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受動的「当事者」性から、社会の動きに責任を持つ行為主体としての「当事者」性へのアップデート

私がこの「みいちゃんと山田さん」アニメ化反対問題を観ていく際の最大の懸念点は、作品が喚起する可能性がある偏見の弊害を、その人があくまでも第三者的な観察者の視点でみていることです。

つまり、自分自身が、「それは作品について偏見を抱いた人の、歪んだあなたへの攻撃なのだから気にするな」とか、あるいはその偏った作品理解をした人の側を啓蒙したり、教え諭すといった活動を、個別に不毛なまでに、自分でできる範囲でやっていこうという、草の根の社会活動をやっていこうというモチベーションがないわけですね。

あくまでも、<みいちゃんと山田さん」アニメ化反対問題>という「ショーの観客」であり、ドラマチックな革命を待望しつつも、それはモニターの向こうで生じる素晴らしい劇の鑑賞者でしかあるつもりはない。

あくまでもその劇についての「評論家」のスタンスなんですよ。



「劇場国家」というのは、本来文化人類学者クリフォード・ギアツが自身によるフィールド・ワークに基づき提唱した概念です。


日本の現状への適用は、確か大宅壮一が言い出した概念かと思いますが、私は基本的に革命の戦士となって血を流す「当事者」になる気がない人間が大嫌いなんです。


私はここで受け身でいるしかなかった<被害者>から、

世界に関与し責任を取ろうと活動する能動者へと


「当事者」という概念をアップデートしているわけです。

郡司さんはたんなる評論家はなくて女性や虐待被害者への直接の社会活動をなさってきましたから、こうした私の心境、一面で理解してくださるのではと。

別に名誉欲のつもりもない
んですよ。

なぜか他の人はやらないから、

自分にはやれる力はありそうなので、

仕方ないから、

いろいろ毀誉褒貶出るの覚悟で、

「正義の味方」稼業もやるしかないか、

というところですね。

まあ、その活動資金のために金を稼ぐためなら、プロスポーツのイベントスタッフでもエリート家庭のための家庭教師でもなんでもやりますよ。

そうした機会をうまく使えば、プロ選手のメンタルヘルスサポートとかもできて、女性レイプするような選手自体減らせる存在であるとに気づいてもらえる時も来るかもしれないし、日本にほんとうに意識の高いエリート子弟を自分の手で育てる機会になるかもしれないわけで。

エリート家庭の夫婦関係が歪み、そこに虐待が隠れていたり、夫は水商売の女性を愛人とし、妻はホスト通いなんてザラでしょ?
そういう家庭に介入して高い料金いただいて何が悪い?ということです。


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