ジハード第24話「牙を剥く時」
腐悪邪悪流号はガッシャーンと大きな音を立て地面に叩きつけられた。
大切なプレゼントをくれたと思ったあの日、その思い出が壊れるかのような大きな音だ。
「なにするんですか!?」
僕は怯えて言った。
「分かんねぇのか!?ハメられるぞ!」
見ると横倒しになった腐悪邪悪流号のカゴから何本もの缶が散らばっている。
あまり馴染みのない缶だ。
「酒だ!ファジャールが手に取るところ盗撮でもしようって魂胆じゃねぇか?」
イスラム教では、アルコールの摂取は許されない。
それを手にした僕を撮影して、写真が社内に拡散する。
「やつの信仰心は偽物だ」
そんな雰囲気が出来上がって、そこからさらに仕事中に行なっている礼拝も、ただのサボりだなどと口々に叩かれる未来は容易に想像できた。
誰がこんなことをしたのかは分からない。
でも今回は未遂で済んだ。
しかしそれは啓介のおかげだった。
歯を見せて啓介は笑う。
「このまま黙ってるつもりか?」
僕は怖かった。震えるような恐怖だ。得体の知れない、この会社に蔓延る黒いモヤのような雰囲気を前に1人でどうこう出来る問題ではないように思えた。
「僕の力ではどうすることも出来ません。社長にも自宅待機を命じられました」
「さっきまで平口さんと話してた。状況も聞いてる。でもここまでされて、俺はもう黙ってられない」
「元気か?って聞いて怒ったよな?怒れるならまだ大丈夫だ。怒りはパワーになるぜ。問題はそのパワーをどこにぶつけるかだ」
僕の中で押しつぶされ苦しくて元通りになることが想像できないでいた心が、じわじわと暖まりだすのを感じた。そしてやがてその温もりは熱となるだろう。
「許されるのなら潔白を証明したいです。そして、この会社に渦巻く差別感情と勝負したい」
「やってやろうぜ、まずはこのクソしょうもねぇイタズラをした犯人を炙り出すぞ」
啓介の言葉には、熱があった。
触れたら火傷してしまいそうなほどの熱意から吐き出された言葉だ。
弱者を虐げるその状況が許せないのだろうか?
それだけなのかは分からないが通常では考えられない気持ちの入りようだ。
そういえば先ほどの機転の良さも、見事としか言いようがなかった。なぜ瞬時にカゴの酒が罠と理解できたのだろう?
「啓介さん、よくあの酒が罠だと気づきましたね」
「まぁな。洗礼の数が違げぇ」
洗礼とはどう言ったこと?…と言おうとしたその表情を読み取ったのだろう。
「修羅場の数が違げぇ」
とだけ言うと目の前の男はニヤリと笑って見せた。
啓介と2人で事務所がある建物へ入る。
入り口のドアはこんなに重かっただろうか?人影もまばらとなったオフィスフロアは最小限の照明がまばらについているだけで薄暗く、これから起こる嵐の前触れのように静かだった。
デジタル推進室の一角へ辿り着くと、それまで毎日17時で退社していた平口が座っていた。
「平口さんにパソコン似合わねー!豚に真珠、平口さんにPC」
啓介が茶化すと平口は
「お前の家の冷蔵庫のピーナツバター、全部マシングリスに変わる呪いかけてやる」
と言って笑っている。
平口と冗談を言い合う関係性だったのか、啓介のコミュニケーション能力に驚嘆する。
「啓介さん、平口さんと仲良いんですね」
「平口さんは元々保全係で設備トラブルなんかでよく世話になってたからな」
なるほど、そういった事情があったのか。
そんな時にふと時計が目に止まった。時間はもう少しで18時だ。この時間まで会社に残っている平口を見るのは初めてだった。
「平口さん、今日は帰らないんですか?」
僕が素朴な疑問を投げかけると平口は手元の書類の山からガサガサと探し出した1枚を一瞥する。
チラシのようなその紙を折って器用な手つきで紙飛行機を作り上げると僕の方へ向かって放った。
音もなく静かに滑空した紙飛行機は僕の足元に着陸する。その飛行機を取り上げて広げてみた。
しわや折れ曲がったところを伸ばすと「パソコン教室」の文字が目に留まった。
「平日2時間コース 18〜20時」の記載にいびつな赤丸が書かれている。
「昨日までだったんだ。ファジャールが入社する前からだから半年以上か」
全く知らなかった。てっきり17時で仕事を切り上げてアルバイトをしているとばかり思っていたからだ。
「平口さんは、アルバイトに行っていると噂されていると聞いたことがあります」
推進室に配属された日に染地から聞いた噂話だった。
平口はふん、と鼻を鳴らすと
「言いたいやつには勝手に言わせとけ。噂なんてのは他人のことばっか気にする暇人の言い分だ」
と言って缶コーヒーを流し込むと僕をみて
「ファジャール、こないだの室長命令取り消すぞ。やるだけやっちまえ」
と言ってニヤリと笑った。
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