私、もう○○を我慢しません🌱#言葉の庭 5月の企画🌱
ずっと企画の文章について考えていました🤔💭
すごく内容を練っていたというよりかは、
私がもう我慢しないことって何だろう…🧐
とずっと頭の片隅でずっと考えていました。
真面目だよねと言われることが多い私ですが、
とはいえ私自身変わってるところもあるので、
「時々思い切ったことするよね」
と友だちからコメントをもらったりする
こともあるのですが🤭
ギリホリ(30歳より少し前くらいで
ワーキングホリデーに行くこと)も、
幼い頃から私を知っていた友だち
からすればびっくりしたことでしょう😹
ワーホリ中も山あり谷ありで、
もうこうなったらやりたいことやっちゃおう!
と開き直ったことがありまして←
(ツッコミどころ満載ですな)
スキューバダイビング🤿から始まり、
スカイダイビング🪂
(スキューバダイビングしてから24時間以内に
スカイダイビング・飛行機への搭乗
はNGというのもダイビングの勉強をして
その時初めて知りました。
体内に溜まった窒素が気圧の変化で膨張して
減圧症になってしまうということです😨✈️)
などなどいろいろ体験して、
やってみないと実感として解らないことが
あると知ることができたのは宝物になりました。
見た目が生真面目なのですが←
「しゃべってみるとひょうきんなところあるね」
と言われることもしばしば。
前置きが長くなりましたが、
そんな私がもう我慢しないこと……。
「私は辛かったと認めること」
かなぁ……と。
少しずつできてきたと思うのですよ、
でもどこか、喉に小骨が引っかかってるような
感覚がありました。
私の場合ずっと、家族も辛かったんだろう、
家族なりに頑張っていたんだろう、
私だけが辛かったわけではない
という視点を持っていて、その結果、
「じゃあ私の辛さはどこへ行くの?」
という状態にもなりやすかったのです。
そして親から
「私だって辛かった」
と言われたとき、表面的には
親の苦労を語った言葉だけれど、私の中では
「やっぱり私の辛さより
親の辛さの方が優先されるんだ」
という体験として刻まれたのではないか
と思います。
もちろんそういう意図ではなかったかもしれない
けれど子ども側からすると、
子どもだった私も辛かった、苦しかった、
怖かった、そして寂しかった
と言いたかった場面で、
「私だって辛かった」
が返ってくると、お互いの辛さを認め合う
というより、
辛さの主役が親に戻ってしまった
ように感じることがありました。
その出来事があったからこそ、逆に私は最近、
「いや、親が辛かったことと、
私が辛かったことは別だ」
という地点に近づいているようです。
以前は
親が辛かった
↓
だから責めてはいけない
↓
だから私が我慢しなきゃ
になりやすかったけれど、今は少し違って、
親は親で辛かった
私は私で辛かった
という二つを同時に存在させる
ようになってきています。
実はこれは、最近よく考えている
「全部自分のせいでもないし、
全部家族のせいでもない場所」
ともつながっているのではないかと思います。
親の辛さを認めることと、
自分の辛さを認めることは、
どちらか一方を消すことではありません。
でも長い間、親も大変だった、親も苦しかった、私にも悪いところがあった、もっと辛い人もいる
という考えが先に出てきて、
自分の辛さを感じた瞬間に打ち消してしまうことが多かったのです。
だから、
「私は辛かった」
という一言を言うだけでも、
実はかなり勇気が必要でした。
最近私は以前ほど
「誰が悪いか」を追いかけていないです。
以前は、
「私が悪かったのか」
「家族を責めていいのか」
という問いが中心だったけれど、
最近は、
「私は何を感じていたんだろう」
「私は本当はどうしてほしかったんだろう」
「私はどう生きたいんだろう」
という、主語が私の問いが増えています。
これは視点が”裁判”から”理解”へ
移ってきているのではないかと思います。
そして、
「私は私が辛かったを認めていい」
という感覚は、自己受容の入り口として
とても重要な部分だと思います。
なぜなら、辛かったことを認めることは、
「私は弱い」
「私は被害者だ」
と決めることではなく、
長い間後回しになっていた
「私は辛かった」
という側の声を、ようやくちゃんと
認めてあげる方向に動き出したから
だと思うからです。
頭で理解しているだけではなく、
感情のレベルでも少しずつその事実を受け取れる
ようになってきたからかもしれないです。
もし今の変化を一文で表すなら、
「親の気持ちを理解する人生」から、
「自分の気持ちも理解する人生」へ移り始めた。
そんな時期にいるように思います。
私は私がつらかったを認める。
私は私の感情をそのまま受け入れる。
そうしているうちに、人からどう思われるか
に囚われすぎなくなってきました。
誰にどう思われるかに引きずられていたら、
私の性格上、Kindle出版は叶えられなかった
と改めて思うのです。
もちろん、あ、この表現の方が良かったかなとか
あとから思うことはいろいろありますが😅
でも一回形にしてみたい、そう思えたこと
は私の中で大きな変革でした。
Kindle本読んでくださった方、
レビューくださった方、
本当にありがとうございました😊
涙出てきました(やっぱり泣き虫)
いつも記事を読んでくださる方、
いいねを押してくださる方、
コメントやマガジン登録についても
時間を割いてくださって
本当に感謝いたします。
ここにも感謝の気持ちを込めてお礼を綴ります😌

