13歳からの100万円投資ゲーム「人生負けたら借金1億円」【第五章】
【第五章】「埋没費用」
省吾は東京の国立大学に進学し、一人暮らしを始めた。ビルの管理事業は法人化し、地元の大学に進学した同級生に経営を任せて、自分は知見と人脈を広げるために、IT系のベンチャー企業で学生インターンとして働くことにした。
バラ色の大学生活が始まると思っていた矢先、いきなり出鼻をくじかれた。世界的な不況がはじまり、省吾の持っていた投資信託が軒並み下落し始めたのである。
省吾はマイケルに連絡を取り、コワーキングスペースの会議室で落ち合った。
「今の株価暴落は、欧米でAIサービスの規制法案が一斉に強化されたのが原因です。AI関連の企業の株価が下がり、その影響で半導体企業の株価も下落、世界の為替にまで影響を与えている状況です。昨今の異常気象による農産物の不足や、諸外国の紛争によるエネルギー資源の高騰なども、株価の大幅下落の要因になっています」
省吾は株の相場が永遠に右肩上がりでないことも、10年周期で定期的に下落期間が訪れることも理解していた。じっと待ち続けていれば、いずれ相場が元に戻るということも分かっていたが、いざ、株価が下がると、居ても立ってもいられなくなっていた。
マイケルは省吾の気持ちを察して、ゆっくりと口を開いた。
「投資で失敗する人の要因は、相場が下がった時に不安に陥って、今まで育ててきた金融資産を手放してしまうことです。損失を出したことで、投資に対して恐怖心を持ってしまい、二度と投資をしなくなる人も少なくなりません」
省吾は株価が下がった時の対処方法をマイケルに聞いた。
「身近に信頼できる人、もしくはメンターに頼ることです。たとえば、ネット証券のほうが、手数料が安いですが、誰にも相談できず、自分の判断で売り買いができてしまうので、下げ相場になると、怖くなって簡単に手放してしまう人が多いです。しかし、証券会社の窓口であれば、証券マンから投資信託を買うので、下げ相場でも『もう少し様子をみましょう』とアドバイスをしてくれます。自分の感情ではなく、第三者の冷静な意見を取り入れながら、株の保有や売却のタイミングを見計らうことができるようになるので、客観的な判断ができるのです。投資に詳しい人のコミュニティーに入ったり、SNSなどで意見交換などをしたりしながら人脈を作っておくと、冷静な意見を聞くことができて、株の売買の損失を最小限に防ぐことができるようになります」
マイケルは「株価下落は続いてもせいぜい1年です。それを過ぎたら上げ相場に戻ります。もう少し我慢して持っておきましょう」とアドバイスした。
省吾は株価下落を見通せなかった自分の眼力のなさに、ひどく落ち込んだ。日々、日経新聞や株価情報に目を通し、景気の好不況には目を光らせているつもりだった。しかし、今回の株価の相場下落は「もう少し様子をみよう」とずるずると引きずってしまい、結局、大幅な下落となってしまった。
元を辿れば、株価が下落したのも、欧米でAIの法案の規制を強化したことが要因である。いずれAIは社会に浸透していくものだから、規制を強いることは、世界経済の発展を遅らせることにもなりかねない。
そのような考えを巡らせていると、欧米のAI規制を行った政治家たちや、自分の投資家としての能力の低さに、怒りが込み上げてきた。
その様子を見ていたマイケルが、省吾に「怒らないことです」となだめた。
「怒りを持つと冷静さを失って適切な判断ができなくなります。リスクを過小評価してしまうことにもなりかねないので、怒って状況が改善することは何ひとつありません」
省吾が「どうやってこの気持ちをコントロールすればいいんですか」と尋ねると、マイケルは「忘れることです」とあっけらかんと答えた。
「欧米のAI規制法案も、省吾君が株価の下落を見極められなかったことも、今さらどうにもすることができないことです。そのような自分でコントロールできないことは、『忘れる』のが一番です」
マイケルは「『サンクコスト』という言葉をご存じですか?」と省吾に言った。
「証券用語で『埋没費用』とも言います。それまで費やした労力やお金、時間などを惜しんでも、その損失を取り返すことはできません。そして、その事実を悔やみ続けていても、将来の投資に対していいことは何一つない。過去の失敗したことや、自分の力でどうにもならなかったことは、過去の“コスト”として忘れて、また未来に向けて、株の相場が戻ってくることを信じて、引き続き積立投資を行うことが、私の言っている“忘れる”という意味なんです」
マイケルの言葉で省吾は冷静さを取り戻した。さらにマイケルは言葉を続けた。
「下げ相場の時は、投資信託の残高などは『見ないこと』です。そして、貯金は最初から『なかったもの』と忘れてしまうことも大事です。所詮は金利が勝手について、増えていっただけのものですから、もったいないなどと思わないようにしたほうが、投資はうまくいきます。短期で企業の株を売りさばいて利ザヤを稼いでいるのではなく、長期で投資信託を保有しているわけですから、株価が下がったとしても焦る必要はありません。命が取られたわけではないのですから、『お金がなくなった程度のこと』と思えば、人生において株価が下がるなんて、たいしたことではないんです」
省吾が大学2年生になる頃には、株価の下落が止まり、相場が正常に戻り始めていた。投資信託は三分の一程度のマイナスを出したものの、少しずつ上げ相場となり、省吾の気持ちも比例して落ち着きを取り戻し始めていた。
そんな安定した日々を迎えたのも束の間、また悪い話が省吾に飛び込んできた。
「ビルの管理会社の口座にお金がありません!」
経理を任せているスタッフから連絡が入り、慌てて銀行口座を確認したところ、500万円近いお金が何者かに引き出されていた。残高は端数と思われる3000円しか残っていない。調べてみると、会社経営を任せていた同級生が、会社のお金を持ち逃げして行方不明になっていた。
信頼していた仲間に裏切られたことは、省吾にとって大きなショックだった。同時に、同級生に対しての怒りが込み上げてきて、机を拳で勢いよく叩いた。
『怒らないことです』
マイケルの言葉が頭の中をよぎった。省吾は目をつむり、一回大きく深呼吸すると、少しずつ冷静さを取り戻していった。
このような想定外の損失が出ることは、起業前から覚悟していたリスクである。このリスクを背負っているからこそ、リスクを背負わない人から利益を搾取することができるわけであり、人より大きく稼ぐことができる。ハイリスク・ハイリターンになるのは、起業した時に承知していたことなのだ。
金を持ち逃げした同級生を恨んでも、お金が返ってくることはない。まさにマイケルが言っていた「サンクコスト」がこれに当たる。過去のことを悔やむことよりも、今後、同じような失敗を犯さないための仕組み作りをすることのほうが、経営者に求められる次のアクションといえた。
省吾は投資信託の一部を解約し、そのお金を従業員への未払いの給与に充てた。そして、会社の経理担当は、他人ではなく、自分を裏切る可能性が低い母親に託した。
お金を持ち逃げされたということは、お金をいつでも横領できる環境を作ってしまった経営者の責任である。考えてみれば、自分が東京に来てから、会社の経営をほぼ同級生に丸投げしていた。地元にもほとんど帰らず、横領する隙を与えてしまったことは、自分が大いに反省するべき点といえた。
今後は定期的に地元に帰り、従業員とまめにコミュニケーションを取り、緊張感を持ち続けてもらうことが必要だと思った。
大学3年生になった省吾は、インターンシップで知り合った他大学の学生たちと一緒にベンチャー企業を立ち上げた。空き家の持ち主と、空き家を借りたい人をマッチングさせるビジネスで、省吾は自分が経営していたビルの管理会社を地元企業に売却し、その資金をベンチャー企業の出資にあてて、その会社の役員の一人になった。
誰かに雇われているようでは、永遠に大金を掴むことはできない。だからといって、株の投資だけでは大金を稼ぐまでに時間がかかる。今の金融資産を使って不動産に投資するのはリスクが大きすぎるし、大企業の社員や公務員になって、他人と同じような仕事をやっていても、特別なスキルが身に付くわけではない。いずれ企業から使い捨ての人材として扱われて、40代で早期退職になることは目に見えている。
大金を掴むためには、適度なリスクを取り、他人と違うことをするしか方法はない。そのためには、自分が起業するしかないと思ったが、会社のお金を持ち逃げされた経験から、小さなビジネスはリスクしかないことを知った。大きなお金を手にするためには、事業が拡大していくビジネスに出資する必要があり、会社が大きくなったことで、自社株やストックオプションで億単位のお金を手に入れるしか方法はないと思った。仮に出資に失敗したとしても、命を取られることのほどではない。これもマイケルから教えてもらったサンクコストの考え方だった。
最近は人手不足なので、仮にベンチャー企業への出資に失敗しても、今の自分のスキルを活かせば、次の仕事はすぐに見つかるはずだ。以前に比べて起業のコストとリスクは下がっている。その点を考えれば、今の時代、ノーリスクの大手企業のサラリーマンになることは、もっともメリットのない選択だと思った。
大学を卒業する間際に、健太からLINEで連絡が入った。社会人になる前に、一度、東京で会おうということになり、品川駅近くの居酒屋で落ち合った。
「就職先が決まったよ」
健太は大手IT企業の名前を口にした。早稲田大学に進学した健太にはふさわしい就職先と言えた。
「初任給で30万ももらえるんだぜ」
健太は自慢げに話し始めた。しかし、省吾から見れば「30万円」という給料にはまったく魅力を感じなかった。むしろ、若い頃にたくさんのチャレンジできる大事な時期に、たった30万円で自分の時間を切売りすることに対して、気の毒にさえ思えた。
初任給が良い会社が、今後、勤め続けていても昇給する可能性が低いことも分かっていた。そもそも、その高額な初任給は、その会社で働いている中高年の給与を据え置いて生み出したお金に過ぎない。健太も30歳を過ぎた頃には、給与が上がらないことにきっと気づくはずである。
しかし、その年齢から転職活動をしても、時すでに遅しだ。給与や安定を目当てにして働いているはずだから、当然、健太には仕事に役立つスキルが身についていない。若いうちは転職するだけで給与が上がっていくかもしれないが、2~3年おきに転職する人材に、企業が高い給与を払うだけの価値を見出すはずがない。
さらに40代になると、給与が極端に下がり、転職先もなくなり、安い給与で誰でもできるような単純作業をやらされるのが関の山だろう。転職を繰り返しているから、退職金も少ないし、そのような目先の利益ばかり追いかけている人が、将来を考えて投資などをしていることもない。
おそらく健太は、バトルファンドに参加していなくても、お金には縁のない人生を歩んでいるに違いないと省吾は思った。
家に帰ると、ポストに一枚の絵葉書が入っていた。絵美からだった。
「お元気ですか? 以前は私が挫折した時、たくさんのアドバイスをしてくれてありがとう。あのあと、ダンスや歌など、様々なことにチャレンジしてみたんですが、どれも芽が出ず、ふたたび人生を諦めかけていた頃、私のYouTubeを見てくれていた会社の社長さんから声がかかって、今は沖縄県の泡盛のメーカーで、広報の仕事をやらせてもらっています。正直、会社勤めになることは、自分の今まで積み上げてきた経験をすべて捨てることになるので、その道に進むかどうかたくさん悩みました。でも、過去の自分のやってきたことを思い切って捨ててみることも、新しいチャレンジになるんじゃないかと思って、この世界に飛び込んでみることにしました。夢だったアイドルにはなれなかったけど、多くの人の前で表現をして、みんなに喜んでもらえる仕事に就けたことで、ひとまず、自分のやりたかったことは達成できたのではないかと思っています。まだまだ道半ばですが、もし、沖縄に来ることがあったら、美味しい泡盛のお店を紹介しますので、ぜひぜひ遊びに来て下さい」
ハガキに記されていた公式YouTubeにアクセスすると、絵美が泡盛や沖縄料理について、面白おかしく紹介する動画が流れていた。再生回数を見ると、どれも1万回以上再生されており、チャンネル登録者数はすでに20万人を超えていた。どうやら絵美は、とんでもない金脈を見つけたようである。
省吾はほぼ決着がついたと思っていたバトルファンドが、より楽しみになってきた。
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