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母であることと、私が私であること - SMとの距離感


私には、いくつかの記事で触れているように子供がいる。
それもまだ小さい子だ。

ここに書いてある投稿を読んでいただけた人なら
うっすらお分かりいただけたかと思うが、
私は文字中毒である。

特に自分の感情を形にする事に
めちゃくちゃ執着しているし、
文章に落とし込む行為こそがストレス発散となる。(時にストレスがたまる原因にもなるが)


エックスにも、
マスターと主従を結ぶ前の
パートナーアカウント自体から
毎日毎日大量の文章を書いていたので、

死にたがり仲間に

「お前の文章は分量もそうだけど、

質量が凄すぎる。

一つの文章を消化するのにエネルギーが大量にいる」

と言われた経験があるぐらい、
私の文章は分かりにくく、内容が重く、
そして数が多いのだと思う。(多分)

思い返せばネットを知った高校生時代から
ケータイブログを始め、
不特定多数の公開の仕方が知らなかった頃は
Yahoo知恵袋みたいな所のエロジャンルに生息し

そしてもっと前は、
ただのノートに書き殴るように
自分の感情を書いたりしていた。

そんな活字中毒の私だが、今まで、子について
SMの事を触れているアカウントや媒体では、
全く触れたことはなかった。

それどころか妊娠や出産についてすら
エックスで触れることはなく、
意図的に「子」という存在を排除してきた。

それは何故なのか?

誤解を恐れずにいうと、私はSMが「嫌い」なのだ。嫌いというか、汚いと思っている所さえある。

勿論、SMは素晴らしい。
SMがあったおかげで生きてこれた。

それでも私は結婚当初SMを捨てようとした。

まぁ、結局この世界に戻ってきた身なので、
SMの重要さに気づいているつもりだし

実際のところ、
私は学生時代にパートナーから導かれてSMを知らなければ、この世界に今も生き続けていないかもしれなかった。

そのぐらいSMは私にとって大切なもの。
自分らしさを解放できる場所。

それでも自分の子に、
SMを知って欲しいか?というと
答えは「NO」である。

何故ならSMは「救い」なのだ。
生きづらい人間たちの逃げ込み場所なのだ。

子にはそんな場所に来てほしくないと願うのは私だけだろうか。

あたりまえの親心といっても過言ではないと思う。

そして同時に誤解を恐れずいうと、
私は子供が「苦手」だ。
もっと言うと、本当は「嫌い」だ。

結婚する前は全ての子供のことを
うっすら嫌っていたし、

正直なところ、結婚し、子供を産む直前まで、
もっと正直に言うと、
ここ最近まで、子供全体が苦手で嫌いだった。

何故なら子供は思考がないからだ。
意味不明なことや意味不明な行動をするし、
そのため何をするかその先が読めないと思っていた。

(私は実際にはある理由で子供を産んだが)
それまで子供を産みたいとも、
なんなら結婚したいとも思ってはいなかった。

私は自分のことが大嫌いで、
今だってまだ多少嫌いなわけだが

そんなやつの遺伝子を残さねばいけないなんて
吐き気がするほど嫌だった。

そして、そう考えなくても良い、
子供を好きな人全員がある意味羨ましかった。

その感覚は子を産んだ今も、
あんまり変わっていない。

ただ、子を産んだ事に後悔はしていないし、
過去に戻れたとしても
今の子が手に入るならマジで眠れなくて
死にたくなった産後すぐの一年だって
乗り越えられる気がする。

(一生したくはないけど)

子をつくる、子がいるという事は、
自分自身が変われる最後のチャンスだと思う。

私は子にとって自慢の母親になりたいし、
その為には私自身が、私の事を好きにならねばと思う。

それが私にとって、
色んな倫理観や常識を踏み躙り、
やりたい放題しながらも
生にしがみついてきた贖罪であり

結婚にのぞんだ覚悟であり、
そして子を産んだ責任なのだ。

#創作大賞2025 #エッセイ部門


私とこどもの関係性についてはこちらもどうぞ。



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