無自覚の権威性(佐々木康栄)


全く同感です。
よく私も書きますが、良識的な心理カウンセラーは、
「あなたのためのことを思って言っているのよ」
という言い方は決してしません。
これは相手を「支配」するための「洗脳」のテクニックです。
そのことに「無自覚」なわけですが、それを自覚してほしい。
介護や看護や福祉や法律や教育に関わる人間がこれを口にすると、私は虫唾が走る。
要するに、顔のない、管理しやすい「大人しい羊」に利用者を押し込めておきたいという「保身」の表れではないか?
実は、一人一人のクライアントさんにとって、どうすればこらからの生活を改善でき、人生を切り開いていけるのかは、ケース・バイ・ケースであり、ひとりひとりについて、援助的専門家とクライエントは根を詰めて話し合う中で、できあいのコース料理ではない、「一品料理」(中井久夫)を作っていくしかないはずなのだ。
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わかりやすい架空事例を示してみよう。
軽躁的になると旅行や趣味の商品にいつの間にか多額の出費をしてしまう傾向がある、双極性2型障害の診断を受けている青年がいた。精神障害者手帳2級所持者。
コミック執筆をする同人誌活動をしている。その同人誌制作費や全国即売会で売るための交通宿泊費のために彼は衝動的に出費することがあった。
彼は弁護士のもとで財産と収支の管理の監督を受けていたが、ある時、大阪で自分が敬愛するコミック作家が漫画教室を開き、自分の作品をみてくれる機会があるということになった。
かれは入場券を予約し、夜行バスで現地に向かった。
宿泊もインターネットカフェで済ませた。
その有名作家は彼の作品を見込みあると評価し、今後も継続的に作品を観てあげようと言った。
ところがこうして彼が2泊3日で、2万円かけたことが弁護士にバレてしまった。
弁護士は彼の話に聞く耳持たず、弁護士に相談もしないままで決行された彼の「濫費」を叱りつけた。
彼は翌日自殺未遂した。
彼は精神科の閉鎖病棟に入院した。
弁護士は「安心」した。
・・・めでたしめでたし???
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利用者を監督し、援助する側の責任者は、こころ改めて「これからは違った生き方をする」と誓ってきたクライアントや利用者を信用しようとしても、何度も同じ過ちを繰り返してきたことに失望する経験ばかりを重ねられているのであろうとは思います。
しかし、クライアントや利用者の話を遮り、「まずこっちの言うことを聴け」などというのは、会社の上司に対する時の部下の立場に立っている時以外はご免こうむります。
きちんと訓練を受けた心理カウンセラーなら、まずはクライエントさんに言いたいことを話させる。
なるほど、ただ受け身に話を聴いていたら、だらだらと時間ばかりがかかる場合もある。
しかし、それは心理カウンセリング場面でも同じことで、だから、カウンセリングの基本傾聴スキルには、クライエントさんがそれまで語って来たことの「明確化」や「要約」をした上での「伝え返し」をして、そういう理解で問題ないかどうかを適時確認していくことで、クライエントさんが語りたいことの核心を効率的にシェアできるようにする専門性があるのだ。
カウンセリングを学ぶ際の初歩の初歩に過ぎないはずの、この程度の傾聴技能すら、例えば福祉や看護の専門家が利用者との応対に生かしているのに出会ったことは、私はない。
そうやって丁寧に話を聴いていき、はじめて浮かび上がる、利用者やクライアントの具体的状況や重大な秘密などいくらでもあるのであり、それを知らないまま「専門家」と称する自分たちが、「自分の(狭い、限られた)経験」とやらに基づいて下す判断など、的外れなものであることの方が少なくないのだ。
ある程度経験を積んだ心理カウンセラーなら、次のような姿勢で日々のカウンセリング業務に臨んでいるはずだ。
次に会うクライエントさんには、自分のこれまでの「全臨床経験」が通用しないかもしれない、というつもりで。
これまで学んだすべての知識や経験を、いったん「括弧に入れて」、一から徒手空拳でお会いするつもりで。
…..中堅になったら、これくらいの基本スタンスでいる方が、実は自分のこれまでの全臨床経験と知識が結果的に動員でき、時にはそれまでの自分にはできなかった境地が突如自分に「舞い降りる」という、たまに遭遇できる、この仕事やっててよかったという「醍醐味」があることを知っていると思う。
利用者さんやクライエントさんに、ひとりひとりの人間としてのrespectを払うということは、単なる「理念」ではない。
そのようにしないと、カウンセリング等の専門技能の、クライエントさんもこころから納得してくれるリアルな成果が出ないいから、仕方なくそうしている、程度のことである。
別に何も「崇高な」次元のことではない。
