ガンダムミリしら勢のソーサツ・チエカが「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を観た記録

2025年4月9日~6月25日に放送されたアニメ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」(以下「ジークアクス」)を観ました。これは第11話が放送された時点で急にお祭りに参加したくなり、最終第12話の前にAmazon Primeで一気見したものです。第12話は配信開始と同時に観ました。

なお、ジークアクスを観始める前の時点で、私はガンダムシリーズについてほとんど全く知らない状態でした(顔と名前が一致する人名は「アムロ・レイ」「シャア・アズナブル」「スレッタ・マーキュリー」の三つだけでした)。そのような立場で観るジークアクスの感想には何らかの価値があるかもしれないと思い、ここに記録するものです。たぶん古参のガンダム勢の方にとっては、私に何が見えていないかということの方にこそ価値があるのでしょう。

感想の大部分はtwitterの以下のツリーからの転載です。

第1話

ジークアクスの第1話を観ました。私は初代ガンダムでアムロがマニュアルを読んでガンダムを操縦したことは知っているのですが、そういう才能をエヴァのように精神的な資質として解釈したものがキラキラ、ということでしょうか……?

それはそうとして、「ガンダムを観る」という状況自体が、巨大な文脈に身を投じることに特有の高揚感がありますね。今からポケモンを始める人も同じ気持ちだったりするのでしょうか。

第2話

ジークアクスの第2話を観ました。私はシャアがジオン公国に属していて地球連邦と戦っていることは知っているのですが、この回で描かれたそれぞれの戦闘がどういう経緯で起きたのかは初見ではよく分かりませんでした。(私はこのジークアクス一気見では巻き戻しや一時停止をしないことにしています。)

第1話から急に作画や音楽がレトロな感じになると、たぶんここは私が知らないだけで過去作のオマージュの塊なのだろうなという感じがしますね。シャアはこういう、外連味というのか、芝居がかった喋り方をする人だったんですね……

第3話

ジークアクスの第3話を観ました。私は鶴巻監督のアニメは理屈で観るものではないと聞いているのですが、今回の勝ち方や第1話でアマテがザク(?)からジークアクスに乗り換えたときのアクションなどのご都合主義が、それにあたるのでしょうか。私にとってあまり気にはならないものです。

しかし、古参の皆さんがはしゃいでいるので面白いものを見ているような気分になりますが、それを差し引いて考えると、特別に傑作だという感じは今のところしないですね。政治関係の情報は伝えきることを最初から意図していないと思いますが、マチュの心情などを印象づけるにもたぶん尺が足りていない。

第4話

ジークアクスの第4話を観ました。マチュの性格についてはここで概ね描かれたと思いますが、シュウジに憧れることに説得力を持たせるほどには十分ではない気がします。無邪気な憧れを向けていたものに相応の代償が伴うことに気づく回が前半のこのあたりに入るのは、まどマギから続く様式美ですね。

第5話

ジークアクスの第5話を観ました。まさかこのアニメの主軸はラブコメで、莫大なガンダム文脈は全部ただのフレーバーなんです? 確かにエヴァからしてそうでしたし、異性と何かを共有する体験をキラキラのようなヌミノーゼで象徴させるのはますますエヴァですけれど……。あとは電撃がえっちですね。

第6話

ジークアクスの第6話を観ました。私は放送時に「お父さんに何て言えばいいの」でtwitterが揉めていたことは知っているのですが、この階層にあるこの立場の親なら珍しくないことだと思います。マチュがシュウジに危険を知らせない理由が「言うとシュウジはいなくなる」なのも、よくあることでしょう。

第7話

ジークアクスの第7話を観ました。私はモビルスーツがどれくらい気軽に輸送したり隠匿したりできるものかよく分かっていないので、シャリア・ブルとエグザベが駆けつける展開はやや唐突に感じるのですが、「そういうもの」で呑み込める範囲です。

マチュが軍警に追われることになる経緯の描き方は、これまでのご都合主義展開に比べると巧みですね。ここまでクランバトルをコロニーの外でやっていて、第1話でエグザベが「コロニー内でビームを撃つほど馬鹿じゃない」と言っているのもあって、事態の深刻さには説得力があると思います。

ここまでマチュの無思慮な子供ぶりが強調されてきましたが、私はこういうマチュのキャラを可能性や躍動力の発露としてけっこう好ましく思っているんですよね。ところで私は美少女が汚い声で絶叫するところが好きなので、第5話以降ニャアンやドゥーも含めてそういうシーンが多くてお得。

絵面だけ見ればサイコガンダムはゴジラかつエヴァで、しかし恐らくモビルスーツは全て潜在的にそのような残虐さと精神の未知の可能性を秘めた怪物として意味づけされているのだろうと思います。問題は、それがガンダムシリーズを通してなのか今作に限った話なのか私には判断できないことですが……

第8話

ジークアクスの第8話を観ました。私は宇宙要塞ソロモンがどの陣営に属しているのかよく分かっていないのですが、ソドンとガンダムをグラナダに輸送した後のどこかで地球連邦に奪取されたということなのでしょうか? それにしてもシャア、よく喋りますね……

SFで未知の現象が起きているとき、その場に居合わせるのではなく、居合わせた人の要領を得ない独り言を通信で聞かされるだけのシーンはいつもいいものです(秋山瑞人の小説は作品全体がその種の通信のようなものです)。ゼクノヴァの音が水音なのもいいですね。

ところで、私はシャアにいくつかの通り名があって、その一つがクワトロ・バジーナだということは知っているのですが、今回の最後に出てきた人がシャアということでいいんですか?

第9話

ジークアクスの第9話を観ました。ララァの夢の話が、たぶん複数の過去作のことで、パラレルワールド設定が採用されているのだろうなということは私にも分かるのですが、そんなに露骨に明かしていい設定なんです? それと、シャアというのはガンダムシリーズ全体を通してそんなに重要な人物なんです?

タイトルコールからしても、本作の主人公はシャリア・ブルとみなしていいと思うのですが、この作品でマチュにとってご都合主義と見える展開の多くが、実のところシャリア・ブルが人の心を読める能力者かつ軍事力を動かせる立場かつ浮世離れした目的を持っているからこそ可能になっているようですね。

ご都合主義を可能にしているもう一つのものはガンダムの得体の知れなさで、その点はやはりエヴァと同じ役割ですね。私は冨野監督のガンダムは戦争についての政治的メッセージを強く帯びていると聞き及んでいるのですが、兵器自体が意思や魂を持つとなると、それは庵野解釈に属するのかなと思います。

私がジークアクス以前に見たことのあるガンダムのお話が一つだけあって、それはガンダムビルドファイターズのビルドストライクガンダムvsザクアメイジング戦なんですね。ですのでコア・ファイターは分かります。

ああ、なるほど、これでまたマチュがシャリア・ブルの管理下に戻ったので、キシリアの庇護下にあるニャアンと形式的には戦う構図になるわけですね。そういう百合もいいですが、二人とも大人しく陣営のために戦いはしないような気もします。

 パラシュートは無事に開いたのか。幽は背後の観測窓を振り返ろうとして、コクピット内殻がそれまでとは違う震動に包まれ、弾かれたように縦に回転し、パラシュートの開き方が異常なのかも、そんな幽の思考、足の下の窓に、遥かな高みに青く、

 海が、

秋山瑞人『猫の地球儀その2 幽の章』

シャナ狂信者のソーサツ・チエカ「『灼眼のシャナ』に主人公はいません」
シャナ狂信者のソーサツ・チエカ2「『灼眼のシャナ』の主人公は平井ゆかり」
シャナ狂信者のソーサツ・チエカ3「『灼眼のシャナ』の主人公は"征遼の睟"サラカエル」

第10話

ジークアクスの第10話を観ました。イオマグヌッソが地球環境改善装置に見せかけた兵器だということは分かりましたが、それをめぐってのギレン派とキシリア派の動きについてはよく把握できていません。しかし、いい百合だということは分かる。

シャリア・ブルの「空っぽになった」感覚が、私には分かる気がするんですよね。シャナ(XX巻)でも見ましたし、自由とは、あるいは存在とは本来、人間にとってそういう恐ろしさの感覚を伴うものだと思います。ミノフスキー粒子がある世界でもまだヘリウム3に依存しているのは世知辛い話ですが……

過去作をパラレルワールドとみなし、それとの接触を描くこと自体は、私にとってはポケモンで馴染みがあるのですが、ポケモンはそのような現象を結局特定の伝説のポケモンのせいにしがちなので、ジークアクスでは「精神の力が世界の隔たりを貫く」という描像を突き詰めて描いてほしいと思っています。

ビグ・ザム、言うほど巨神兵っぽくないですね……? 宇宙空間なのでスケール感が掴めていないだけでしょうか?

(ビグ・ザム巨神兵説:ねむちゃんねる「【LIVE】ジークアクス最速ネタバレトーク【富野×庵野×鶴巻のシン・ガンダム!?】」)

《知ぃーらずば言ぃーって聞ぃーかせましょう! 『揮拳の圏套』とは! 『真宰社』で稼働するそぉーれと同調させた、超! 超々! 小ぉー型の逆転印章によって局所的な世界の歪みを発生させ効果範囲にある物体を問答無用で両界の狭間へと放擲するシステム!!》 

高橋弥七郎『灼眼のシャナXXII』

第11話

ジークアクスの第11話を観ました。マチュがシュウジに執着することと同じように、マチュがララァを助けようとすることにも今ひとつ説得力が薄い気がします。それに比べればニャアンの行動は分かりやすい。ニャアンが気分屋であることについてはここまでに十分な描写があります。

ただ、そのニャアンを含めても、本作には全体として展開に登場人物が振り回されているという印象があります。出来事の因果関係はあるのですが、それが描写レベルでの説得力を伴っていないということになるのでしょうか。「ガンダム文脈がその要素を出せと言っているから出した」というような。

私は放送時のtwitterの阿鼻叫喚の様子を見ていて、各話の「どうやらここで笑うところなんだろう」というのをぼんやりと憶えているので笑えますが、ガンダムの予備知識が全くなくネットの反応も見ない人がジークアクスを観て面白いかというと……少し微妙な気がしますね……

ともあれ、これで放送に追いつきましたので、来週には私も最終話を観ます。その後はファーストガンダムから観てみることにしましょうか。 ガンダムを知らない人の感想には何らかの価値があるかと思ってここまで書いてきましたが、正確には私に何が見えていないかの方に価値があるのだと思います。

私は以前からシン・ポケットモンスターについて少し考えているのですが、「ロケット団がティラノサウルスを止めるために暗躍していたら最後に別世界からサトシが来て全てをぶん殴っていく」というのはあながちあり得ない解でもないと思いますね。

いわゆる庵野イズムに従ってシン・ポケットモンスターを作れば、ほぼ確実に首藤解釈になるとは思います。原作の自然の中に踏み込んでいく不気味さを常に描きながら、そういえば相棒のピカチュウも異種族であるという不安が首をもたげてきたところでティラノサウルスが復活する、という線でしょうか?

@chieka_quantizd、X、2025.04.07、https://x.com/chieka_quantizd/status/1909236858418348524

戦争のような大きな物語の話と見せかけて所帯じみた恋愛の話、というのは、『天気の子』で決定的になった現代の作品の宿命だと思いますが(ポスト・トゥルース時代の大きな物語を誰も提示できず、無思慮な個人の情動に賭けるしかない)、初期のポケモンに題材を取るとそれが難しくなります。

初期のポケモンのゲームでは、人間同士の性愛がほぼ描かれず、描かれたとしてもシナリオ中で重要な意味は担っていません。それは恐らく意図的なもので、単に子供向けだからではなく、主人公の性衝動の対象は自然そのものに向けられているからです。

特定の個人ではなく、「無数に湧いて出るもの」を対象としているので、独占欲や婚姻を軸とした社会制度と相性が悪い。私は人間に向ける性衝動も本来はそのような自然に向けるものと同質だと思いますし、ポケモンはそのことを人々に気づかせようとしたとさえ思いますが、ドラマにならないんですよね。

ファーストガンダムの視聴を始める

ファーストガンダムの第1話を観ました。ジ……ジークアクスで見たやつだ……!

ジークアクスの第11話と第12話の間にファーストガンダムを第10話まで観たのですが、その後で改めてジークアクスの第2話を観返すと、シャアの有能さと野心と、これが可能性の高さで言えばそこまで荒唐無稽なifでもないことが分かりますね。

第12話

ジークアクスの第12話を観ました。やはりララァへのシュウジの執着が今一つピンとこず、またララァとシャアの関係がガンダムシリーズの中で持つ重みを知らないので唐突にお話を畳んだ印象があるのですが、ガンダムをエヴァのような「巨神兵枠」とみれば巨大化は納得できます。

パイロットがアムロでないとはいえ、そのようなものが並大抵の意志やメッセージ性で撃破されるのは物足りない気もします。ただ、まあ、メッセージ性のために理屈や因果を、筋書きのために登場人物の心情を無視する語り方は神話やメルヘンのそれですから、そういうものだと吞み込むことはできます。


(2025.07.05追記)

初代ガンダムも全部観ました。感想を以下の記事に記録しています。


〈以上〉


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