この夏、私にも宿題ができた。〜答え合わせは、きっと未来で〜
子どもたちの夏休みには宿題があります。
ドリルに、読書感想文。
工作や環境について調べる宿題。
夏休みを通して、勉強だけでなく、社会のことも学んでいきます。
私は子どもたちに「宿題やりなさい」と言うばかりではなく、ふと「親にも夏休みの宿題があってもいいのかもしれない」と思いました。
そう考えるきっかけになったのは、
先日見たテレビ番組でした。
特集されていたのは、
「夏休みが怖い親」。
仕事を休めない。
給食がなくなり、食費が増える。
光熱費もかさむ。
物価高も重なり、十分な食事を用意できない家庭や、電気代を抑えるためにエアコンではなく水風呂で暑さをしのぐ家庭もあると知りました。
命に関わる暑さが続く中で、そんな選択をしなければならない家庭がある。
私は言葉を失いました。
貧困や格差という言葉は知っています。
でも、どこか遠い世界の話だと思っていたのです。
それが日本の、同じ夏の出来事でした。
その日の夜。
風呂上がりの末っ子が言いました。
「パパ、暑い。」
私は迷わずエアコンの温度を下げました。
「お腹すいた。」
約束していたかき氷を食べ、家族みんなで涼をとる。
毎年変わらない我が家の夏です。
その何気ない日常が、急に特別なものに思えました。
我が家も決して裕福ではありません。
将来への不安もあります。
それでも、「今日どうやって生きよう」と悩まずに暮らせている。
それは決して当たり前ではないと、改めて気づかされました。
あの日、一緒にテレビを見ていた子どもたちは、何も感じていない様子でした。
でも、それでいいのだと思います。
知らなければ、考えることはできません。
だからこそ、まずは親である私が伝えたい。
「夏休みを楽しみにできない家もあるんだって。」
その一言から始まる会話があってもいい。
食べ物を残さないこと。
水や電気を大切に使うこと。
目の前の当たり前に感謝すること。
どれも世界を変えるようなことではありません。
でも、誰かを思いやる心は、そんな家庭での会話から育っていくのかもしれません。
子どもたちの宿題には提出日があります。
でも、親の宿題に締め切りはありません。
子どもと話すこと。
一緒に考えること。
この夏、私にも一つの宿題ができました。
その宿題に満点の答えはありません。
それでも、いつか子どもたちが大人になり、困っている誰かに自然と手を差し伸べられる人になっていたら。
その答え合わせは、きっと子どもたちの未来にあります。

