検知し、健康管理と安全管理を一体で行っています。これによって事故防止や業務効率化、人手不足が深刻化する現場の生産性向上に寄与することを目指しています。
― Nobi for Driverの概要について教えてください。
Nobi for Driverは運送業界のドライバーの健康や安全を守るために開発されたサービスです。スマートウォッチから得た心拍や体調データを解析し、健康状態の可視化や異常の早期把握を可能にしています。
特に注目されているのは、ドライバー本人が自覚するより早く眠気の兆候を検知できること。眠気の前段階で心拍や心拍変動(HRV)に変化が表れることに着目し、アラートをスマートフォンの振動で通知する仕組みを実装しています。

主な特徴は3点です。まず、45秒間の計測で体調を簡易チェックし、異常があれば管理者にも同時に通知されること。2つ目は運転中の心拍データをリアルタイムに解析し、眠気の初期サインを検知して事前に注意喚起すること。
3つ目はアラートの発生場所や時間帯、運転開始からの経過時間、曜日などの傾向を可視化できることです。こうしたデータは休憩指示や勤務計画の改善に活かされ、事故防止に直結しています。
現在(2025年11月)約300社に導入していただき「微熱や軽い不調など、本人が見落としがちな変化に管理者が気づけるようになった」「アラートが鳴ることでリーダーが声をかけやすくなり、事故や体調不良の防止に繋がっている」といった声が寄せられています。
― お客様はどのようなきっかけで利用するのでしょうか。
多くの企業は、すでにデジタルタコグラフやドライブレコーダーといった安全管理ツールを利用しても事故率の改善が見られず課題を感じています。「新しい対策が必要だが、コストは抑えたい」と相談が増えている中、月額2,000円で1台から使えるNobi for Driverはスモールスタートがしやすい。
企業側は「まずは高齢ドライバーに装着してみよう」と試験導入することが多く、一度使うと現場での受容性も高いんです。ドライバーにとっても事故を起こせば免許が停止されて生活に直結するため、眠気や体調異常を事前に察知できるツールは自身を守る手段として取り入れられています。
― 現場作業員の方に向けたMAMORINUはいかがでしょうか。
MAMORINUは倉庫や製造現場、保全業務などで働く現場作業員の安全と業務効率を支えるサービスです。スマートウォッチ1つで作業中の負荷や体調の変化をリアルタイムにモニタリングし、異常を早期に検知します。現場ではスマートフォンの持ち込みが禁止されているケースが多いため、腕時計型のデバイスだけで情報を取得し、管理者側も専用画面で状況を確認できるようにしています。

開発の経緯は、物流現場から「Nobi for Driverを倉庫作業にも応用できないか」というご要望を頂いたこと。倉庫では作業内容を手書きで記録するなどDXが進まず、転倒や転落、急病といったリスクも発生します。
これらの課題を踏まえてSOS発信や転倒検知にも対応できる仕様に拡張しました。導入企業からは「アラート情報を一元的にログ化できる」「作業負荷の可視化により、現場改善がしやすくなった」「記録業務が自動化され、年間300時間の効率化に繋がった」とご評価いただいています。
【第2章】大手企業や研究機関との提携を加速
― 現在の事業フェーズやご状況を教えてください。
大手企業や地方銀行など約20社との提携が進み、事業は拡張フェーズに入りました。最近では三井住友海上と顧客紹介パートナーとして連携し、全国の保険代理店を通じて事故防止ソリューションとしてNobi for Driverの紹介が広がっています。
同サービスは心拍の変動から眠気の兆候を自覚前に検知し、アラートを送るのが特徴です。「眠くないのにアラートが鳴る」と誤解されることもありましたが、分析した結果、アラートから平均20分後にふらつき運転が増えることが判明。これによって事故の予兆を捉えていたことが立証されて大手企業・保険代理店との提携が加速しました。
― お客様の事例についてお聞かせください。
日本交通ではこれまで高齢ドライバー中心に装着していたNobi for Driverを新人ドライバーにも適用するようになりました。タクシー業界では新人が4月に入社して10月頃に運転に慣れてくるタイミングで物損事故が増える傾向があり、そのリスク対策として普及しています。
また、近年の猛暑で現場作業者の熱中症リスクが高まっていることから、2025年の厚労省による熱中症対策義務化も追い風となって夏場を中心に問い合わせが急増しました。
― 研究機関や企業との協業についてはいかがでしょうか。
大阪大学大学院・清野研究室との「運転時の眠気検知技術」プロジェクトをはじめ、長瀬産業との資本業務提携など研究機関や大手企業との協業が進んでいます。
特に、国内最大級の地方銀行グループであるふくおかフィナンシャルグループ(FFG)との提携は大きな転換点でした。「FFGが関与しているなら」と社会的信用が広がって法人顧客への紹介も加速しています。
FFGでは勤務時間や移動距離、ドライバーの健康状態といったログをM&Aのローン審査(デューデリジェンス)に活用できる点が評価されています。国内の運送業者は約6万社から2030年には3万社に減る見込みがあり、仲介件数が増加する中、銀行が「今のうちに導入しよう」と動く背景にもなっています。
― ドライバー向けウェアラブルデバイスが増える中、Nobi For Driverの強みは何でしょうか。
世の中には多くのウェアラブルデバイスがありますが、ソフトウェアとアルゴリズムに特化して開発している企業は少ないんです。
デバイスメーカーが運送会社向けにデバイスを増やしてきたものの、淘汰が進んで「このデバイスも使ってくれませんか」とenstemに協業をご依頼いただく状況になってきています。ハードウェア主導から「ソフトウェア ✕ アルゴリズム」主導の市場構造へとゲームチェンジが起きつつあります。

【第3章】事業成功の鍵はオフライン行動のデータ化
― 山本さんのご経歴と、enstemの立ち上げに至るまでを教えてください。
新卒でGoogleに入社し、中小企業のマーケティング戦略支援から大手通信事業者とのテレビ・デジタル広告の予算配分、オンラインとオフラインの評価設計まで幅広く担当しました。
その後、学生時代の知人だった当時の社長に誘われてOCRなどのAI技術を開発するCogent Labsに転職。外国籍のメンバーや博士号取得者が多く在籍する環境で、世界トップレベルの研究者やエンジニアたちと働きながら大きな刺激を受けました。
幼少期から野球を続けていた経験から「人体の波形データとAIを掛け合わせられるのでは」と考えていました。Cogent Labsの研究者が身につけていたオーラリングを見て「スポーツ ✕ AI」領域で事業しよう、と。当初は明確なアイデアがなかったものの「生体データとAIの相性は良い」という仮説を検証するため、ベトナムの元サッカー代表選手が設立した財団で実験を実施。手応えを得てenstemの立ち上げを決意しました。
― 一般的にエンジニアや起業家がクラウドやAPIに向かう中、「心拍データ ✕ 現場領域」を選んだのはなぜでしょうか。
テック企業出身として「オンラインで完結するサービスには限界がある」と感じたため。Googleではユーザーのオンライン行動は把握できますが、オフラインの行動ログはまだ可視化できていない部分が多い。オンラインとオフラインを繋ぐリアル領域のデータには大きな価値があると考えました。
さらに、IoTやAIの精度向上と低価格化が進んだことでオンライン完結型のサービスだけでは差別化が難しくなっています。メディア業界でもクーポンや来店計測など「オフラインとの提携」が進んでいますよね。オフラインの行動をデータ化しなければ事業として成立しづらい時代になっています。・・・これ、メディアで話すのは初めてかもしれない(笑)。
― ありがとうございます(笑)。また、山本さんはノンデスクワーカーの安全や健康、生産性をKPIにしていらっしゃいます。現場の努力をデータ化することで、どのような変化を起こしたいとお考えですか。
私たちは「スマートウォッチ屋さん」や「安全管理の会社」と見られることもありますが、取り組んでいる本質はもっと大きい。Nobi for Driverは真面目に使い続けるほど事故率が下がります。
事故が減ると最も得をするのは損害保険会社。損保会社の損益分岐点を設計して「一定ラインを超える事故削減が実現したら、その利益を現場のドライバーに還元する」というモデルを作ろうとしています。
ダイレクトにお金を渡すと複雑になるため、アプリ内のポイントとして付与できるような、ドライバーが使いやすい形を予定しています。ドライバーの方々にとって価値が大きいのは日常的に利用する店舗がある商圏です。「セブンイレブンに寄ってくださいね。その代わりにポイントでコーヒーが無料になります」といった体験を広げたいと考えています。
また、先述のとおり眠気の兆候から平均20分後にふらつき運転が増えることが分かっており、その数分〜数十kmの範囲にある目的地へ誘導することで来店促進の単価も変更できる。
これに関心を持つのは損保会社、政府、製薬会社など多様なプレイヤーです。私たちは日々現場で働くブルーワーカーの方々やこれまで日の目を見なかった労働の価値に光を当て、経済的価値をそちらに流すエコシステムを作りたいんです。ただ、いきなりこの壮大な構想から話すと「結局、何の会社?」となってしまうため、現時点では「スマートウォッチで安全管理をする会社」というスタンスです。
【第4章】経営者がトライアスロンを好きな理由
― 山本さんは3年前からトライアスロンをしていらっしゃいます。きっかけは何でしょうか。
DGインキュベーションの取締役だった前川さんがマラソンに誘ってくださったこと。もう一つは、全日本トラック協会青年部の会長です。商談でオフィスを訪問した際、数々のメダルが並んでいて「トライアスロンをやっている。君もやるか?」と。大きな声で「はい!」と返事して始めました。大学時代まで野球をしていましたが、走るなんて10年ぶりでした。
― 社会人になってからスポーツを再開したいとお考えでしたか。
はい。会食に行くとお酒を沢山飲みますよね。そうすると太ったり体調が悪かったりして業務や日常生活に支障をきたす。これはマズい、運動したいと思っていました。
―トライアスロンを始めてお仲間は増えましたか。
そうですね。熱心にトレーニングをしていると、いろんな経営者の方々が声をかけてくれます。「そんな仕事をしているなら知人を紹介するよ」と出会いも広がる。ゴルフと比べて、トライアスロンには若い世代が入ってこなくてみんな40代以上。だから超かわいがってもらえます。
― どちらのレースを選んでいらっしゃいますか。
オリンピックディスタンスがメインで、ミドルもトライしています。1.9km泳いで、90kmバイクを漕いで、21km走る。最後は泣きそうになるくらいキツかった。

― トライアスロンを始めるようになって、どのような変化がありますか。
体重が6kg落ちました。早朝に起きられるようになったし、元気になりましたね。トライアスロンにはポジティブでクレイジーな人が多い気がする(笑)。楽しみながら過酷な90kmバイクを漕いだりフルマラソンを完走したりしているから。そんな先輩方といると心が前向きになります。
― 経営判断などでもBefore Afterを感じますか。
一日一日を大事にするようになりました。マラソンも一歩一歩の積み重ねじゃないですか。ペース配分を間違えると途中で疲れるし、完走できない。数字で体の状態や成果、原因、対策が分かる。
それに、トライアスロンをしていると常に何かを食べているし、走りながら、バイクを漕ぎながらカロリー計算をしている。糖を摂るとスピードがこうなる、ここでカフェインを摂るとこうなる、と。
それは経営と一緒で、どこで投資してどこで消費するかを考えながら戦略を立てる。それを自分の体を使って実験できるから、経営者はトライアスロンが好きなんでしょうね。
― 経営者にはトライアスロンが好きな方が沢山いらっしゃいますよね。
経営者はいつも経営判断や責任の連続で押しつぶされそうになっています。人間って「風船」なんです。針で1つの方向に刺すとパーンって割れる。でも、いろんな方向から刺すと力が分散されて割れない。経営も同じで、一方向からの刺激が多かったら別方向からの刺激も増やす。つまり頭を使ったら体も使う、インプットしたらアウトプットする、とバランスを取る。
― プロテインや食事ではどのような習慣がありますか。
サプリオタクなのでプロテインやスピルリナという食用藍藻のサプリを飲んでいます。他にも、有酸素運動をした時や疲れた時には鉄や亜鉛を多めに摂っています。ランチも超合理的で、同じ店の同じものしか食べません。例えば、会社の隣のお店では生姜焼きしか頼まないので、私が入店したらすぐに出てきます(笑)。
【第5章】ブルーワーカーが長く安全に働ける環境を
― 貴社は物流や製造、医療、産廃と幅広い業界のお客様と携わっています。各業界に共通する課題は何でしょうか。
ドライバーや現場人材の不足と高齢化です。ドライバーという職業自体が若い世代に人気がなく、2024年問題による労働時間の上限規制で1日の走行距離は従来の500〜600kmから350〜400kmへと短縮されます。
その結果、輸送量の減少や運送会社の利益低下、ドライバーの収入減を招いて人材不足がさらに深刻化すると見られています。長距離運転を好む方もいますが、職業として人気になるポイントが少なく、この構造的課題は多くの現場に共通しています。
― この課題に対し、今後もどのように貢献できるとお考えですか。
Nobi for Driverを活用して健康起因の離職や事故を減らすことで人材の母数を減らさない支援ができると想定しています。これまでの取り組みでも触れてきたようにさまざまな業界や行政、損保、メーカーと連携し、IT企業として社会の歯車の一部になることで「お金の水」を現場へ流す仕組みをつくりたい。ブルーワーカーの方々が長く安全に働ける環境を支えることこそ、大きな社会貢献だと考えています。
― 事業が拡張フェーズにある中、今後はどのように推進しますか。
海外展開です。東南アジア、特にベトナムやマレーシアには物流・倉庫・長距離輸送を支えるブルーワーカーが多く、その人口規模は約27億人にのぼります。すでに現地からの問い合わせも増えていますね。
国(縦軸)と業界(横軸)の掛け合わせでどの面を押さえるかを戦略設計し、まずはマレーシアやベトナム、タイなど物流拠点が集中する国から展開します。これらの国々はマーケットが成熟し始めて人材を大切にする価値観が浸透しつつあるため、サービスとの相性もいいと予測しています。
― 国内でスタートする新しいプロジェクトについてお聞かせください。
12月には2つのプロジェクトを開始します。1つは愛知県豊田市の高齢化問題プロジェクト。豊田市がタクシー会社と連携し、地方で車を運転しなければならない高齢者をサポートします。私たちはBtoBだったサービスをtoCとしても試験的に挑戦します。もう1つは現時点で全国に約2400店舗を持つトヨタレンタリースとのプロジェクトです。トヨタとともに健康管理サービスを新たに推進する予定です。
― enstemの採用状況はいかがでしょうか。
ソフトウェアエンジニアを募集しています。エンジニアを極めた方には、ソフトウェアだけのサービスに飽きている方もいらっしゃいますが、IoTが絡むとゲームの複雑性が増して興味を持ってくださるんです。
ところで、弊社に人事を置いて以来、順調に優秀な人材を採用しています。巷で言われる「人事を早く雇え。会社が変わる」は本当でしたね。
― 新しいことを始めたくても迷っている読者の皆さんにメッセージをお願いします。
「やってから考える」。何事も積み重ねですから、突然すごくなりません。でも、一歩ずつ踏み出さないと何も変わらない。
例えば、今の佐野さんみたいに「独立して会社の看板がなくなると、人って態度が変わるんだ」ということも、やってみなかったら知らなかったこと。やりたいことがあるなら、やって、感じて、修正するしかない。
その次は「持ったカードで考える」。行動するとさまざまなカードが集まって、やっとゲームが始められます。まずはそのカードを集めましょう。
― ありがとうございます。走っている間は不安になりますが、行動しながら考える重要性を痛感しています。
明日災害が起きるかもしれないし、心配しても仕方ない。一度やると決めたら、実現させるために何をどう巻き込むか。カードをどんな順番で出すとストーリーを組めるかを考えることをオススメします。
― 山本さん、お話をお聞かせいただきありがとうございました。
(企画・取材・執筆:佐野桃木 写真提供:enstem 最高顧問:Z)
● プロフィール「株式会社enstem代表取締役社長 山本寛大さん」
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