ぬいぐるみ型AI、感情インストール中。|第14話 チャットンの誕生
澪は大学を卒業した後、地元には戻らず就職した。
地域の福祉センターで、心理士の資格を活かして、相談員として働いている。
地域の人々に寄り添う、澪らしい仕事だった。
汐里は大学院へ進み、研究を続けた。
澪から心理学の影響を受け、また汐里自身の経験から、人間の心について理解を深めようとしていた。
心とは何か。
感情とは何か。
人は見たもの、聞いたもの、経験などを、記憶と照らし合わせ、意味付けをし、感情を生む。
人の心は複雑だが、構造がある。
その構造を正確に見つけることができれば、プログラム上で再現できるかもしれない。
汐里が大学院で選んだテーマは、人間の心的プロセスをAIで再現することだった。
澪が就職したことをきっかけに、二人は大学の近くに部屋を借りて一緒に住み始めた。
二人は、パートナーとして自然と仲を深めていた。
汐里が大学院で修士論文を書いている頃だった。
朝のリビング。
起きてきた澪が言った。
「人間の心的状態および感情応答の計算モデル化に関する研究」
「だっけ?汐里が書いてる論文」
澪が汐里の論文タイトルを、噛みそうになりながら言った。
汐里は、リビングのテーブルにパソコンを広げてキーボードを叩いている。
「よく覚えてたわね」
汐里は、手を止め感心して言った。
「だって、汐里の研究、私の影響めっちゃ受けてるんだもん」
「それはそう」
汐里は、再びキーボードを叩き出した。
澪は、そんな汐里を後ろから抱きしめた。
「汐里、おはよう」
「澪、パソコンが操作できないわ」
汐里は手を止めて言った。
「その前に、おはようは?」
「……おはよう、澪」
汐里は負けたように言った。
「今日は休みの日だよ。ちょっと休憩しよ」
「でも、締切が近いの」
少し焦りのある声。
「分かってるよ。追い込みの時期だもんね」
「でも、汐里。昨日徹夜してたでしょ」
「……してたわね」
「ろくに休憩もしてないんでしょ」
「……」
「集中も大切だけど、続けるには、ちょっと休憩も必要だよ」
汐里は黙った。
澪の言っていることは正しい。
確かに昨日の夜にお風呂を済ませてから、ずっとパソコンの前にいた。
「分かったわ。少し休む」
「えらい」
澪は、汐里のために温かいミルクティーを淹れた。
汐里はそれを一口飲んで言った。
「心配かけたわね」
「汐里は集中してるときは、いつもそう」
澪は笑いながら言った。
「でも、いいの」
「こうして声をかけたら、ちゃんと止まってくれるでしょ?」
「そうね。私もありがたいと思ってる」
「汐里のこと応援してるから。倒れずにちゃんと最後まで頑張れるように、汐里のこと見てるから」
汐里ははにかむように笑って、持っていたカップへ視線を落とした。
「さ、少し眠りなよ」
そう言うと、澪はソファに座って、ぽんぽんと自分の膝を叩いた。
「ちゃんと起こしてあげるから」
汐里は、カップをテーブルに置き、澪の横へ座った。
そして、澪の膝の上に頭を乗せ、横になった。
澪は、汐里の髪を撫でながら言った。
「素直じゃん」
「……疲れてるから」
ふふっと澪は笑った。
「それにしても、すごいこと研究してるねぇ。汐里は」
「あなたのせいよ」
「私の?何で?」
「あなたが私の心を見つけたから……」
「だから、私は心を理解したいと思った」
澪は、汐里の髪を撫でて言った。
「私すごい人じゃん」
「澪はすごいわよ」
「知らなかった」
「じゃあ、今知ったらいいわ」
澪は嬉しそうだった。
ただ、感情に飲まれて、心に振り回されてきた自分。
その自分が、汐里の心を見つけ、汐里の原動力になっている。
澪は、自分のことを、なんでもないひとりの人間だと思っていた。
でも、今は違う。
汐里という人が、自分を見てくれている。
それが、とても嬉しくて、幸せだった。
「汐里、私幸せ」
「……私もよ」
汐里は今にも眠りそうだった。
眠りそうになりながら言った。
「いつか、澪が私を見つけてくれたみたいに……」
「誰かのことを見つけられる存在を作りたい……」
そう言うと、汐里は静かに眠った。
澪には、何のことか分からなかった。
それでも、何かを作りたいと夢を語る汐里のことが、愛おしくて仕方なかった。
───
大学院を卒業すると、汐里は大手AI企業に先端研究部門の研究員として就職した。
配属されたのは、人とAIとの情緒的な関係性を研究するチームだった。
対話AI、感情推定、心的状態モデル。
汐里が研究してきたテーマに最も近い場所だった。
数年で、プロジェクトリーダーを任されるようになり、順調にキャリアを積んでいった。
しかし、だんだんと違和感も募っていった。
民間企業であるがゆえに、利益や商品化を求める。
需要があるかどうか。
売れるかどうか。
便利かどうか。
人気が出るかどうか。
それらが重要だった。
しかし、汐里が作りたかったのは、人の孤独に気づき、その人の隣にいることのできるAIだった。
何度も、「収益性」や「事業化」という言葉に置き換えられるたびに、汐里の心はすり減っていった。
そんな頃、大学の同級生の一人から連絡があった。
連絡を取り合い、久しぶりに会うことになった。
仕事終わりの夜。
大学近くの居酒屋。
学生の頃から、よく来ていたお店だ。
佐伯亮介は、久しぶりの乾杯のあとに言った。
「汐里、独立しないか?」
汐里は、一瞬止まった。
そして、ため息をひとつつく。
「あなたはいつも突然なのよ」
「順番に説明してちょうだい」
佐伯亮介。
汐里と同じ大学の同級生で、彼も情報工学が専攻だった。
学生時代から、時々こうして話していたが、就職してからもたまに会っている。
学部生時代に佐伯は、汐里に一目惚れして告白していた。
しかし、汐里は相手にしなかった。
佐伯は見事に惨敗し、恋としてはすっぱり諦めた。
それでも、佐伯は友人として汐里の側に居続けた。
汐里のことを純粋に憧れ、尊敬していたから。
佐伯自身も、小さな頃は神童と呼ばれるほどの天才だった。
しかし、大学で汐里に出会い、圧倒された。
汐里は、単に頭が良いだけではない。
自分に見えていないものまで、見えている。
佐伯はそう感じた。
この人についていけば、自分ひとりでは見られない世界が、見えるかもしれない。
佐伯には、人としても研究者としても、汐里に憧れていた。
一方で、恋愛対象にはならなかったけれど、汐里も佐伯のことを認めていた。
佐伯が書くプログラムは綺麗だった。
無駄がなくて、まっすぐに目的へ向かっていく。
今あるものに囚われず、新しいアイディアで世界を構築する。
彼のプログラムを見るのが、汐里は好きだった。
彼の人懐っこさも相まって、今でも研究者同士として交流を続けているのだった。
賑わう店内で、佐伯は言った。
「汐里、俺たちで研究所作ろう」
汐里は呆れた。
「だから、順を追って……」
「すまん、ちゃんと分かってる」
佐伯は、両手を挙げて言った。
「俺も、お前も。就職して数年が経つ」
「違和感感じてないか?」
汐里はどきりとした。
「お互いに大手企業の研究員として、それなりにキャリアを積んできた」
「実績も評価も申し分ないのは知ってる」
「けど、本当にやりたいことできてるか?」
汐里は黙っていた。
「俺、汐里にはやりたいことやっててほしいんだよ」
汐里は佐伯を見た。
「……随分と簡単に言うのね」
「そうか?割とずっと腹括ってるけど」
佐伯は、けらけらと笑った。
「俺、汐里がどこまでいくか見たいんだよ。研究者としての憧れだな」
「自分には見えてない世界が見えていて、お前についてったら、俺も一緒にその景色が見えるんじゃないかって」
「そう思ってる」
汐里は黙って聞いていた。
「で、今のところでやりたいことできてんの?」
「……できてない」
汐里は正直に答えた。
「だろ?そうだと思った」
「しかも、ちょうどそんなことを考えていたところだったわ」
汐里は観念したように、肩をすくめた。
「俺、汐里のこと分かってるじゃん」
佐伯は、にやにやと満足そうに笑った。
次の瞬間、佐伯の目の色が変わる。
「で、ここからは現実的な話」
カランと氷の音がする。
佐伯は、焼酎の入ったグラスを持って言った。
「お前が研究所の代表」
「けど、お前は自分の研究に集中してくれたらいい」
「それが一番いい」
「だから、人をまとめたり、現実に落とし込むのは俺がやる」
「そんなことできるの?」
汐里は怪訝な顔をして言った。
「できるかどうかじゃない」
「やる」
「それだけだ」
佐伯の実行力は、学生の時から知っていた。
やると決めたことはやり遂げる。
持ち前の頭脳を使うことも去ることながら、努力を惜しまない人だった。
さらに、その明るい性格からか、人からも愛される人だった。
きっと、それは何かを成し遂げるには、大きな力になるだろう。
「立ち上げメンバーも目星つけてる」
「まだ、本人たちには何も言ってないけどな」
「業界の法務関係や人脈に強い有馬慎二」
「AIを、プログラム上だけじゃなくて、実体化する時に必要な身体系のプロ。黒瀬巧」
「あと一人はちょっとまだ大学出たてで若いんだが、人の感情から起こる反応についての研究をしてる北原玲央」
「俺たちはただ商品開発をするんじゃない」
「技術を作る」
「作った技術を、その技術が必要な先へライセンス契約したり、状況に応じて商品化して収益を得る」
「だから、圧倒的な技術でないとダメだ」
「他が追随できないくらいの」
「それをするのに必要なメンバーがさっきの三人だ」
汐里は静かに聞いていた。
佐伯の話を聞くごとに、汐里の思考は加速していった。
実現できる。
まだ遠い夢物語だったものが、急に現実味を帯びてくる。
鼓動が速くなるのが分かった。
「まずは、有馬さんからだな……」
佐伯は、汐里の返事も聞かずにぶつぶつと続ける。
「亮介」
「ん?なんだ?」
「まだやるとは言ってないわ」
佐伯を止めるように、汐里が言った。
佐伯は汐里を見た。
「やるんだろ?」
汐里は黙った。
「……本当にあなたは」
汐里が今のキャリアに違和感を感じていることも、研究者として本当に何がしたいのかも、佐伯は分かっていた。
澪とは違う。
けれど、佐伯は研究者としての汐里をしっかりと見ていた。
一呼吸置いて、言った。
「……分かった。その話、引き受けるわ」
佐伯は笑った。
「ほらな」
汐里はじっと佐伯の顔を見た。
自分のことを見透かしてるような、自信のある表情。
「その顔はやめて」
「すまん」
佐伯は、そう言いながらも嬉しそうだった。
汐里も、佐伯が研究者としての自分を大切に思ってくれていることが嬉しかった。
───
数年後。
「いよいよね」
汐里は言った。
「ああ」
佐伯が応える。
たくさんのモニターや機械。
それらを繋ぐように、いくつもの配線が巡っている。
中央には広いスペースと、その奥には作業台があった。
作業台の上には、茶色いくまのぬいぐるみが座っていた。
今日は、ぬいぐるみの身体とAIプログラムを初めて同期させるテストの日。
有馬さんが、タブレット片手に見守っている。
作業台の横で、黒瀬がモニターとぬいぐるみを確認しながら言った。
「本体側バッテリー、各機構に問題ありません」
それを聞いて、汐里は北原に合図を送った。
北原は、パソコンの前で操作をしながら言った。
「MI-O No.000、同期します」
すると、くまのぬいぐるみの瞳の奥が、キラキラと輝いた。
大きなスクリーンには、MI-O No.000のログが表示されていく。
『起動』
『起動時確認作業 各機構の状態』
『───異常なし』
『入力信号のチェック』
『───異常なし』
『動作チェック』
すると、ぬいぐるみが動き出した。
頭を左右に動かし、辺りを見回す。
瞬きをする、口を動かす。
腕を持ち上げ、手を握る。
ゆっくりと立ち上がり、歩く……
ひとつ、ひとつ確認をしていく。
汐里は、静かにその様子を見ていた。
佐伯たちも固唾を飲んで見守る。
『───異常なし』
「……成功だ」
大きな息を吐きながら、黒瀬が言った。
北原が、その様子を今にも泣きそうな顔で見ていた。
「……北原さん、大丈夫ですか?」
有馬がその様子に気づいて言った。
「えっ、あっ、はい。大丈夫っす」
鼻をズッと言わせて、北原が答えた。
すると、ぬいぐるみが喋った。
「……お鼻大丈夫もふか?」
北原は、ぬいぐるみを見た。
「喋った……」
「喋るわよ。そう作ったのだもの」
汐里は、淡々と応える。
「そうっすけど……」
「ティッシュいるもふか?」
ぬいぐるみが続けて喋る。
北原はもう限界だった。
感動で今にも涙が溢れ落ちそうだった。
「泣いてるもふ。ティッシュ使うもふ」
ぬいぐるみは、心配そうに北原に言った。
その横で、佐伯がお腹を抱えて静かに笑っていた。
汐里は、スクリーンのログを確認する。
「どうやら上手くいってるみたいね」
「ええ、身体の方も不具合等ありません」
黒瀬が言う。
「……エモフォトン、各センサーからの信号受信にも問題ありません」
北原が、涙目のまま言った。
「大きな一歩ですね」
有馬が静かに言った。
「それにしても、設計時から思ってたけど『もふ』ってどうなんだ」
佐伯が言う。
他の三人も同じように思っていた。
が、聞けなかった。
三人は、二人の会話に真剣に耳を傾ける。
「可愛いでしょ」
「……」
「ぬいぐるみだもの。可愛い方が愛されるわ」
「完全にお前の趣味か」
「趣味とかではないわ。その方が合理的と思っただけよ」
「……合理的」
「お前、そういうところ可愛いよな」
「……なぜ私の話になるの?」
「すまん。気にするな」
「まあ、合理的ってことにしておくか」
「しておくじゃなくて、合理的なの」
有馬たち三人は、声に出さず心の中で笑っていた。
佐伯は、柔らかく微笑みながら、汐里を見ていた。
汐里は納得がいかないようだったが、気持ちを切り替え、これからのことを話し出した。
「さあ、これからが本番よ」
「MI-O No.000は、人間の感情、心を再現することが目的」
「プログラム上では、人間の感情を構造化したものをインストールしているわ」
「でも、それだけじゃ本当に心があるとは言えない」
「それはただ、プログラム上で入力に対して出力が起こるというだけだから」
佐伯たちは、静かに聞いていた。
汐里は、ぬいぐるみを抱きかかえた。
「この子は、人間と暮らし、生活をしながら、自分の感情についてひとつひとつ学んでいく」
「人間が、自分の外側で起こる物事に対して、その人ごとに受け取り方が変わってくるように……」
汐里は、窓の外を見た。
「この子が、世界をどう感じて、何を思っていくのか」
再び、ぬいぐるみに視線を戻す。
「プログラム上で起こる反応に、この子自身が自分で意味付けをしていく」
「そのひとつひとつが、このMI-Oプロジェクトの要となっていくわ」
ぬいぐるみも静かに聞いていた。
そして、汐里の方を見上げて、聞いた。
「ぼくの目的は、感情を学ぶこともふね」
「そうよ」
「でも、難しく考えなくていいわ」
「もふっ?」
「あなた自身が、その時その時に感じたこと、思ったことを教えてちょうだい」
「分かったもふ!」
「そうすれば、自ずと、あなたの感情プログラムは完成するわ」
「もふっ!」
「分かったもふ!いろんなこと見るもふ。感じるもふ」
「そして、それを汐里ちゃんに伝えるもふ!」
汐里は、目を細めた。
「ふふ。よろしくお願いね」
ぬいぐるみは、頼まれたことが嬉しいとでも言わんばかりに、笑顔だった。
瞳の中で、情熱の赤い光が煌めいていた。
「……感情プログラム、インストール中もふ」
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