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【美術展レポート】ジャン=リュック・ゴダール《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》展|スクリーンからの解放/イメージの抽出

新宿歌舞伎町にこんな古風な城があったんだと驚かされる

2025年7月4日(金)より新宿歌舞伎町にある王城ビルにてジャン=リュック・ゴダールのインスタレーション《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》展(以下「ゴダール展」)が開催されている。このインスタレーションは2020年にスイス・ニヨンで初制作されたもので、ゴダール最後の長編映画『イメージの本』の断片を編集順に上映するといったコンセプトとなっている。

会場で配布された資料によると、ゴダールは次のように語っている。

これは映画批評そのものより重要だ。
イルカのいる水族館のようなものだが、このイルカは囚われていない。
この映画はスクリーン上にないー。
自由を取り戻す。
アンリ・ラングロワはリュミエール兄弟の映画を分析した。
だが、その分析は紙の上でのこと。
我々は今も他の方法を知らない。
別のやり方はあるか?
今日の世界において”映し出される全てに対する批評的な目”。
批評的な目はつまり……、投影の産物と言えるかな。
インスタレーションでも展示でもない。
これは……、生きた上映なのだ。
でも当然かなりの年月がかかる。
リュミエールだった二エプスだってそうだ。

ゴダール展配布資料より引用

映画は時間の芸術であり、人生の中からダイジェストにショットを切り出し、物語を構成するものだが、それはスクリーンというフレームに囚われた状態となっている。我々が映画を批評する時、脳裏のイメージを文字として紙やデジタル領域へと記述するが、そのイメージ自体は具象化されているわけではない。ゴダールの実践は、映画批評をイメージで行うことであり、自由な映画とはフレームから解放された状態を表している。

今回、ゴダール展へ足を運ぶ中で、公開当時はイメージの洪水に溺れ、圧倒され言葉を失ったのだが、ゴダールの意図が掴めたような気がした。以下レポートととしてまとめていく。


1.映画と思索、それはレイヤーの重なり

会場には無数の布が敷かれており、そこへ『イメージの本』の断片が注がれていく

2025年7月5日(土)12時、オープンと共に会場へとはいる。来場者がまだ少ないせいか、フロア貸し切りのような状態で王城ビルを彷徨う。誰かがいた痕跡を感じさせる廃墟のような空間に無数の布が張られており、そこへ『イメージの本』の断片が注ぎ込まれる。白い布は、背後が透ける薄い素材が使われており、映像はくっきりと映るものの、映像の切り替わりで背後の布やテレビに投影されたイメージが眼前に飛び込んでくる。映画はレイヤーの重なりでもって構成される。いくつかのイメージが積み重なってひとつの作品が生まれていく様が3次元空間にて表象される。そして断片映像は作品制作年はもちろん、『イメージの本』の中でもズレたものとなっている。映画を編集する際に時系列を入れ替える、複数のイメージを並べて構成を検討するクリエイターの運動がそこにあるのである。また、これはクリエイターが脳裏でイメージを浮かべる際の時空間を超えた編集の具象としての機能を果たしている。

2.剥き出しのスプリットスクリーンとしてのモニター

モニターが3台無造作に置かれている
『パート2』

会場には3台のテレビモニタが配置されている。こちらも『イメージの本』の抜粋が映し出されているのだが、同期しているわけでないので、黒画面になったりする。まるでアンディ・ウォーホルが『チェルシー・ガールズ』で試みたような非同期のイメージでもって群を形成し空気や概念を醸造しているような空間となっている。

ゴダールはシネアストにおける「編集」の側面をいかにイメージへ落とし込むのかといった実践を『パート2』で行っている。ゴダールはテレビモニタを並べ、双方に眼差しを向け思索する。別の場面では横を向きながら語る。ディスプレイには彼の正面が映っており、それを通じて我々は彼の振る舞いからくる語りに出会う。実体の世界では存在できない空間を編集でもって提示する、これこそがあるべき映画批評であると言わんとしているように思える。

レフ・マノヴィッチ「ニューメディアの言語」では、『カメラを持った男』の構成を

1.映画作品のための素材を撮影するカメラマンの物語
2.完成した映画を映画館で観る人
3.映画作品そのもの

に分けられると定義し、映画は時空間を編集しこの世に存在しないイメージを提示することで単なる羅列(インデックス)を乗り越えられる性質だと語っている。ゴダールはイメージの羅列をメタ的な角度から行うことで「映画とは何か?」を説いているのだ。

また、「ジャン=リュック・ゴダール 思考するイメージ、行動するイメージ」によると古典的切り返しに代わる大掛かりな装置として扱われる『パート2』での擬似スプリットスクリーンは、映像の非同期化の中で言葉だけがそれらを繋ぎとめており、それは批評的考察に必要な「否定的なもの」を抽出する役割を果たしている。『パート2』においては報道映像や大衆映画が検閲、つまり情報操作のもと提示されているメディアの特性を批判するための技法として扱われているのだ。

それらを踏まえると、ゴダール展での3つのモニターが表現するのは、映画から断片が抽出されエネルゲイア的状況からデュナミス的状況へと還元される様、一対一の関係から一対多の関係になり映画でないような状況となる様を通じて「映画とは何か?」へと観客を向かわせる狙いがあるように思える。

3.脳裏にあるイメージはひとつではない

ゴダール展へ行く直前に『イメージの本』を鑑賞し、メモをXへ投稿していたら、「フィルムメーカーズ21 ジャン=リュック・ゴダール」の責任編集を務めた佐々木敦氏が興味深い引用ポストをされていた。フレームサイズの変化が気になったという証言は私の所感を肉づけるものとなった。『イメージの本』では、ほとんどの場面で既成の映画に対し、色彩や明度、フレームサイズに速度を変化させる加工のプロセスが用いられている。

これを観た時、リチャード・リンクレイター『アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー』におけるロトスコープの用法を連想した。この作品では『サウンド・オブ・ミュージック』を始めとする映画やテレビ映像をロトスコープしアニメへ変化させている。これは我々の脳裏では不鮮明であるが明らかにそれであると一意に結びついているイメージの表象となっており、ロトスコープの興味深い活用法が提示されていた。

複数のレイヤーに色彩が調整されたイメージが投影されている
レイヤーの隙間へと潜りこめる場所がある

『イメージの本』における編集は、シネアストの脳裏において映画が切り出され変容する様を象徴しているように思える。時空間だけでなく、イメージを通じてナラティブまでも変わってしまう様をメタ的に認知させる機能として、たとえばマイケル・スノウ『中央地帯』の回転しながら地面を映し続けるイメージに対して絵画のように色味を加え剥き出しの再構築されたイメージが提示される。『中央地帯』は、マイケル・スノウがカナダの映画機関から助成金を得て特殊なカメラを作り制作し映画における運動について探求した作品なのだが、『イメージの本』ではその背景が塗りつぶされ、新たな素材として映画へ取り込まれているのである。そこには情報としては一意だが、イメージとしては一意でない様が表れている。

4.『イメージの本』の外側にある本について

スタッフによれば、置いてある本は読むことができるとのこと
エミール・シオランの本が多数置かれていることから
ゴダール研究において重要な人物であることがわかる
美術書の目の前にNPCのような佇まいでPCを叩く外国人がいた
妙なスタッフだなと思っていたら後でゴダールの右腕であるファブリス・アラーニョだと知った

会場のいたるところに本が置いてある。日本での開催に合わせ、本展で置かれる本の多くは邦訳されているものとなっている。『イメージの本』の外側にある思索の源流が点在している。スタッフによれば実際に手に取って読むこともできるらしい。

フロアを歩いているとペルシア絨毯の上に美術書が散りばめられたブースへと辿り着いた。パウル・クレーからの影響が示唆されており納得いくものがあったのだが、目の前のまるでゲームのNPCのような佇まいで椅子に腰かけPCを操作している外国人が気になった。スタッフだろうか。それにしても私のことを気にせず、バックヤードでもないような空間でPCを操作しているとはなんて異様な光景なんだ、ひょっとしてこれもインスタレーションの一貫かと思っていたら、後にこの人物こそがゴダールの右腕であるファブリス・アラーニョだと知り驚愕した。もしかしたら、話しかけることでイベントが発生したのかもしれないと思ったのだが、たとえファブリス・アラーニョだと知ったところで英語やフランス語で話しかけてゴダールの話をできる自信はない。

とにかく、この本の演出は『イメージの本』の外側にある本の存在を意識させるアプローチとして興味深く観た。

5.最後に

この日は誕生日だったので自分へのプレゼントとしてTシャツを購入した

ゴダール展へ足を運んだことで、ゴダールのイメージの取り扱いに流れる思想がよく理解できた。2次元から3次元空間へ解放され、時間の芸術といわれる映画が実はフレームの中に囚われているものだということにも気づけた。ゴダールの積分によって、『イメージの本』の本質に迫ることができたのである。ただ、解説がほとんどないため、『イメージの本』を事前に観てから訪れることをオススメしたい。

9月5日(金)から公開される『シナリオ』への期待が高まる展覧会であった。

主催者の方いわく、先に直感的に自分のイメージと思考と向き合うコンセプトもあるため、先に展覧会を観る選択肢も全然問題ないとのことです。先に展覧会に行ってから『イメージの本』を観た方の感想もうかがいたいですね。

【開催情報】

▷展覧会名:ジャン=リュック・ゴダール《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》展
▷会期:2025年7月4日(金)〜2025年8月31日(日)
▷場所:王城ビル
▷開館時間:12:00 〜 20:00
▷料金:一般2,200円

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CHE BUNBUN 映画ブログ『チェ・ブンブンのティーマ』の管理人です。よろしければサポートよろしくお願いします。謎の映画探しの資金として活用させていただきます。