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「君の力じゃないか」が、ずっと忘れられない理由

大人になってからも、
なぜか忘れられない言葉がある。

普段は思い出しもしないのに、
仕事の帰り道とか、
少し疲れている日とか。  
ふとした瞬間に頭に浮かぶ言葉。

私にとってそれが、
あるアニメのワンシーンだった。


『僕のヒーローアカデミア』で、
いちばん好きなシーンの話。

名シーンが多すぎる作品だけど、
何度思い返しても、結局ここに戻ってくる。


雄英体育祭、緑谷出久 vs 轟焦凍。

最初にこのシーンを見たとき、
心を掴まれたのは完全に緑谷の方だった。

勝ち目が薄いと分かっていても、
それでも目の前の誰かを救おうとしてしまう姿。

「これがヒーローなんだ」と思った。

でも物語を知れば知るほど、
不思議と見え方が変わっていった。

あの戦いは、轟の物語だったんだと気づく。

轟は、
その時すでに完成された強さを持っていた。

圧倒的な個性。実力。才能。  

それでも彼は、
自分の力の半分を封じて戦っていた。

炎は使わない。

それは父親―エンデヴァーの力だから。

ただただ
「親父の力を使わずに一番になる」
ことだけに賭けていた。

でも本当は、
もっと前に別の理由があったはずだった。

どうしてヒーローになりたかったのか。

小さい頃に抱いていたはずの動機を、
轟自身がもう忘れてしまっていた。

そこに向かって、緑谷が言う。

「君の力じゃないか」


このセリフが、本当に好きだ。

個性は
親から受け継がれるものではあるけれど、  
だからといって、それは親のものではない。

受け継いだ時点で、
それはもう自分自身の一部になる。

過去も、環境も、
望んだものじゃなかったとしても。

それでも―

それをどう使うかは、自分で決めていい。

たった一言の中に、
そんな意味が全部詰まっている気がする。

しかもあの場面、
冷静に考えると緑谷に勝ち目はほとんどない。

轟が本気を出せば、結果は見えている。

それでも彼は、
勝つことより先に手を差し伸べてしまう。

目の前で苦しんでいる人を放っておけない。

それが、
緑谷出久のヒーローとしての在り方
なんだと思う。

敵でもない。  
助けを求めてもいない相手なのに。

それでも救おうとしてしまう。

あの瞬間、戦いの中で轟は救われた。



そして後から振り返ると、
あれは一人の少年の話だけでは
なかった気がする。

轟家のことを知るほどに思う。

個性が評価される社会の中で、
強さが期待になり、
期待が重荷になっていくこともある。

才能があることが、
そのまま幸せに繋がるとは限らない。

あの体育祭は、
そんな世界の歪みが
初めて見えた瞬間でもあった。

そして面白いのは、ここで終わらないところだ。

轟が思い出した
「ヒーローになりたかった理由」は、
次は飯田くんへと繋がっていく。

ヒーローとは何か。  
どうしてヒーローになりたいのか。


その問いが、
クラスの中を少しずつ伝播していく。

強さの話じゃなくて、
在り方の話が続いていくところが、
ヒロアカの本当に好きなところだ。

たぶんこのシーンが好きなのは、
轟の話だから、だけじゃない。



人って、ときどき。

これは本当に自分で選んだものだったのか、  
それとも何かへの反発で選んだだけだったのか。

分からなくなる瞬間がある。

環境だったり、
誰かの期待だったり、
過去だったり。

切り離したいと思っていたものが、
気づけば自分の中に残っていることもある。

でもきっと。

もう自分の中にあるなら、
それは誰のものでもなくて。

どう使うかは、今の自分が決めていい。

だから今でも、ふと思い出す。


「君の力じゃないか」


物語を知るほどに、
少しずつ意味が変わっていく言葉だと思う。



▶︎ 意味は、あとからやってくる

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あおい|仕事と本音のあいだ 仕事に子育て、アニメ。ごちゃまぜな日々の中でいつも何かを考え中です。日常のつぶやきですが、どこかで「わかる!」と共感してもらえたり、心に響くものがあればとても嬉しいです☺️ 良ければぜひ、応援よろしくお願いします🍀

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