見出し画像

【子育て】私が子供に対して「私のこと嫌いなの?」を禁止にする理由


「ママ、◯◯のこと嫌いなの?」

子供が少し前に、こんなことを言い始めた。
この言葉を使うときは大体、自分の要望が叶えられないときだった。

私の中の子育て論は、たいしたルールは存在しない。

ただ、私が子供を産むと決めて、

そしてお腹の中に子を宿したときに
子供の名前にも込めた願いは

「自分の感情をちゃんと言葉にできる子」

だった。

誰かの我儘や理不尽な感情を優先しすぎず、
自分のためだけに生きて、
自分のことを一番最初に大切にし、
そして嫌なことを「いやだ」と言える子。

私は子供に
「こうなってほしい」という感情はあれど

今育てている子が、私のイメージ通りで無くとも良いとは思っている。

それでも、私がこうなってほしいと感じる要素は
子供の周りに準備して置いておいてあげたいと思い、色々と工夫しているつもりだ。

だからこそ、この記事でも述べたように
感情を言葉に出せるようになるアシストを
なるべく意識しておこなっている。

その上で、
子供が私の求めていない道を選んだとしても

それはそれで、
私の望む「自分の意思を優先する子」だから
私にとって喜ばしいことなのだ。

だからそういう意味では、
子供が私の思う形にならなくたって
いいのである。(勿論限度はあれど。)

そんな私のポリシーのもと、
私は私なりに試行錯誤しながら子供と向き合っているわけだが、

最近子供と私の中で
なるべく禁止にしている言葉がある。

それが、

「ママ、◯◯のこと嫌いなの?」

である。

これは正直、私自身も仕事や色んな場面で思ってしまう時がある言葉だ。

自分がやりたいことをさせてもらえなかった時。
理由がわからず拒絶された時。

なんで?私のこと嫌いなの?と思ってしまう。
(もう31にもなるので、ただメンヘラなだけですが・・・)

私は基本的に
子供がやりたい事を否定することはしない。

夜の11時に
お絵描きをしたいと言っても付き合うし、

子供がコネくりかえしたジャムパンのかけらを
口元に押し付けられても

内心「ウゲー」と思いながらも食べる。
(私は謎な部分が潔癖症なので基本そういう
ものは食べたくない派なのだ)

それでも子供の要望をきかない時だってある。

基本的にはそれは教育上の話で、

机に足をあげることや、
ご飯の前に大量のおやつを食べること、
そして子供自身が私と約束した事を反故にしようとした時などだ。

そういう時はどんなに子供が可愛くても叱るし、
どれだけ泣き叫んでも承諾しない。

特に約束に関しては、とても厳しくしていて、
例えば子供が
ご飯の前にチョコレートを食べたい
と言うと、

必ずご飯を食べなかった時のペナルティを子供自身に決めさせる。

そして私自身も
いくつか選択肢を子供に与えて選んでもらう。

例えば、
チョコレートではなく、お煎餅1枚ならペナルティなしで食べて良いよ、

と言ったり、

ご飯の後ならペナルティなしでチョコレートを食べても良いよ、

などである。

私の選択肢を子供が受け入れる時もあるが、
時として子供自身も、

どうしても「ご飯の前」に「チョコレート」を

食べたい時だってある。

そういう時に、その約束を守らなければ、

この場合だとチョコレートを食べたのにご飯を全て食べなかった場合は、子供が設定したペナルティをどれだけ泣いても遂行する。

・・・まぁ、とは言いながら、
結局最後は多少折れたりするけど、

それでも子供にはしっかり理解してもらうための時間も労力も割いて、

約束は限りなく守らせる。

子供はそんな時に、さっきの言葉を使っていた。

私は内心、うーん、と思いながらその場ではその言葉をスルーした後で

改めて子供も私も向き合える瞬間に、
その時の話をしながらこんな話をした。

「ママは私のこと、嫌いなんだ」
「そんな事するなら一緒にぎゅっとして寝てあげないんだから」
「ママとなんて、一緒に遊んであげない」
「なんかママ、可愛くなくなっちゃった」

子供は自分の要望が叶えられない時、
こういう言葉を時々言う。

言っていることは何もかも微笑ましく可愛い。

小さい子供が、精一杯交渉しようと
今知っている言葉を最大限活用して自身の要望を叶えようと試行錯誤する姿は、見方によってはとても素晴らしく、その成長速度にびっくりするばかりだ。

それでも、

相手に自分がして欲しいことを
してもらえなかった時に、
相手自身の自分に対しての好意を利用することは
してはいけないのである。

私が子供を好きで愛しているのは、
子供が私の思い通りに動くからでは無く、
子供という存在こそが私にとっての生きる希望だからなのだ。

しかしそんな純粋な好意を
子供自身が、

自身のやりたいことを叶えられなかった=ママは私のことが嫌いなのね!

と結びつけられると、
無性の愛がなんだか汚された気持ちになる。

また、子供自身が無性の愛でしてくれている

「ママを可愛いという事」(子供は私のことを時々プリンセスと言ってくれる)や、

眠る時にぎゅっと抱きしめて「ママ、大好きだよ」と言ってくれる気持ちや好意を、

子供がして欲しいことをしてあげなかった時の
交渉材料に使って欲しくない。

無性の愛は、
無性の愛こそで返されるべきだし、

それ以外のものは代用にはならないのである。

だからこそ無性の愛を使って、
人をコントロールしようとしてはダメなのだ。

それはなかなか難しいことで、
私自身も気を抜けば、
それと同じようなことを言ってしまう時もあるが

それでも意識してお互い、
そういう事は言わないようにしようと
二人の中で決めた。

子供はその話以降、

「私のこと、嫌いなの?」

という事は殆どなくなったし、

なんなら、冗談のように

「ママ、私のこと・・・・・・・・・」

と言って私の顔を意味ありげに見ながら

「大好き!」

としたり顔で言ってくるのである。

きっと子供にとっては
私の言葉は難しい言葉ばかりだろうが

それでも必死で汲み取り
そして自分のことと
そして私のことも尊重し、
大切にしようとしてくれている。

私は子供のこういう部分がとても大好きだし、

それと同時に、

自分のことも私のことも大切にしてくれる姿に

私自身も子供から
「愛されている」と実感でき、
ギフトをもらっているような気持ちになるのである。

#創作大賞2025 #エッセイ部門


いいなと思ったら応援しよう!

棗 ご無理無い範囲でお願いします。貰ったものは還元できるよう尽くします。でも本当に嬉しいのはコメントです。^^