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悪極まった世

『この世に平和な場所などどこにも無い』前回の記事で述べさせて頂きましたが、では平和では無い、悪が極まった世の中とはどういう意味で述べたのか。僕との現状認識のズレを感じている方は、当然、ここにも引っかかっている事でしょう。
今回は、この辺について詳しく語って行きたいと思います。

但し、この話は少し理解や共有が難しい話になるかも知れません。同意できるかは、その人次第でしょう。何分、「私は悪者です」と名乗ったり、「悪の組織です」と宣伝してくれる、わかりやすい悪者を私達はほとんど見かけません。どこまでを悪と断定するかは、個人の判断による所が大きい。
つまり、これから話す内容は、僕の判断基準に沿ったものとなります。
その前提でお読み下さい。

先の記事で、僕は「悪は社会的な痛みとして現れる」と書きました。
詳しく書くなら、人の精神や肉体に痛みや苦しみを与える、作為的な行い全般が悪と言っても良いでしょう。

これだと労働も範疇に入りそうですが、基本的に労働は同意による契約で成り立っていますから、それだけで悪とまでは言えません。しかし、労働者が待遇に強い不満を持っており、しかも簡単に辞める事も難しい、搾取的な労働実態であるなら、その労働は悪と無関係というわけでもないのかも知れませんね。

その事は、これから話す内容で理解できます。

昔から「武器があるから戦争が起こる」なんて言う政治家はいますが、それは長い歴史を経た結果論であって、人間の生来の本質の表れではない、と僕は考えます。
そもそも心に悪が芽生えなければ、今の様な殺傷武器が生み出されていたかは疑問です。不信が武器を取らせるとしても、その不信は何らかの悪意との接触に起因しているはずだからです。

他者が信頼できる存在であるなら、不信は生まれませんし、己に邪さが無ければ、やはり、他者を不信がったり、武器を取る必要性を感じないはずです。まあ、狩猟のための武器は、当然必要でしょうけど。

悪の発生と進化

先の記事で、僕は成就できない強い思いで心が歪み、結果悪が生まれると述べました。

最初のきっかけが何だったのか‥‥それはわかりません。想像は出来ますが。
ただ人類が、思いに寄り添わなければ悪が生まれるという、心のルールの理解に至っておらず、この重大な機能不全に気付かぬまま、今日までの歴史を紡いでしまった事が、現在の我々の結果に繋がっている。その様に僕は捉えています。

人類に悪が芽生えた時から、人は話し合い以外の様々な解決手段を生み出し、人間同士の争いの決着に用いました。謀略、戦略、強固なルール、殺し合い。1度付いてしまった不信の火は、人の欲望と不信を火種にして、どこまでも燃え上がって行った様に思えます。

しかし、いつの時代も悪は殺されます。
その中には、悪とは呼べぬものも含まれますし、単に敵と呼ばれる事もありますが、そもそもが、殺し合いでしか決着を見出せない時点で、双方が共に悪とも言えます。
長きに渡る心の機能不全によって、誰もが悪に追い込まれる、と言うのが正しい見方かも知れません。

ですが、悪に身を委ねた者達がその命を散らせたとて、悪は消えません。
そもそも心の機能不全が解消されていませんし、誰の心にも悪は受け継がれますし、構造的な悪も存在しますから、悪を根絶やしにする事は出来ません。

少し妙な話をしますが、人間は漫画『ドラゴンボール』に登場するサイヤ人に似たところがあるなと、ある時ふと気付きました。それは、殺されてもより強く復活するという性質です。

勿論、殺されて本人は消えるわけですから、死にかけて強さが増すサイヤ人とは異なります。この場合の強く復活する対象は、殺される人間の事を指してはいません。悪の事です。悪は根絶やしになりませんから、生き残っている悪は、殺される悪から学びを得るわけです。「俺はあんな風に殺されるのは御免だ」と。ですから、殺されない手段を考え、同じ轍を踏まないように進化します。

歴史上、沢山の罪人や敵、支配者たちの首を斬ってきた我々ですが、悪が滅びた形跡はありません。どころか、彼等はより強大になり、社会に浸透し、見え難くなったのではないかと僕は考えます。
今ある陰謀論も、いくらかは正しいのでしょう。悪は大変見え辛い形態に進化しているはずだからです。殺されないためにね。

悪の僕たる私達

確かに今、戦争は起こっている。犯罪もある。けれど、多くの人が悪極まった世とは感じないはずです。その答えは辛辣ですが簡単です。
あなた方が、もうすっかり悪の世を受け入れているからです。
歴史が長いですから、悪ももはや伝統の域です。我々はそれを常識と受け止め、悪とは認識しません。

悪は強大化し続けてきた、と正しく認識するならば、悪極まった世も理解できるのですが、多くの人は「平和な素晴らしい世の中を手に入れた」と思い込んでいますから、悪の世の中だとは考えないのです。

どんなに支配構造が強固に確立されていようと、それはルールだからという刷り込みで、安易に受け入れてしまっている。世界が強大に完成され過ぎていて、個人が逆らう様なものでも無い、とすぐさま諦めてしまう弱さも原因ではあります。

そんな風に堕してしまった我々大人達。
神の目線で我々を見たら、どんな風に見えるでしょうか。
立派な生き物でしょうか?
いいえ、違います。知性の高いゴブリンやオークです。ファンタジーな生物を例えに使うなら。もうすっかり悪の空気に馴染んでますから、自分たちが悪の僕になってる事に気付きもしません。奴隷と兵士の両方を兼ねてると言った方が正しいでしょうか。

辛辣な考えに、反発される方もおられるでしょう。
ですが、世の悪を止められない今が全てを表しており、我々は思ってる程、立派な存在ではありません。日本人に見る優しさや純朴さも、偽りの平和の下支えで成り立つものならば、頼りなく脆いものなのかも知れません。

優しさは慰めにはなっても、強固な悪の世を突き崩す程の力にはなり得ない。戦後の80年が、それを証明しているでしょう?

心の機能不全が回復せず悪を生み続け、長い歴史の中で何度も殺され、強化し、浸透し、見え難くなってしまった。故に今は、悪の世の最盛期、悪極まった世なのです。

富の大半が一握りの資本家に吸い上げられ、国家は国民を守ることを放棄し、グローバリストに媚びへつらい、移民を受け入れ、土着の国民の民族性や文化を毀損する。誰が首謀者かもわからない戦争が行われ、不透明な利権構造で国の金が国外へ流れる。
たまたま80年間、戦争が無かった時代に我々が生きているだけで、大規模な人口削減の陰謀だって、第三次世界大戦だって、可能性としては常に起こり得る事です。
悪の世の頂点は、悪の大親分が座しているはずですから。

悪の世を終わらせるために

平和では無いどころか、我々は追い詰められ、岐路に立たされている。
僕にはその様に認識されるのです。今の世の中は。

戦時中に言論統制が敷かれるのは常です。平和が望みなら、すぐ側で火が燃え上がる前に、我々は行動を起こさなくてはならない。そのためにまず必要なのは危機感です。そしてその認識の共有です。

現状認識の重要性をご理解頂けたでしょうか。
僕が悪極まりし世とわざわざ述べるのは、このためです。
絶望的に聞こえますが、個々は弱くとも、社会は心の投影。結束は現実をいずれ変えて行くものだと、僕は信じています。

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