なぜ自治体は失敗を隠すのか――失敗そのものより、失敗を認められない組織の闇
自治体の事業が、すべて成功することはありません。
新しく始めた観光事業に人が来なかった。
多額の費用をかけて導入したシステムが、ほとんど使われなかった。
外部の専門家に勧められた計画が、地域の実情に合わなかった。
こうした失敗は、本来であれば起こり得るものです。
民間企業でも、新商品が売れなかったり、新しいサービスが定着しなかったりすることはあります。大切なのは、失敗したことではありません。
なぜ失敗したのかを調べ、次に同じ間違いを繰り返さないことです。
ところが自治体では、事業がうまくいかなかったとき、その経緯や結果が市民に十分知らされないことがあります。
事業のページがいつの間にか消える。
当初掲げていた目標が語られなくなる。
成果を尋ねても、「事業は終了しました」「一定の効果がありました」という曖昧な説明しか返ってこない。
なぜ自治体は、失敗を認めることが難しいのでしょうか。
失敗を認めると、説明することが増える
自治体の事業には、たくさんの人が関わっています。
担当職員だけではありません。
課長、部長、副市長、市長、議会、外部アドバイザー、受託業者、補助金を交付した国や県。
事業が成功している間は、多くの人が成果を語ります。
しかし、失敗したときには、途端に責任の所在が曖昧になります。
誰が提案したのか。
誰が必要だと判断したのか。
なぜその業者を選んだのか。
途中で問題に気づかなかったのか。
なぜ中止しなかったのか。
失敗を公表すれば、こうした疑問に答えなければなりません。
そのため、組織にとっては、失敗を明確に認めるよりも、「事業は予定どおり終了した」と説明する方が楽なのです。
成果が出なかったことと、事業を完了したことは、本来まったく別の話です。
それでも行政では、予算を執行し、契約を終え、報告書を提出すると、それだけで一つの仕事が完了したように扱われることがあります。
「失敗した人」になりたくない
職員個人の立場から見ても、失敗を報告することには勇気が要ります。
前任者が始めた事業であっても、現在の担当者が説明を求められることがあります。
上司が決めた事業であっても、住民から見れば、窓口にいる職員が自治体の代表です。
さらに、組織の中で正直に問題を報告すると、「余計な問題を大きくした人」と見られることさえあります。
黙っていれば静かに終わったかもしれない。
なぜ外に説明したのか。
なぜ議会に報告したのか。
なぜ記録を残したのか。
そのような空気があれば、職員は問題を見つけても、積極的には口にしなくなります。
失敗を起こした人よりも、失敗を明らかにした人が責められる。
この構造がある限り、組織は少しずつ沈黙を選ぶようになります。
補助金事業は、さらに止めにくい
国や県の補助金を使った事業では、問題はさらに複雑になります。
補助金を申請するために、自治体は事業の必要性や期待される効果を説明します。
議会にも予算を示し、地域にも明るい未来を語ります。
外部の専門家や事業者が記者発表を行い、「先進的な取り組み」として紹介することもあります。
そこまで進んだ後で、「実は地域には必要ありませんでした」「想定した成果が出ませんでした」と認めるのは簡単ではありません。
過去の判断を否定することになるからです。
そのため、成果が乏しくても、「一定の効果があった」「今後につながる知見が得られた」といった言葉で終わらせてしまいます。
もちろん、事業から知見が得られることはあります。
しかし、何人が利用したのか。
地域にどのような利益が残ったのか。
当初の目標に対して、何が達成できなかったのか。
そこを示さずに「知見が得られた」と言うだけでは、検証とは呼べません。
外部の専門家は去り、記録だけが残らない
地方創生の事業では、外部のアドバイザーやコンサルタントが計画に深く関わることがあります。
事業が始まるときには、「地域を変える」「稼げる地域をつくる」「新しい関係人口を生み出す」と華々しい言葉が並びます。
しかし、成果が出なかったとき、その専門家が失敗を検証するとは限りません。
契約期間が終われば、別の地域へ移ることができます。
受託業者も、納品物を提出すれば契約上の仕事は終わります。
一方で自治体には、使われないシステム、更新費用、管理できないアカウント、説明できない事業だけが残ることがあります。
それでも行政が失敗を公表しなければ、外部の専門家は別の自治体で、同じ実績を成功事例として紹介できてしまいます。
失敗が共有されないことは、次の自治体が同じ失敗をする原因になります。
ページを消しても、失敗は消えない
事業が終わった後、自治体や関係団体のウェブサイトから、募集ページや過去のお知らせが削除されることがあります。
情報を整理するためにページを更新すること自体は、不自然ではありません。
しかし、事業の経緯、支出額、目標、結果まで確認できなくなれば、市民は検証することができません。
失敗した事業ほど、記録を残す必要があります。
何を目指したのか。
誰が提案したのか。
いくら使ったのか。
どこで問題が起きたのか。
なぜ継続しなかったのか。
その記録は、誰かを責めるためだけのものではありません。
次の担当者や、次の世代が、同じ判断を繰り返さないための公共財です。
ページを消しても、使った税金は戻りません。
記録まで消してしまえば、残るはずだった教訓まで失われます。
失敗を公表できる自治体の方が信頼できる
自治体が新しいことに挑戦すれば、失敗は起こります。
だから、失敗を一度も起こさない自治体を目指す必要はありません。
むしろ必要なのは、失敗したときに、
目標と実績を公開すること。
問題が起きた時点を明らかにすること。
外部専門家や受託業者の責任範囲を確認すること。
継続、中止、見直しの判断理由を説明すること。
そして、記録を消さずに残すことです。
失敗を認めることは、行政の権威を傷つける行為ではありません。
間違いを修正できる組織であることを、市民に示す行為です。
失敗した事業に税金が使われたことは、残念なことです。
しかし、その失敗を隠した結果、別の事業で同じ税金が失われるなら、損失はさらに大きくなります。
自治体に必要なのは、失敗をなかったことにする技術ではありません。
失敗を記録し、説明し、次の判断へ変える力です。
隠した失敗は、いつかまた繰り返されます。
公開された失敗だけが、地域の教訓になるのです。
