「果てしなきスカーレット」は、少なくとも「市民ケーン」、「七人の侍」、「ミツバチのささやき」「2001年宇宙の旅」への見事なオマージュである。(証拠映像つき)
はじめまして。
全く自然にお楽しみになれたようで、この作品を心から気に入り、むしろいい映画(実写アニメ関係なく)の手本、王道と感じている私は思います。
なぜ、映画の王道なのかといいますと、私が見つけた範囲では、映画の歴史でメルクマールな4作の手法を、明らかにオマージュとして活用しているからです。
仮にご覧になっていたとしても、「あ、そうかそうか!」と私が指摘してはじめてお気づきになる可能性が高いですし、アニメファンでも、この名画4本さえ観ておけば、アニメ作品を観る時に、一気に奥行きが深まることは確実ですので、しばらく、少し長い、でもわかりやすいつもりの、アニメ実写1000本観てきた、一介の年寄りの映画おたくの、お節介なトークにお付合いください。
今から書くことは、実は、すでに7本の連作で「スカーレット」レビューを展開してきた私が、まだ書いていない内容でして、そろそろ自分で独立した記事エントリーとして書こうと思っていた内容そのものです。
それをあなたのような、曇りのない形でこの作品をうけとめられた若い方を最初の読者として書いてみるのも、まあ、下書きみたいな場にしてしまいますが、決して後悔させないかと思いますので。
最初は、オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」です。
世界映画史ベスト1として繰り返して選出されてきた、映画の教科書、いわば「The 映画」です。
アメリカの新聞王が死んだニュースからこの物語は始まります。
この新聞王については、突如思いもよらないことをやらかすお騒がせの人物として、繰り返し世間を騒がせていました。
さて、彼の莫大な遺産はどこに?ということになるのですが、あるジャーナリストがその調査として、新聞王の生前の関係者への取材活動を始めます。
ところが、取材相手によって、生前の新聞王の人間像と性格が、まるで異なることを回想として話して行くことに、そのジャーナリストはどんどん困惑を深めて行きます。
当然それは観客も共有することになる困惑です。
実は一つだけ、謎を解く手がかりがありました。
それは、新聞王が最期に残した言葉、「薔薇のつぼみ」です。
ここまでお読みになれば、言われてみれば、そういうストーリー展開の名画があったということだけは知っている、とおっしゃることでしょう。
さて、「スカーレット」は、ファンタジーという脈絡で捉えられることが多いでしょう。
なるほど、それは当然です。
しかし、処刑される父王が最期に遺した言葉、「許せ!」が何を意味していたかという謎を解明する旅路であるという意味では、まさにミステリーです。
どうです?まずはこの段階で、「市民ケーン」と「スカーレット」の類似が見えて来ますよね。
でも、これだけなら、例えば、「名探偵コナン」の全シリーズは、「市民ケーン」へのオマージュとリスペクトとして作られている、程度のことになってしまいます。ここから先が大事です。
「市民ケーン」は、今日用いられている主要な映像演出技法を初めて用いた、あるいは、初めてではなかった場合にも、それを集大成的に用いたことで、映画史上、特筆されている、別格の作品です。
およそ映画制作者で、「市民ケーン」を繰り返し観て、研究し尽くさなかった人物など、ひとりもいません。
恐らく、アニメーション専門学校でも、生徒に、「市民ケーン」だけは見せる時間を設けているでしょう。
もしそれをしていないスクールがあったとしたら、冗談じゃねえや、「太陽の王子ホルス」と同時併映だぜ!!
例えば、クレーンにカメラを載せて撮影する、というのは、オーソン・ウェルズが初めて導入した、映画史上に残る試みでした。
クレーン撮影的カメラアングルなんて、アニメはお手のものですよね。
ここから先がいよいよ大事です。
オーソン·ウェルズが「市民ケーン」で導入した、映画史上、もっとも画期的な映像演出手法、それが「フラッシュバック」です。
つまり、突如登場人物の脳裏に過去のことが思い浮かび、何の断りもなしに、過去シーンに飛ぶ、という手法です。
これを映画史上初めてやった人は凄いと思いません?
私の知る範囲では、それがまさに「市民ケーン」におけるオーソン・ウェルズです。
【追記】:
この点に関して、コメント欄で、rain-bowさんから、貴重なご示唆、いただきました。

あの…ちゃんと検証のために、「国民の創生」の中古、取り寄せたんだけど、意に反して、VHSだったんです!!!
私プレーヤー持ってません(笑)

さらに言えば、フラッシュバック手法を繰り返し同じ過去の記憶について、映画の物語の途中で、何度も何度も繰り返し、最初は短く、繰り返される度にその先の展開まで描かれ、さらに次の繰り返しでは、いよいよ後のことまで描かれたら?
言うまでもありませんね。
その登場人物が、「忘れていた記憶を徐々に思い出して行く」
ことを示唆することになります。
ここまで申し上げれば、もはやこれ以上の解説は不要でしょう。
聖が、救急隊出動を要請されてから、死者の国に降り立つまでという記憶のミッシングリンクが少しずつ埋まっていく……
この映画最大の見せ場のひとつですが、これを観て、
うおおおおおおお!「市民ケーン」へのオマージュかよ!!!
と感じなかった映画おたくって何者?ということになるし、ましてや映画評論家は死になさい、ということになります(笑)
以下は最低限の紹介に止めましょう。
黒澤明の「七人の侍」、
ビクトル·エリセの「ミツバチのささやき」、
そして、あの「2001年宇宙の旅」。
おたく評論家センセーの皆さま方、「あのシーン」が、もろに、意識的に、「2001年」と全く同じ画面となることに、圧倒的なオマージュがあることに瞬時気づけないなら、あなたにおたく評論家を名乗る資格はない。

