見出し画像

あかね色に、沈みそびれて

窓辺の空気が、すこし重くなっていた。
暖かくて、けれどどこか沈んでいる。
あかね色が、静かに染めはじめていた。

ああ、一日が終わっていくのか。

美しく閉じようとする色合い。
けれどそれは、
閉じきれなかったものまで、静かに連れてくる。


明るいうちは見落とせていた、
自分のなかの小さなこわばり。
夕方の空気が、
「もう終わっていい」と 告げるように、肌に触れてくる。
けれどその柔らかな重みを、どうしても信じきれずに、
まだ少しだけ、見えない何かに向かって身構えている。

あかね色が深くなるにつれ、
壁も、空気も、自分の体の端も、 同じ色に染められていく。
境目は、自分が消したのではない。
世界のほうから勝手に、暖かい色のなかへ沈んでいった。

そのなかに、自分も沈んでいけたらよかった。
同じ色に溶け合い、同じように一日を終えられたら。

でも体は、そこで止まっていた。
息が止まっていたことに、すこし遅れて気づく。

世界はもう、先に行ってしまっているのに、
自分だけが、まだそこにいる。


肩が降りはじめる。
自分で降ろしたのではない。

あの沈んでいく空気に、
張っていたものの端を持っていかれた。

まぶたの力が、すこし抜ける。
胸がほんのすこし開いて、
呼吸がひとつ、深いところまで降りてくる。

そのとき初めて気づく。
笑うときに頬の奥が強張っていたこと。
声を出すたびに喉の底が詰まっていたこと。
一日中ずっと、どこかに力が入っていたこと。

でもそれは、一緒に沈めたということではなかった。
張り続ける力のほうが、先に尽きただけだった。

体の表面は、もう終わろうとしている。
でも終わっているのは、表面だけ。


背中の皮膚のすぐ裏側に、まだ固いものが残っている。
指でなぞれば触れられそうな、 いびつな形をした層。

それはたぶん、今日一日、
平気なふりをしていた体の、最後の砦だった。

どれだけ空気が落ち着いても、
どれだけ「もう休んでいい」と自分に言い聞かせても、
そこだけが、ゆるまない。
どうしても、同じようにはいかない。

ゆるみきる手前に、壁がある。
力を抜いていいのかどうか、
体がまだ決めかねている。


外側はほぐれていく。
世界との境目を、もう手放しかけている。

でも、内側の芯だけが、
冷たく、頑固なまま、そこにある。

ゆるんだぶんだけ、
晴れていない場所が、はっきりとわかる。

体が弛んだことと、心が晴れたことは、
同じではなかった。

世界が美しく沈んでいくほど、
取り残された自分の形が、はっきりする。


空はなにも聞いてこない。
なにも変えようとしない。
ただ広くて、低くて、あかね色に満ちている。

西日は、
まだ下ろせていないものを、無理にほどこうとはしない。
ただ、そのそばに、同じ色を置いていくだけ。

一緒に終われなかった自分を、
責めもしない。急かしもしない。
ただ、照らしている。
それだけなのに、なぜか胸の奥がじんとする。


朝からずっと、何かに備えていた。
そのことに気づいたのは、夕映えに触れてからだった。
何に備えていたのか、結局わからないまま、
一日が暮れようとしている。

肩が少し落ちたことと、
それでもまだ何かが残っていること。

その両方を、まだ抱えている。

息を吐く。
吐ききったあとの、あの数秒。

空にはまだ、あかね色が残っている。
一日はもう、静かに閉じようとしている。

体は静かになった。

静かになっただけだった。

——————————————————————————
この一篇は、感情の層と相関を
ひとつずつ見ていく連作の中にあります。

この連作が見つめていること。

全体のつながりは、
マガジン「感情には、層がある」へ。

——————————————————————————


いいなと思ったら応援しよう!