パイプオルガンに導かれ、自分の思考を楽しんだ記録
バロックは苦手と言いつつ、聴きに行くことがたまにある。その理由は、楽器。その時代特有の楽器が出てくるプログラムを見に行きがち。そして、昨日は、8割がたお初の曲に、お初の演奏者。知らないことだらけのパイプオルガンのコンサートに行ってきました。最初の10分はやっぱり無理と思ったものの、いろいろ考察するうちに、最終的には心を持っていかれてしまいました。なんなのでしょうね、この感覚。
2時間の音の考察
演奏を聴きながら、いろんなことを考えちゃったんですよ。演奏を聴いていないわけではなく。音に集中したからこその、思考の旅に出てきた感じです。それを、ちょこっとまとめますね。
パイプオルガンには真冬の空気が合うのではないだろうか説
最初の10分の居心地が悪かったので、目を閉じて想像してみました。
季節は真冬。
石でできた教会の窓から、白い光が刺している。
しんとした空気の中で響くパイプオルガン。
この情景、なかなか良くありません? この妄想に満足した私は「きっと湿気た日本の夏にパイプオルガンは似合わない」と仮説を打ち立てたものの、暑いバルセロナにそびえ立つサグラダファミリアがパイプオルガンの音響装置だったことを思い出し、さっさとこの考えを白紙にしました。
どのパイプがなっているのか教えてほしい欲求
とにかくパイプオルガンが巨大なのはわかった。でも、せめてどのパイプが鳴っているかくらい教えてほしい。そして、LEDライトと連動させると面白いんじゃないかと。中の構造も気になっちゃうしね。誰かやってくれないかなぁ?
クリアな音に脳が冴え渡る
鍵盤の動きに連動し真っ直ぐ音を出すパイプオルガンは、シンプルな一音一音を重厚に響かせます。音が溶けあうようなハモリの感覚は少ないぶん、その重なる音たちの個性が際立つわけです。そこに集中していたら、頭の中の雑な脳波がきれいに整理されちゃいましたね。そして瞑想状態にはいると思いきや、交感神経が刺激され目を見開きながら聞き入っちゃうという。ちょっとこれトランス状態? あんな状態で祈れば間違いなく神を信じちゃいますよね。
やはり祈りの音楽
一番印象に残ったのは大トリのバッハ作曲『音楽の捧げもの』 BWV 1079 から「6声のリチェルカーレ」。これを聴いていたときに、むかし見た写真の展示を思い出したんですよね。写真家の石内都さんの目黒美術館での展示「ひろしま」では、爆心地に残った被爆者の衣服を撮影した作品が美しく壁にかけられていたんです。洋服たちが天井に近い窓の光に誘われるように。あれは祈りだったんだと思います。そして、今回の大トリの曲も、わたしは祈りだと感じました。「教会音楽」という大きな括りではなく、もっとパーソナルな響きを持った、祈りの曲。
やっぱり8月はパイプオルガンの季節なのかもしれない
これはもう前言撤回です。日本の8月は、死者に思いを馳せる季節。パイプオルガンは、日本のお盆のためにある楽器です(ちょっと言い過ぎですかね)。
演奏者という変数も気になる
昨日わたしが聴いたパイプオルガンは、人生の大先輩が奏でていました。テンポに揺らぎを感じ、わたしが思っていた整然としたパイプオルガンの演奏とは少し違っていました。「こういうものなのかな?」と最初は思ったものの、結局最後は心を持っていかれたんですよね。
もちろん曲を作った作家の意図や思いもあると思うのですが、パイプオルガンは演奏者の思いも乗りやすい楽器なのかもしれないと思いました。知らんけど。でも、あれだけ楽器(というか装置)に依存する音楽もないと思うんですよ。だからこそ、個人の表現を演奏のなかでいかに実現できるかが、演奏者の力量になるように思うんです。とにかく昨日の演奏には心を打たれたし、逆に若い演奏家のゴリゴリの演奏も聴いてみたいなと思いました。
最後には大満足でした
なんとなく行ってみたコンサートでしたが、めちゃくちゃ収穫があって。いっぱい思考がはかどったせいか、家に帰ったらどっと疲れました。でも、満足のいく2時間のジャーニーでした。
演奏者の方、すばらしい時間をありがとうございました。
