[空想地名祭] 迷子の詩人のお仕事 - 星雪町(作曲も募集)
暑い。まだ梅雨入り前だというのに、外は30度越えの真夏日だ。
俺の部屋は今どき稀に見るエアコンのない四畳一間だ。
昭和の詩人に憧れて家賃3万円のこんなボロアパートに住まいを構えてしまったことを全力で後悔している。
だめだ、室温は40度を超えている。このままでは執筆できないどころか命も危ない。
俺は雰囲気たっぷりの自室を抜け出して、ネットカフェへと向かった。
俺は詩人だ。どこでだって詩を書くことが可能なのだ。
平日の昼間のネットカフェはわりと空いている。こんな暑い日はいつもよりは個室が埋まっているが、満室ではなかった。
俺は涼しい店内でやっと生き返った気持ちになり、ドリンクバーからアイスコーヒーをなみなみと注いだコップを持って割り当てられた個室へと入った。
さて、午前中に書きかけていた詩の続きを書こう…とノートを広げたところ、俺の大切なノートが真っ新になっていることに気が付いた。
まさか、ノートを間違えて持ってきてしまったか? またあの暑さの中取りに戻るのはもうムリである。
慌ててノートの表紙を確認したのだが、そこには見知らぬ名前が書かれていた。
島木沢圭吾
誰だ?
明らかに俺の字で書いてある。しかし、全く見覚えのない字面…。
俺の名なのか? いや、俺の名は…。
そして俺は、自分の名前が分からないことに気が付いた。
俺は誰だ…。
体中から血の気が引いて行くのが感じられた。
俺は、自分自身のことをほとんど思い出せなかった。
エアコンのない四畳一間のボロアパートに住んでいたことは覚えている。
だがそのアパートがどこにあるのか、ここからの帰り道は思い出せなかった。
俺は詩人である。それは覚えていた。だが、名前はもちろん、家族のことや、友人のこと、これまでの人生の全てを思い出すことができなかった。
パニック状態に陥った俺は、無意識に白紙のノートをパラパラとめくりながら、記憶の奥底を探った。
だけれども、俺の記憶は一向に戻って来る気配はなかった。
それにしても、さっきから部屋がやたらと寒かった。いくら猛暑でも空調が効き過ぎている。凍えるほどではないか。
俺はガチガチと歯を鳴らして体を震わせた。その口の間から白い息が漏れる。
これはさすがに冷やし過ぎではないだろうか。俺は店員に文句を言うために個室から出た。
するとどうだろう。そこにはネットカフェが消え失せて、どこまでも続く夜の雪原が広がっていた。
どうりで寒いわけだ。
雪を見ているとこれまでの記憶がどんどん薄れていった。
真夏のサウナみたいな狭い部屋でシコシコと詩を書いていた記憶も、まるでさっきまで見ていた曖昧な夢のように、スルスルと俺の頭から滑りだすように消えて行った。
ああ、そんな夢を見ていたような気もする。
それにしても寒い。
俺は胸に見知らぬノートを抱きしめてTシャツ短パンにというこの場にまるで相応しくない格好で震えていた。
俺はどうしてこんなところにいるんだ? ここで死ぬのか? それとも、俺は既に死んでいるのか?
そう思っていると、向こうから小さな灯りが近づいてきた。
目を細めて見ていると、それは駅員のような制服を着てランタンを持った小柄な男だった。
男は何かコートのようなものを抱えて雪原の中をえっちらおっちらとこちらに向かって必死に歩いてくる。そしてやっと目の前まで来ると、深々と頭を下げてこう言った。
「大幅に誤差がござんした。こちらの不手際であいすみまへん。ようこそ星雪町へ」
何のことやらさっぱりわからず、俺がぽかんと口をあけて突っ立っていると、駅員風の小柄な男は抱えていたコートを俺に着せてくれた。
軽い割にはとても暖かいコートだった。
それから男は俺にブーツも履かせてくれた。内側にフカフカがついている最高級のブーツだった。
「そんれでは参りましょう」
男が勝手に出発してしまったので、俺はあわてて彼について歩き始めた。
しばらく雪原の中を歩いて行くと、ポツポツと町の明りが見えてきた。
町が見えて来て俺は心底ほっとした。
駅員男は俺を立派な旅館へと案内してくれた。
「詩人さま。今日からこちらをご利用くだせ」
駅員はペコリと頭を下げるとそそくさと出て行ってしまった。
がらんとしたエントランスに独り残され、俺は再び途方に暮れた。
コチコチとどこからか時計の音が聞こえていた。
しばらく茫然と待っていると、奥の方から年齢不詳の女が出てきた。
彼女が近くまで来てはじめて、その人の性別も不明であることがわかった。女の服を着て化粧もしているが、顔はおじさんにも見えるし、若い女にも見えた。
「おいでなさいませ詩人さま。私は当 星喰楼の番人でございます。お部屋にご案内します」
俺は番人に導かれるままに旅館の中へと入った。そして建物の一番奥の部屋へと通された。
「ここが詩人さまのお部屋でございます。どうぞごゆっくり」
番人は頭を下げると部屋から出て行き、俺はまた一人になった。
部屋の正面には障子の窓があり、その前に文机が置かれていた。
俺はコートを脱ぐと文机の前に座った。ずっと持って来たノートを取り出す。
なぜこのノートを持っているのかも思い出せなかった。
島木沢圭吾
見覚えのない名前。俺の名前なのだろうきっと。しかし全くピントこなかった。
「島木沢先生とおっしゃるのですね?」
急に横で声がしたので俺は心臓が口から飛び出るほど驚いてひっくり返ってしまった。
見ると、さきほどの番人と顔がそっくりな若い女が俺のすぐ横からノートを覗き込んでいるではないか。
番人と違ってこいつは女だとはっきりわかるほどにふくよかな胸をしていたし、若い女独特のすべすべの肌つやであったが、どうも気味の悪い女だった。
「お前は誰だ? いつからそこに?」
「あら、最初からおりましたよ。わたくしは島木沢先生の秘書に任命された者でございます」
「お前はあの番人の娘とか?」
「うふふ、そうです。よくわかりましたね。お父様とはそっくりだとよく言われるのです」
…あの番人、男だったのか。
番人の性別も年齢も正直どちらでもよいとは思っていたが答えが分かり、少しすっきりした気持ちになった。
「ところで、俺は秘書など頼んだ覚えはないんだけど」
「決まりですので。こちらへお越しの詩人様には果たして貰うお仕事がございます」
「仕事?」
「はい。そのご案内のためにわたくしども秘書が必要なのです」
「なるほど。で、俺は何をすればいい?」
「この窓の向こうに “無音の森” という場所がございます。その名のとおりに無音になってしまった森です。その場所のためにぜひ歌を書いてほしいのです」
言いながら秘書は障子をさっと開いた。すると目の前に、夜闇の中にぼんやりと光って浮かぶ不思議な森が広がっていた。
この建物に入って来るときには気が付かなかったので、こちらは建物の裏側になるのだろう、と俺は勘ぐった。
俺がその幻想的な情景に見惚れていると、秘書が窓の前へ立って、いかにも自慢げな表情で「ぜひ、この森をテーマに歌を作ってください」と言った。
「…わかった。ただ、作るのはいいが、俺は詩しか書けない。曲は書けないぞ」
「それで結構です。曲は他の者が書きますから。では明日の朝までにぜひ」
秘書はにっこりと微笑むと部屋から出て行った。
…明日の朝まで?? 朝までと言ったか?
俺は信じられない気持ちで秘書が出て行ったふすまの向こうに視線を向けた。
…まあ、いい。どうせ眠れそうにもないし、他にやることはないのだ。
それに、なんだか詩を書きたくてうずうずしていた。あの森の雰囲気がそうさせているのだろう。
それで俺は文机に向かって書き始めた。
夢中で書いた。何を書いてるのか全く分からないままに書き続けた。
書いて書いて書きまくった。
気が付いたら朝になっていた。
日の出と共に秘書が入って来た。
朝の “無音の森” は銀色に輝くまばゆい森だった。光と色に溢れた、音だけが欠落している森。
俺は秘書にノートを渡した。
秘書は最初から声を出して読み始めた。
虚ろな瞳は君の心。僕の心を映すもの…。
「こんなのは森の歌ではございません。ボツです…次…」
花さく森は騒めく風の…
「無音の森ですよ。ざわめきはありません。ボツです…次…」
忘却の果てに辿りついた。僕の森は無言の圧力…。
「これがよさそうですね。こちらを採用しましょう」
ようやく合格をもらえて俺はほっとした。こんなのを何日も続けるつもりはなかった。
「ではさっそく歌にしましょう。この詩で曲をつけてもらいますね」
俺の書いた詩を秘書は再び読み上げた。
無音の森
忘却の果てに辿りついた
僕の森は無言の圧力
きらめきは囁きもせず
無数の足跡を消してまわる
森を抜ける風は何を歌う?
聞こえない歌をうたう
この耳に届くのは
いつの時代の嘆きだろうか
「きっとステキな歌になりますよ」
俺はほっとして力が抜けて、そのままその場で眠りこけてしまった。
良い香りがしてきてふと目をあけると、部屋に料理が運ばれていた。
いくつもの小鉢に並べられた色とりどりの小さな料理はどれも星の形をしていた。
俺は空腹に耐えきれず、料理に飛びつき、順番に口へと運んだ。どれも食べたことがないほどに美味い食べ物だった。
それにしても部屋が寒かった。
凍えそうなほどに寒かった。
俺は震えながら食事を続けた。
しかたないだろう、だってここは星雪町なのだから。
いつしか俺の吐く息も白く凍りついてしまった。
(おしまい)
▽募集中:島木沢圭吾の詩に曲をつけてくださいました▽
つるさん
静寂の中にそっと響くようなステキな曲☆
弾き語りが心に沁みます。
茶本重一先生(みすてぃさん)
なんと茶本先生はこの翌日に星雪町にやって来たようです。
ファンタジーの中にもSFを感じさせる みすてぃ節…茶本節のお歌です♪
PJさんの「空想地名祭」に参加します。
まずは旅人から…ということで、星雪町へ訪れてみました。
くそ暑い中で真冬のお話を書くのは難しいですね☆
★★便乗募集★★
この物語の中に出てくる「無音の森」の詩に曲をつけてみませんか?
自由に作曲してみてください。歌っていただけるとなお嬉しいです。
たぶん私も作ると思いますが…
★曲を作っていただいた際には、 #空想地名祭 のタグ付けと、この記事を埋め込んで私を召喚してください。
ではまた、どこかの町でお会いしましょう。
