信用していた。でも、信頼はしていなかった。
最近ふと考えることがあった。
私はある人を、信用していたのだろうか。
それとも、信頼していたのだろうか。
似ている言葉だけれど、
どうやらこの二つは
同じものではなかったらしい。
仕事の上では、その人を評価していた。
判断は早く、経験もあり、
組織の中で物事を動かす力もあった。
任せれば仕事は進む。
そう思っていた。
だから私は、その人を信用していたのだと思う。
少なくとも、仕事をする相手としては。
振り返ってみると、
小さな違和感はずっとあった。
言葉の端々だったり、
感情の揺れ方だったり。
ほんの些細な引っかかりが、
時々あった気がする。
けれど私は、それを深く考えなかった。
実績がある人だから。
上の立場にいる人だから。
きっと自分の理解が足りないのだろう、と。
今思えば私は、その違和感を
「信用」で静かに覆っていたのかもしれない。
人は余裕がなくなったときに、
その人らしさが出る。
ある出来事をきっかけに、
感情が大きく揺れる場面を目にしたとき、
不思議なくらい冷静に思った。
ああ、そういう人だったんだな、と。
怒りというより、理解に近かった。
もしかすると、
それは相手が変わったのではなく、
私の見方が変わっただけなのかもしれない。
そのとき初めて気づいた。
信用と信頼は、別のものだった。
信用は、実績や能力の上に成り立つ。
仕事を任せられるか。
約束を守る人か。
判断を誤らないか。
過去の積み重ねの中で、
少しずつ形づくられていくものだ。
でも信頼は、少し違う。
感情が揺れたとき。
立場が難しくなったとき。
思い通りにならなかったとき。
そんな場面で、どんな振る舞いをする人なのか。
たぶん私は、そこを見ていなかった。
それでも、あの出来事のあと、
私のその人に対する仕事の上での評価は、
大きくは変わらなかった。
経験や判断力があることは、
これまでと同じ事実だからだ。
私は今でも、
その人を仕事相手として信用している。
ただ、以前のように
何かを期待することはなくなった。
たぶん、それだけの違いなのだと思う。
これまで私は、上の立場にいる人を、
どこかで自然に尊敬していた。
責任を背負っている人なのだから、と。
でも今回気づいた。
上にいる人は、信用に値することはある。
けれど、信頼できるかどうかは別の話だった。
それは肩書きではなく、
もっと本質的なところにある。
失ったものがあったのかどうかは、
正直よく分からない。
ただ一つ確かなのは、
人を見るときの視点が、少し変わったことだ。
信用と信頼は、似ているけれど違う。
そしてたぶん私はこれから、
肩書きではなく、
その人の在り方を見るようになる。
それは少し寂しい変化でもあり、
同時に、視界が開けた感覚でもある。
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仕事に子育て、アニメ。ごちゃまぜな日々の中でいつも何かを考え中です。日常のつぶやきですが、どこかで「わかる!」と共感してもらえたり、心に響くものがあればとても嬉しいです☺️
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