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我以外皆我師(吉川英治)

私の座右の銘です。

恩師の奥様、村瀬嘉代子先生の講演会で知りました。

出典は、「折々の記」です。

自分以外の人は皆自分にない長所持ってるはず、くらいのつもりでいる方が、毎日の人との出会いが楽しみワクワク状態でいられるし、当然知り合いも増え続けるけどネ!

BE FREE!

これって、すごく「謙虚な」、遜(へりくだ)った格言だと思われていることが多いけど、そうかな?

私には、こうした姿勢ほど、野心的で自己中心的な(!)スタンスはないと思ってます。

つまり、他人の長所全部盗んだろか?!の貪欲さでもあるわけで。

もちろん、盗ませていただいた分の倍返しはさせていただく所存、Win-Winでありまする。

こういう下衆なまでの俗人ぶりを「偽悪的に」ちょっちゅう晒すあたりに、品位がない、とか、尊敬されないと言われるのは重々承知。

はい、また中井久夫先生!!

治療者は、自分を高く買わせてはならない。
価値の引き下げをせねばならない。
高く売ってしまった分は、早めに買い戻すべきである。

「治療文化論」「最終講義」

中井先生って、「陽性転移」や「理想化転移」の弊害って大きい、と見ておられたと、私は理解してます。

これは先生の境界例関連のエッセーでしばしば感じる傾向ですね。

以前紹介した「治療にロマンを求めるな」もそうですが、治療者側がクライエントさんに陽性転移起こすように絶えず「挑発」していたクセに、いざボーダーチックな理想化と価値の引き下げや罵倒のジェットコースターに翻弄されはじめて、「困った困った!」はなかろう、ということでしょうね。

そういう振幅は必要不可欠ではない、つまり、非現実的な期待(陽性転移、理想化転移)までさせて、わざわざその反動で、失望と治療者への反発、攻撃(陰性転移)させないと無意識深層におよぶ変化まで「徹底操作(=working through=「成し遂げる」こと)」できないというわけではなく、もっと小さな期待と失望の循環程度で済めば、それはそれで「危険」は減るし、クライエントさんも治療者も省エネやん!ということですね。

患者に、なぜ精神科医になったのか?と問われれば、ただ「日々の糧を得る」ため、とのみ答えるべき。

「精神科医療の覚書」


も明らかにこの系列ですね。

中井先生は、明らかに「境界例人格障害」のかなりのケースが、成育歴だけではなくて、治療者との関係性の中での憎悪を歴代治療者の中で更にこじらせてきた可能性を疑え、と示唆してます。

(はっきりそういう書き方してないけど、中井先生の境界例関係の文献読み合せれば自然と浮かび上がるはず)。

これは最終的には、治療者の自己愛性や万能感、メサイヤコンプレックスへの誘惑(あって当然)の自覚と、自己コントロールということに帰結します。

健全な「自己肯定感」優位の状態原則維持(これにはフォーカシングひとりでできるところまで身に着ける以上の早道なし)と、ロジャーズの言う意味での「自己一致・純粋性(Self-Congruence/Genuinness)」維持ですね。

この"Genuinness"っていうのは"pureness"とはまるで違うんですが、関西大学の福島伸泰先生が、このテーマで、厳密に考証された、非常に興味深い論文をお書きです。

“Genuineness”と純粋性をめぐる一考察
―Genuineなセラピストは人格者なのか
A Study Concerning the Japanese Idealization of Carl Rogers’ Genuineness

臨床心理専門職大学院 紀要 2015年,第5号,119-128.
Psychologist, 2015, No.5, 119-128. 〔投稿論文〕

この中で取り上げたいのは“genuine” 及び “genuineness”の訳語についてである。これらの 英単語に対して、全集・選集ともに純粋、純粋性という訳語が充てられている。  

まず、日本語の純粋という単語の意味を改めて見ていきたい。
国語辞典(旺文社国語辞典、 122 臨床心理専門職大学院 紀要 第十一版、旺文社)によれば、
「①まじりけのないこと、またそのさま」、
「②邪念や私欲のない こと、またそのさま」、
「③ひたすら一つのことに集中すること。また、そのさま」
の3つが意味として挙げられている。

また、各意味の例示 として、
①「純粋培養」、「純粋な水」、
②「若者 の純粋な心」、
③「純粋に芸術の立場で接する」
とある。
興味深いのは、人の心や立場といったことについては、②や③の意味と結びついているという点である。

例えば、純粋な人というイメージを浮かべるときに、おそらく我々は②や ③の意味においてその人物像を思い浮かべることが多いのではないだろうか。

また、純粋無垢 といった表現にも代表されるように、純粋という単語は人と結びつくと、邪念や私欲のなさ、 偽りや裏表のなさ、清廉潔白、高潔、あるいは 一途、忍耐強い、一生懸命といった、模範的あるいは理想的な人物像のイメージを帯びやすい 傾向があるのではないだろうか。

次に“genuine” の意味を見ていきたい。英英辞典(Longman Dictionary of Contemporary English, Fifth Edition, Pearson Education Limited)によると、「1 a genuine feeling, desire etc is one that you really feel, not one you pretend to feel SYN sincere」、
「2 something genuine really is what it seem to be SYN real 」、
「3 someone who is genuine is honest and friendly and you feel you can trust them OPP false」
の3つが常用の意味として挙げられている。

ここで、純粋と同じようにして “genuine” について見てみると、1と3の意味が人の“feeling” や “desire”、あるいは人である “someone” と結びついていることが分かる。
1 は、自分が本当に感じていて、感じている振りではない“feeling”や“desire” といったことを意味し、3 は、人物が“honest” であり、また “friendly” であり、信頼できるといった意味である。

この意味を、前述の純粋の意味や純粋が人と結びついた際のイメージと比較してみると、 両者に重なる部分がある一方で、大きな違いが生じていることも分かる。

両者とも、裏表のなさ、偽りのなさという点においては共通する部分があると捉えられるが、 純粋という単語が人と結びついた際には、邪念や私欲がなく、清廉潔白、高潔、あるいは忍耐強く、一生懸命といったイメージを帯びるのに対し、“genuine”という英単語は、その人が感じたそのままの“feeling”や“desire”、あるいは人 が“honest” かつ“friendly” で信頼できるというところを意味する。

それは純粋のイメージにあるような、模範的あるいは理想的な人物像を備 えた、いわば人格者と称されるような人ではない。

Rogersが意図した“genuine”と、純粋とい う単語からイメージされる人物像は異なる可能性がある。  

では、“genuine”の訳語として何を充てること が適切であろうか。
英和辞典(ジーニアス英和 辞典、第4版、大修館書店)において、“genuine” の訳語を確認してみると、
「① 〈物が〉本物の (real)、にせ物でない」、
「② 〈感情・人などが〉 心からの、真の、見せかけでない;誠実な」、「③ 〈血統が〉純粋な;〈動物が〉純(血)種の」
の 3 つが一般的意味として挙げられている。
筆者 は、この中から「誠実な」を訳語として採用し た。
誠実は「ことばや行動に真心がこもっていること。また、そのさま」(旺文社国語辞典、第 十一版、旺文社)、「真心があること。偽りなく、 まじめなこと」(集英社国語辞典、第3版、集英社)であり、偽りのなさという前述した両者の共通点を含むとともに、“honest”や“friendly”に近いニュアンスとして、「まじめ」や「真心がこもっている」といった意味も含まれている。

よって、試訳においては、 “genuine”を誠実な、 “genuineness” を誠実さと邦訳した。
It is the opposite of presenting a facade, either knowingly or unknowingly.
全集:それは、意識的にせよ無意識的にせよ、 表面的なものだけを表現することの反対なので ある。
選集:それは、意識的であれ無意識的であれ、 仮面をかぶることの正反対である。
試訳:それは、知ってか知らずのうちに、格好つけることとは対照的なものである。
(中略)
If the therapist is not denying these feelings to awareness, but is able freely to be them (as well as being his other feelings), then the condition we have stated is met.
全集:セラピストが、このような感情を自分の意識に否定しないで、自由にそうあることができるならば(もっと別の感情であってもよい)、 われわれの述べている条件は満たされているの である。
選集:もしセラピストがこうした感情を自分の意識に否定しないで、自由にその感情のまま(ほかの感情でも同じだが)でいることができるならば、私たちが述べた条件は満たされているの である。
試訳:セラピストが、このような気持ちを気付 きのうちに否認しないで、自由に(気持ちに) なってみる(他の気持ちにもなってみる)ことができれば、われわれの述べている条件は満たされている。

(中略)

また、伊東(1995,p. 133)においては、カウンセラーがクライエントに対して「否定的な感情」を感じたとしても、「それを自分の意識に否定しない (防衛しない)で、自由にその感情に気づいている」のであれば、純粋性という条件は「みたされているといってよいであろう」と述べている。

私としては、”Genuinness”の訳語としては、福島先生と異なり、「誠実さ」も、誠実過ぎる気がして(笑)、以前から、"authentic"という言葉に近い意味での「ほんものの」を充てることを通例としてきた。

こうすれば、「清澄さ」「ピュアーさ」「誠実さ」「真心」とか類の言葉とはまるで異質で、ちょっと「泥臭い」「清濁併せ呑む」「ニガリも含まれる」「具体のある」ニュアンスになるかな?と、個人的には気に入ってます。
ちょっと「草食系」ではない、むしろ「肉食系」に響くところが自己アピールかも?

そう言う私のノリになじめない人は、私は幸い開業であり、雇われた相談機関への責任問題とかないから、

「他の人の方が合ってると思うなら、どうかご自由に」

ですね。

私は自分の能力以上のことは、やろうとは思わないです。


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