子供が嫌いな私が、子を産んで見つけた3つのこと
私はこの記事でも書いた通り、子供が苦手だ。
今でも、生まれてきた子供以外の子が生まれるのであれば、
子供を欲しいと思っていないし
そういう気持ちなので2人目なんて全く欲しくない。
私の器では子供1人が精一杯だし
(というか、精一杯やっても充分ではない)
器もないのに子供を産むなんて、
私からすれば、もってのほか、なのである。
(かと言って他の人が云々はないよ、あくまで私自身の問題です。でも子供をおもちゃにするやつは悪でしかありません)
それでもそんな子供嫌いの私が子供を産んで、
ふむ。なるほど。これが子を産む理由か、
と思った事がいくつかあるので
3つほどシェアしたいと思う。
1.世界がとても綺麗なものに見える
ある時子供が、私の手を引きながらこう言った。
「見て、ママ。あそこにブタさんがいるよ」
ここはただの街路樹しかない平凡な道。
辺りを見回しても、動物など、ましてや豚などいるわけがない。
「ブタさん?どこにいるのかなあ?
ママにどこにいるのか教えてくれない?」
私がそう言うと、子供はにっこりしながら
ある場所を指差す。
そこにはただの木があるだけ。
ただ、よく見ると、なるほど。
豚に見えなくも‥‥うーん、み、見えなくも?
「ほら!ブタさんがいるでしょ!」
自信満々に私を見つめる子供。
私が幼少期の頃、
両親はこの光景をどんな風に見てくれていたのだろうか。
「良い子であれ」
「そうしなければ好かれない」
私はいつからそんな呪縛に囚われてしまったのだろうか。
「ほんとだね。ブタさんだ!
さすが、センスがいいねぇ。天才だね!?」
私は子と接する時、
小さな自分を一緒に抱きしめる。
2.ちゃんと生きる、という事を思い出させてくれる
子供は時に鋭く、ハッとするような言葉を言う時がある。
ある時、子はとても不機嫌そうにしている時があり、何をしても「イヤ!イヤ!」の連続の時があった。
私はそういう時、
なるべく根気強く対応しながら求めている事を探すようにしている。
でも時には、子供自身も何が「イヤ」なのか
わからない瞬間があったりもする。
そりゃそーだ。
大人だって意味もなく落ち込む事がある。
何もかもが初めてのことのはずの、小さい子供なら、自分の気持ちを正しく言葉にできないなんて、至極当然のことだ。
そんな時、私はこう言う。
「どうして欲しい?
根本的な解決にならなくてもいいよ。
君がしたいことをしてみよう。
何か力になれることはある?」
そう言うと子は
涙をいっぱい溜めた目をこちらに向けながら、
「抱きしめて欲しいだけなの!」
と言うのだ。
‥なんて可愛く、愛おしく、強い生き物だろう。
愛される為に生まれてきた存在。
そして愛することを
素直に求めることができる強さ。
これこそが、生きるという事なのだな。
私は子を抱きしめるたび、
私は私自身が誇れるような、胸を張れるような、
そんな「母親」になろうと日々誓う。
3.自分の人生をやり直しているような気持ちになる
最初にお伝えしておきたいが、
自分自身と子供は別物。他人である。
他人ではあるし、子供の意思は子供のもので、
子供の未来も、当然子供のものだ。
そこには
「育ててやったのに」
「こんなに時間をかけたのに」
なんて、クソみたいな感情は存在しない。
常に子供から学ぶべきものがあり、
私は子供を「育てさせてもらっている」し、
「時間を共に生きさせてもらっている」のである。
それでも。
私は子供を通して、小さい頃の自分を抱きしめているような感覚が時々ある。
私が小さい頃かけて欲しかった言葉。
今伝えたい気持ち。感情。
きっと、まだまだ幼い子にとっては、
時に難しいことも話しているかもしれないが
それでもそのタイミングがきた時には
しっかり話すべきだと思っている。
悲しい時は、なぜ悲しいかを伝えないと
相手は自分じゃないから伝わらない事や、
何かをしてもらえることは当然じゃなく、
そこには色んな人の努力や優しさが込められている事や
子が生きている事、
そのものが素晴らしくかけがえのない事や
この先、子がどんな生き方を選択をしたとしても
私がいま感じている思いは生涯変わらない事や、
そんな、ちいさなキラキラとした
そしてとても柔らかく穏やかな思考を
子にプレゼントする時、
本当に贈り物をもらっているのは
自分自身なのだと気づく。
そうして私は母になり、
そして子は少しずつ大きくなるのだ。
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