「エヴァンゲリオンの深層心理」の著者が、今のエヴァへの思いを語る
これは、ある20歳前後の学生さん、Nさんと、深海誠監督の「秒速5センチメートル」が縁でやりとりするようになって、話の流れの弾みで出てきた、「エヴァンゲリオンという作品は、やはり傑作か?」という問いかけにこたえて書いたものの転載です。
自分で著書を一冊書いたわけで、そこでは、できるだけ作品を成功した完成形としてとらえようと全力を尽くしました。
その意味では、安易な批判論を駆逐する、ひとつの物差しを、エヴァ批評の世界に今でも果たし続けている、この作品の批評史における価値ある試みであるという自負はあります。
批判するなら私を論破してみせろ、私もその人の批判点がもっともだと感じたら、その批判点だけは、とりあえず潔く認めよう、くらいの覚悟で今もいられるクオリティという自負があります。
結論から言えば、ある意味では、庵野氏が、走りながら苦悶して、ぼろぼろになりながら作って行ったこの作品は、ひびだらけであり、かろうじて、青息吐息で、なんとかまとめた、でもそれは「ぶざま」すれすれの、罅だらけのものだったとおもいます。
あの頃に比べれば、今のアニメ作家の力量は遥かに成熟しています。
深夜アニメの時代となり、1クール12話でひとまず1年近く2クールまであけるのが普通になったのが幸いしています。
昔は、短くても半年、平均1年、長いとなると2.3年続いたというのが、今からすれば信じられないくらい制作環境だったわけです。
ましてや富野さんのように、1年1作を10年以上継続し、好き嫌いはあるでしょうが、破綻した作品なんとゼロ、金太郎飴にもならず、持ち味が違う作品として、それぞれ贔屓のファンが今もいるなどというのはまことに異例であり、このあたりに、富野さんの他に代えがたい天才性がありました。
そうした中に置くと、庵野さんのエヴァンゲリオンは「ふざま」そのものです。
しかし、実はその、「ぶざま」なまでにもがきながら作っていたからこそ、この作にしかない、ものすごいライブ感、生々しい疾走感があります。
庵野さんという作家が、文字通り血を流しながら、ゴールラインにやっと手が届いた。
だからこそ、この作品にしかない、実存的燃焼度がある。
私は小説の世界はあまりよく知りませんが、自死した作家、身を滅ぼした作家がたくさんいるのはわかっています。
その作家自身や、家族や関係者の不幸を美化するほどの芸術至上主義者では私はありませんが、私はやはり、クリエイティブな活動というのは、自分の心身の健康を失うリスクなしでは作り得ないという立場です。
先ほど述べたように、現在、制作環境に昔より遥かに余裕が出てきたのはいいことです。
新海さんも、その新しい時代の申し子です。
彼はひとりで本職の間を観て、完全デジタルアニメである「ほしのこえ」をたった一人で作りました。
そして、できるだけ少数精鋭のスタッフで、予算をおさえて、しかし、丁寧に作るという、それまでの既成のアニメ制作会社とは全く異なる「工房的」制作体制でした。これが「秒速5センチメートル」を経て、「言の葉の庭」まで続きます。
この「工房的」制作体制と、彼の作風の作家性の強さ、どこか他のアニメ作家からは隔絶された美学の独自性は、深く関連していると思います。
Nさんはご存じない世代でしょうが、私が熱狂した「うる星やつら」テレビシリーズは、テレビシリーズと平行して、毎年劇場版1作を、同じ監督が作るという、今ではあり得ない制作体制でした。
その中で、押井守さんは、あの、アニメの歴史に残る、劇場版第2作、「ビューティフル・ドリーマー」を作りました。
多くの制作逸話がありますが、それはWikipediaさえ読めば十分わかりますからここでは詳しくは触れません。
でも、一言で言えば、押井さんはプロデューサーを騙してまんまとゲリラ的に作り、プロデューサーが「しまった!」と気づいた時すでに遅し、すでに完成段階にあった映画をそのまま上映させるしかなかったのです。
押井さんはそれと引き換えにTVシリーズからも降板するわけですが、それは最初から覚悟していたことだったわけですね。
それに比べれば庵野さんは何とも恵まれています。
突然の無理な尻切れトンボと言われたテレビシリーズの続きを劇場版として作る機会が与えられました。
しかもその、いわゆる「旧劇場版」すら、当初は半分しか作れないところでそこまでの公開が許され、それから1年後に後編込みで公開されました。
ところがその「旧劇場版」自体が、庵野さんが、テレビシリーズの時以上にぼろぼろになりながら作った作品です。
またもや非難轟々となりました。
しかし、私は「旧劇場版」には「旧劇場版」にしかない魅力があると感じています。
「新劇場版」の方が全体としては洗練された作品であり、庵野さんが成熟したからこそ可能になった境地があります。
しかし、私は、ぶっ壊れかかった「旧劇場版」にひどく愛着があります。
私の本は、「旧劇場版」公開からわずか一ヶ月後に刊行されました。
私が若かったからこそできたのでしょうが、私は10回近く劇場に通い、暗い中、克明にメモをとりながらセリフまで再現、短い期間で、「旧劇場版」の章を書き上げました。
結果的に、私の本は、「旧劇場版」をくわしく取り上げた、他にあまり例のない本となっています。
そういう、劇場版完成直後に無理やり刊行間に合わせて、ブームにあやかろうという戦略だったわけですが、期待の数分の一しか売れませんでした。
それでも中古市場は循環し、ネット上のレビューこそ数少ないですが、知る人ぞ知るではありつづけてきた本ではあるようです。
装丁を全く変えずに幻冬舎から再刊され、それも再版はされてはいませんが、幸い中古市場の循環はよく、今でも定価とあまり変わらない価格で循環しています。ヤフオクでもメルカリでもAmazonでも。
そして電子書籍版は今も買えるわけです。
この本は、今ではあり得ないスタイルの本です。というのは、物語のセリフが克明に書かれています。しかしガイナックスの著作権受託は受けていないという。いい時代だったものですね。
しかも、章立てを登場人物ごとに分けた列伝形式。各登場人物ごとの成長と変化の過程が完全に追えます。
つまり、何と、アニメ自体を見はなくても、この作品が迫真的に理解できるという、「読むエヴァンゲリオン」なんですよ。
なのに、プロカウンセラーの私が徹底的に、非常に本格的な解説をできていたという自負はあります。
要するに、シンシ君ならシンジ君に、アスカならアスカに、我が身を重ね合わせて物語を味わっている若い人たちに、少しだけ生きる自信を持って欲しい、などという高望みをした本。
そして逆に、この本ではじめてエヴァを知った人が、初めてエヴァというアニメ作品を観て、少しだけでも心を潤すきっかけにでもならないかな?という、まことな志が高い本なのでまありまする。
だから、お買い求めていただく価値はあるかも。
Nさんのような、むしろ文学畑の人には、興味深いスタイルの、エヴァンゲリオン入門かもしれません。
こうして書いてみると、あの本のなかでは私が具体的には書なかった、私のこの作品への客観的評価それ自体を、生まれて初めてあからさまに書いた気がするし、私がなぜ今もこの作品を好きなのか、そのエヴァ愛をさらさらと形にできる機会を与えていただいたようなものですね。
