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「反戦」なんて言葉、クソ食らえ

なぜ自分が韓国戒厳令がリアタイで報道されないのにあそこまで激高したくなったのかを振り返ってみた。

私の亡き父は東京生まれだが、4歳の時に満州開拓民として家族で移住した。

もっとも、父の父(祖父)は東京帝国大学卒業で満州国の「視学(学校を視察してまわる職務)」というエリートで、本も残しているのを読んだことがある。「五族協和」を真面目に信じていたことがうかがえた。

ただ、父の目から見ても、いったい何をして働いているのか全然語られない。

ハルピンの旧制中学1年の夏に終戦、ソ連軍の戦車による侵入に追われての、大連の港に向けての逃避行。

もう 南満州鉄道なんて寸断されていた。あちこちの支線を断片的に 乗り継ぐしかなかった。

その途中の宿営地で、父の父は拳銃自殺

母(私の祖母)と父は二人で大連に足止め。饅頭売りをして乞食に近い生活に1年耐えた。青酸カリが渡されていた。

実は、父の父の正体は満州国のスパイだった。

長男(本家)は徴兵されてシベリア抑留5年でやっと帰国。
次男は徴兵で中国大陸で戦死。
三男は玉川大学を出て文芸同人誌三昧(まさか私が同人誌作家になるとはね)だったが徴兵されて「行方不明」。

四男の父のライフワークはその三男の兄の消息を古書や資料を集めまくってつかむことだったが、上海の阿片窟で死んだことがほぼ確実というところにたどり着いた。

だから、私の中には、「反戦」なんていう言葉自体生ぬるいというくらいの意識がある。

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