ともに旅したあなたと
テレビで、『銀河鉄道の夜』を放送していた。
1985年の公開のとき、仲のよい友達と、ふたりで見た。登場人物がほぼ猫!というキャラデザインの、
わたしにしては珍しくトラウマのない映画(それについては、こちらをご覧いただけると嬉しいです)↓
お恥ずかしながら、『銀河鉄道999』を読んだ方が先。宮沢賢治さんの原作は、一応目を通していたけれど、
「メーテルがいない…(←それを言う?)」
地味だよね…と思っていた。
けれどもわたしは冒頭から細野晴臣さんの音楽にドガーンとうたれ、あまりにも美しい色に魅せられ、まんまとこの映画の世界にどっぷりはまった。
ひとつひとつ活字を組むジョバンニ少年を見て、
「はたらくって、たいへんそうだなぁ。でもちょっと、活版印刷やってみたい…」
と思ったり、
「ねえさんがトマトでなにかこしらえていったよ」
母さんに言われてジョバンニが食べたトマトのシチューらしきものを見て(原作は何を作ったか解説ゼロ)、
「これだったのか!なんてうまそうな…」
映画館の座席の上でゾクゾクしたりしていたものだ。
こんな調子で語っていたらジョバンニとカムパネルラの美しくもせつない銀河の旅までとうていたどりつけないのだが、
じつは当時いっしょに見た友はたいへん眠たそうにしており、見終わったあとで、
「ようわからんかった…」
正直に感想を口にした。そういうところが、実はわたしは好きだった。
わたしはいじわるなザネリというキャラをもじって、
「うんざりザネリ?」
などとうすら寒いだじゃれを言って盛り上げようとしたが、効果があったかどうかはわからない。
「まぁ、あんたが楽しそうにしてるからええわ。好きそうな映画やったもんなぁ」
苦笑いしていたことを、昨日のことのように覚えている。
いまは遠くに住んでいる彼女は、この放送を見ただろうか。
わたしたちはジョバンニとカムパネルラのように短い数年間をともに旅をして、とても大切な友達だったのに、いつしか彼らのようにわかれわかれになってしまった。
同じ学校という鉄道を降りて、それぞれの進路へ。人生の旅で離れた心の距離は、気がつけば遠く離れている。けれど、
「あの映画、いっしょに見たの覚えてる?いま見るときっと泣けるよ!ジョバンニ、握りしめたコインでお母さんのために角砂糖を買うんだよ!牛乳に入れてあげるんだって…」
わたしがいつものようにズレた視点から力説すれば、
「またあんた、そんなとこで泣いてたら、あの3人連れはどないすんねん。あれやろ?タイタニックやろ?それくらいは分かるねんで」
今でも平気な顔をして、ツッコんでくれそうな気もする。
そしてかんじんのジョバンニとカムパネルラの悲しい別れについては、わたしたちはあえて触れずにしょうもないことを言い合うのだ。たぶん、きっと。あの頃と同じように。
CGに慣れた目にうつる、トマトのやわらかな赤さ。宇宙の深い青。おまえはどういうふうに生きるのかと突きつけてくる問いを、わたしたちはまた、あの頃とは違った気持ちで受け止めることだろう。
ひさしぶりに手紙を書いてみようかな。
(もしも興味を持ってくださった方がいらしたら…配信で見られるようですよ♪)
