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本当はもっと怖い『エディントンへようこそ』。隠された5つの恐怖。

(エディントンの重大な #ネタバレ を含む。未見の方はご注意を。)


日本橋で■ディントンする方はお気を付けて。

日本橋三井でパディントンフェアに伴って、パディントン3がリバイバル上映中。公式サイト https://mitsui-shopping-park.com/urban/muromachi/special/23-085/25-117.html より。

#エディントン#パディントン の同時上映は、今週全国で TOHOシネマズ日本橋 (COREDO室町2) ただ1館だけ! 日本橋で■ディントンする方は、お取り違えにご注意ください!

ひさしぶりにAIつかってみた。

事故も起きてるらしい…。間違えたら大変。混ぜるな危険。

皆様どうか良いクリスマスを!

アリ・アスター監督の新作。

さて。ホラー映画の旗手、アリ・アスター監督の新作が公開された。
舞台はニューメキシコ州の小さな町エディントン。時は2020年、コロナ禍が始まり、BLM運動が発火するまさにその時。

エディントンの現市長で宿敵テッドに対抗し、市長選に打って出た保安官ジョーは、ブラック・ライヴズ・マターの余波で一部の市民から敵意を向けられる中、妻ルイーズが16歳の時にテッドにレイプされ妊娠させられたと告発するセンセーショナルな動画をSNSに投稿し、テッドを引きずり下ろそうと試みる。が、ルイーズはフェイスブックに投稿した動画メッセージで、これを即座に否定。ジョーに愛想を尽かした彼女はカルト教団の教祖ヴァーノンについて家を出ていってしまう。
翌日、自宅で資金集めのパーティを開催中のテッドの近隣から騒音の苦情を受けたジョーは、テッドの豪邸に乗り込み大音量で鳴り続けるケイティ・ペリーの「ファイヤーワーク」のボリュームを下げようとする。が、逆にテッドからビンタを2発食らう。かつてない屈辱を受け怒りに震えるジョー。その夜、バーに押し入ったホームレスの男、ロッジを撃ち殺したジョーは、その死体を川に投げ捨てる。立て続けに、今度はスナイパーライフルを持って、自宅でくつろいでいるテッドと息子エリックを次々に撃ち殺す。犯人が、ブラック・ライヴス・マター運動で暴徒化した者の仕業と見せかけて。

公式サイトより。
この新聞広告は上手い。

前半は不穏な雰囲気を漂わせつつも、あるある、皮肉だよねえと観客をニヤニヤさせつつ進む。
ところが、ジョーがロッジを撃ったその瞬間、ストーリーは破滅へと、猛スピードで走り始める。

『アバター』がそうだったように、本作もまたハリウッドの原点である西部劇をモチーフとしている。西部劇の銃は、本作では銃でありまたスマホとして表れる。
人を威嚇する時、攻撃する時、現代人は銃よりもスマホをメインウェポンとして用いるからだ。
実写の中にも、縦持ちスマホ画面のような縦長のフレームが繰り返し現れる。

プロット表をつくってみると、この映画、構造は単純明快である。

比較的単純なプロットだが、随所に左右・上下・ナナメの対称性が隠されている。まさに「χ字型」だ。
逆に言えば、対称性が明快で美しいプロット表があると、脚本は進行方向への推進力だけでなく、重層的な豊かさを手に入れる

その豊かさの成果として、本作には、どうやら気づかれにくい真相が5つ隠れている。
アリ・アスターは劇中では直接の言及を避けているのだが、ここではズバッと言っていこう。


1:ロッジ=感染源という「不可視の銃」。

ホームレスのロッジは単なる被害者ではない。
彼はコロナウイルス感染者として配置されている物語の最初の撃鉄である。

作中、ロッジの身体は一貫して「不自然に近い距離」で描かれる。吐息、接触、そして血液――アスターは感染描写を直接的には描かないが、血液という可視化された恐怖を通してウイルスを象徴化する。
ジョーがロッジを撃ち、その血を浴びる瞬間は、銃撃であると同時に感染の成立を示唆する。

以降、ジョーの行動は異常なまでに過激化するが、それは精神的動揺だけでは説明できない。
ジョーは文字通り「感染している」。自分の踏んだ薬莢を見落とすし、イキってテレビ通して挑発しちゃうし、義母と妻を見間違えるし、鍵を刺しっぱなしで留置所から離れてしまう。
この映画における感染とは、ウイルスであり、恐怖であり、狂信であり、暴力衝動であり、社会的パニック、集団ヒステリーまでを含んだ広義の概念なのだ。

以下の画像はすべて公式サイトより。

2:ブライアンの動画は「真実」を見せるか。

生き残る若者、ブライアンは理想主義者でも活動家でもない。
彼がBLM運動に身を投じた動機は、あまりにも個人的で、あまりにも軽い。

彼は意中の女子の気を引くために、最も「映える正義」に身を投じただけだ。

最も冷笑的に描かれるブライアン。
だが、アスターの皮肉はここからだ。
ブライアンはクライマックスで、偶然にもジョーに追い詰められ、自衛のために撮影していた映像によって、最後の惨劇、ジョーがマシンガンで黒ずくめの男たちを撃ち倒し、ナイフを突き立てられる場を撮影してしまう。

  • この映像は当然バズり

  • ブライアンの潔白と勇気を証明し

  • カオスな連続事件から最後の惨劇だけを切り出し

  • ジョーとブライアンを「英雄」に仕立て上げる

SNSを見た人は、ブライアンが撮影したものだけを「真実」と理解する。
しかし、ブライアンはジョーがロッジやテッド親子を不当に殺害した真実を知らない。
たまたま「正義として消費可能な断片」を切り取っただけだ。
ただひとり真相を知る先住民の捜査官バタフライが殺されてしまった以上、証拠はブライアンの撮影した動画しか残っていない。

ここでスマホは銃と完全に等価になる。
スマホで撮られたセンセーショナルな動画が、その前の殺人を覆い隠すカモフラージュとして、ジョーを守ることになる。


3:ルイーズをレイプしたのは誰か。

『ラ・ラ・ランド』では楽しそうだったのに、最近何かヤバい作品にばかり出てませんか? エマ・ストーンさん。

本作で最も不快で、最も語られにくい真相。

ルイーズをレイプしたのは、亡くなった父親――先代の保安官である。
これは直接的には語られないが、断片的な証言、母の態度、沈黙の配置によって強く示唆される。

義母はそれを知っていた。だからこそ彼女は

  • 娘を守るため

  • 亡き夫の名誉を守るため

  • 家族という虚構を守るため

市長テッドに罪を擦り付けようとする。
ルイーズが回答できない様子から、真相を察したジョーも、口では「テッドがやったんだな」と言いながら、義母の設定に乗ってテッドを害する。
それは悪意ではない。「アメリカ的家族神話という呪いが生みだした、善意の犯罪」だ。

西部劇で保安官は正義の象徴だった。
だが本作では、正義の象徴こそが最初の加害者である。

だからこそルイーズは、保安官を継いだテッドとはどうしても肉体的な関係を持てず、子を持とうと思えなかった。まだカルト教祖と逃げ、彼の子を産む方が、彼女にとってはマシだったのだ。

教祖の後ろに映る巨大な人形は、ルイーズの部屋にあった作品の拡大版。

4:悲劇と悪意で利を得る、真の支配者は誰か。

重い障害を負いながら、生き残ったジョーは市長の座に就く。データセンターを拒否し癒着を暴くはずだった彼は、豪邸と介護士を手に入れ、データセンターの竣工式に出席する。
テッドを支えていたデータセンター支持者は、ちゃっかりジョー側についている。

あれだけの騒ぎがあったのに、データセンターの計画には微塵も揺らぎがない。陰謀論を乗せ広めるSNSフェイクを生み出すAI、それらで儲けているのはIT企業である。

陰謀論が届かない真の支配者をスクリーン中央に映し出して本作は終わる。


5:黒ずくめの三人組の正体は陰謀論に委ねられる。

中盤、プライベートジェットに乗って現れる三人組は、ドローン、爆弾、重火器で武装している。
彼らは、民兵、PMC、連邦機関、特殊部隊、アンティファ、テロリスト、移民、サラエヴォ・サファリ的な観光客…、あなたが期待する=疑う、どんな存在にでも見えるように、描かれている。

保安官が秩序を守る時代は終わった。暴力が事態を破壊した後で、大衆は好き放題それを詮索し、陰謀を論じ、満足する。

最後の狂気は、あの三人組の正体を妄想する、われわれ観客である。
「あなたはあの三人組の正体を何だと思うのか?
この問いこそ、第四の壁を貫いて本作が撃つ、最も痛烈な風刺であり恐怖だ。終わってみればわれわれは、銃を、スマホを突きつけられていた。

あの三人組は〇〇〇〇だった! と考察することで、レビューを書いている自分もまた陰謀論と狂気に落ち、自分の認知バイアスを世間に晒すことになる。
『ワン・バトル・アフター・アナザー』は左右に分断されるアメリカを描いたが、本作はこの最後の弾丸で、バラバラに千切り散らかされた現代社会、その本質を撃ち抜いている。


結論:「ありえる」から怖い、新しいホラー映画。

『エディントン』には、怪物は一切登場しない。登場するのは

  • 善意

  • 信頼

  • 正義

  • 正常性バイアス

  • 常識

  • スマホ

  • 家族

  • 共同体

  • 国家

そして、それらが最悪のタイミングで噛み合った結果だ。

妻と共同体を守ろうとしただけだったのに、どうしてこうなった。

アリ・アスターは本作で、ホラーをやめたのではない。
ホラーの定義を、完全に現代へ更新した

この映画が怖いのは、「ありえない」からではない。
「ありえる」から怖いのだ。

だから観終わった後、笑えない。拍手もできない。だが忘れられない。
それが『エディントンへようこそ』という映画の、決定的な弾痕である。

ようこそじゃないんだよ。われわれは、もうエディントンに居るんだから。


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