『ばぁば』と『にゃにゃ』 第4話 にゃにゃへの約束
にゃにゃがこの家にやってきてから、早いもので三年の月日が流れました。
かつてはにゃにゃにそっぽを向かれていたじぃじも、今ではようやく仲間に加わることを許され、末っ子の有紀(ゆき)と老夫婦、そしてにゃにゃという「三人と一匹」の家族は、穏やかで幸せな日々を過ごしていました。
そんな折、有紀が結婚を決めます。
相手は二つ年下の明るい青年でした。
普段は人見知りが激しいにゃにゃが、初対面の彼にだけは不思議と喉を鳴らして懐いたのを見て、じぃじが娘が嫁ぐことより(俺より先に、にゃにゃに認められるなんて)と、少しだけ嫉妬していたのも、今となっては微笑ましい一幕です。
有紀が家を出た後、老夫婦の間にぽっかりと空いた寂しさを埋めてくれたのは、にゃにゃでした。
にゃにゃはまるで自分がこの家の中心であることを理解しているかのようで、有紀に代わって「娘」の役割を引き継ぎ、夫婦が仲良く過ごすための大切な架け橋となってくれたのです。
しかしその年、平穏な日常に影が差します。
胃の痛みを訴えたばぁばの体に、癌が見つかったのです。
幸い癌は小さく、切除手術を終えて一週間後には退院することになりました。
ばぁばは一週間も家を留守にした間に、にゃにゃに忘れられてしまったのではないかと心配していましたが、それは杞憂に終わります。
玄関を開けるなり、にゃにゃは「にゃーーー!」と歓喜の叫び声を上げ、ばぁばの胸に顔を埋めて全身で喜びを爆発させたのです。
その健気な姿に、ばぁばは「この子を置いて、まだ死ぬわけにはいかない」と心に強く誓いました。
それからは酒も煙草も断ち、にゃにゃを膝に乗せて編み物をする穏やかな日々を過ごしていましたが、無情にも癌はリンパへと転移していました。
放射線治療によって一度は癌が影を潜めたものの、病魔の余波は少しずつ体力を削り取り、入退院を繰り返すばぁばの体は、以前の面影がなくなるほどに痩せ細っていきました。
入院中の眠れない夜、暗い天井を見つめながら、ばぁばは遠い昔の記憶をたどります。
若かりし頃のよしこ(ばぁば)は、中学を卒業してすぐに美容師として働き始めます。
その快活さと明るさに惚れ込んだ最初の夫と結ばれ、三人の子宝に恵まれたときは、これから先もずっと幸せが続くものだとばかり思っていました。
しかし、三人目の子供が生まれて間もなく、運命は暗転します。
夫が交通事故で急逝してしまったのです。
残されたのは、まだ乳飲み子の赤ちゃんと、育ち盛りの子供たち。
(泣いている暇なんてない。私がこの子たちを食べさせなきゃいけないんだから)
そう心に誓ったあの日から、女手一つで戦場のような毎日が始まりました。美容師を辞め、実家の近くにある家族寮付きの介護施設で働き始めたよしこは、まさに仕事三昧の日々を送ることになります。
日中は近所に住む母親に子供を預け、仕事が終われば迎えに行き、休む間もなく夕飯の支度。
夜勤のときは母親に寮まで泊まり込みに来てもらい、必死に働きました。
世間の荒波にもまれ、理不尽な言葉を投げつけられることもありましたが、そんな時、自分を守るために心に分厚い鎧(よろい)をまとうようになったのです。
(誰にも舐められちゃいけない。弱みを見せたらおしまいだ)
周囲には強がり、プライドを傷つける相手には鋭い言葉を返すこともありました。けれど、一歩家に入り、子供たちの寝顔を見ると、張り詰めた糸がふっと緩むのです。
長女、長男、次女の三人が競い合うようにして話す学校の出来事。子供たちがそばにいてくれるだけで、不思議と無限の力が湧き上がってきました。
どんなに体がきつくても、食卓を囲む子供たちの笑顔があれば、つらいことなど一つもありません。
あの苦労は、よしこにとって「犠牲」ではなく、紛れもない「生きがい」だったのです。
その後、職場の家族寮が解体されることになり、よしこは職場の近くに家を建てる決意をします。
よしこ一人の力では到底無理なことでしたが、母親や兄、姉たちが少しずつ頭金を出して助けてくれました。
定年時に一括返済するローンを組み、ついに念願のマイホームを手に入れることができたのです。
三人の子供たちが何不自由なく暮らせるようになり、生活が落ち着いた頃、よしこはもう一度「女の幸せ」を掴みます。
それが、職場で出会った今のじぃじでした。皆がよしこを「強い女性だ」と敬遠したり頼り切ったりする中で、じぃじだけは違いました。
「あんまり無理しないでください。よしこさんは、本当は人一倍寂しがり屋で、誰よりも優しい人なんですから」
その一言に、よしこは人知れず涙をこぼしました。
自分の弱さを分かってくれる人がいる。それだけで、世界がこれほど優しく見えるものかと驚きました。
再婚して新たな幸せを掴み、そして四十代で四人目の子供、有紀を授かり、家族六人でわいわいと賑やかな日々を過ごしてきたあの頃を回想します。
記憶の旅から戻ると、現実の体はひどくだるく、モヤがかかったような状態です。
退院したと思えば、その年の冬、風邪をこじらせて再度一週間入院したことで足腰が弱まり、ばぁばは立つことさえできなくなってしまいました。
しかし、リハビリ専門の病院へ転院し、夫や子供たちの懸命な支え、そして三ヶ月に及ぶリハビリの結果、奇跡的に再び自分の足で歩けるようになったのです。
にゃにゃと会えることに胸を躍らせながら、ようやく我が家へ戻った日。
ばぁばは玄関まで迎えに来たにゃにゃを、震える手で精一杯抱きしめました。
「ただいま、にゃにゃ。長い間待たせてごめんね」
喜びを爆発させているにゃにゃの毛並みに顔を埋めると、お日様の匂いと、生きている確かな温もりが伝わってきます。
ばぁばは、静かに予感していました。次にこの家を出るときは、もう生きて戻ることは叶わないかもしれない、と。
(でも、少しでも長くにゃにゃと一緒にいなきゃ。この子が寂しがるから……)
ばぁばは、愛おしいにゃにゃの体を、いつまでも撫で続けていました。
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