見出し画像

【小さな庭から届く福音 #04】情熱の果実がもたらした、偶然の幸運(セレンディピティ)

こんにちは、クリストファー・セレジェイラスです。

キリスト教では、聖書の言葉や神様からの恵みのメッセージを「福音(ふくいん・よき知らせ)」と呼びます。

今日も我が家の小さなベランダガーデンから、ちょっと元気になれる「よき知らせ」をお届けします。

今回は、今シーズンは諦めかけていた「情熱の果実」パッションフルーツ栽培からの学びです。

なかなか手に入らない情熱の果実


この春、「夏に向けてどんな植物を育てようか」と考えていました。

その中で、どうしても育てたくなった植物のひとつがパッションフルーツです。

なぜか?

理由はもう、ズバリ「生の果実を食べたいから」です。

輸入食料品店で見かける加工されたソースではなく、もぎたての果実を味わってみたい。

パッションフルーツって、日本で親しまれているようで、実はそうでもない、微妙な立ち位置の果物だと思いませんか?

ヨーグルトのソースになっていたり、おしゃれなスムージー店でミックスされていたりはするけれど、日常的に生のまま口にすることは滅多にありません。

でも、私はこの果物が大好きなんです。

なんと言っても「パッション(情熱)」ですから(笑)。

その名前自体、とても気に入っています。

なぜなら、私自身も、何事にも情熱を持って取り組みたいと思っているからです。

時期を逃してもセカンドチャンスがあるかも


話はそれましたが、「春先にどこかで苗を手に入れてベランダで育てたい」と考えていたんです。

でも、この春はいろいろなことが重なってバタバタ。

気がついたら、季節はもう初夏になっていました。

「今年はもう無理かな・・・」

そう諦めかけていた矢先のことです。

先日、このジャーナルでも書いた「朝顔の苗の衝動買い」を覚えていらっしゃるでしょうか?

実はあの日、筋トレ帰りにホームセンターへ寄り、そのあとスーパーへ食料品の買い出しに行ったんです。

すると、なんとスーパーの片隅にあるフラワーコーナーに、パッションフルーツの鉢植えが並んでいるではありませんか!

しかも、驚いたことにすでに実がついている!

それでお値段は、税込で1,000円ちょっと。

・・・これはもう、買うしかありません(笑)。

そう、私は植物に対して、この日「信じられないような2度目の衝動買い」をしてしまったのです。

連れて帰ってきたパッションフルーツは、朝顔を植え付けたのと同じ週末に、さっそく植え替えをしました。

元々のプラスチックの鉢から、一回り大きなテラコッタの鉢へ。

せっかくついている実を傷つけないように、そっと、慎重に。

情熱の果実から始まる物語


パッションフルーツを育てたかった理由は、もちろん「実を味わいたい」というのもありますが、実はもうひとつあります。

あの独特な花を、私の「クリストファーの小さなスカイガーデン」で咲かせてみたかったのです。

すでに実がなっている鉢なので、「今年の夏はもう花は咲かないのかな・・・」という、ちょっと残念な予想もしていました。

けれど、今朝ベランダに出てみると、なんと新しい蔓(つる)が伸びているのを発見!

「これはもしや、この新しい蔓にこれから花が咲いてくれるかも・・・」と、今は淡い期待を抱いています。

一回り大きいテラコッタに植え替えて3週間、新しい蔓に開花の期待を

ところで、パッションフルーツの和名は「クダモノトケイソウ(果物時計草)」。

時計の文字盤のような、個性的な花を咲かせるトケイソウの仲間で、その中でも大きくて美味しい実をつける種類をパッションフルーツと呼んでいます。

そしてこのパッションフルーツ、実はキリスト教と深い関わりがある植物なんです。

クリスチャンである私にとって、インスピレーションの源泉となりうる特別な植物でもあります。

もちろん、「イエスが集まった民衆にパッションフルーツの実を授けた」といった、聖書に直接登場するようなお話ではありません(笑)。

ブドウやイチジクのように聖句で語られる植物よりも、もっと後世の、人間臭い歴史の物語です。

このお話は、また改めて「エッセイ」としてじっくり書きたいと思っています。

興味のある方は、ぜひ楽しみに待っていてくださいね!

行動あってこそのセレンディピティ


春先からずっと育てたいと思っていた、パッションフルーツ。

苗から植え付ける最適な時期は逃してしまったけれど、筋トレや買い物という「行動」の先で、まさかの偶然の出会いを果たし、我が家へとやってきてくれました。

何事も、情熱を持って取り組むときにはもちろん努力が必要です。

でも同時に、日常のふとした瞬間に訪れる「偶然のチャンス」を見逃さないことも、同じくらい大切だと思うんです。

今回の出来事を通して、私は改めて思いました。

人生、いつどこで何が起こるか本当に分からない。

だからこそ、いつもアンテナを高く張り、まずは動いてみることが大事なんだな、と。

そう、偶然の幸運との出会い――「セレンディピティ」を、この手でしっかりと掴み取るために。

ーーー

みなさんも、「偶然の幸運ーーセレンディピティ」に出会うために、意識していることがありますか?

小さなベランダから届いた今日の「よき知らせ」に感謝して。

明日も穏やかな光の恵みとともに、一歩ずつ歩んでいきましょう。


いいなと思ったら応援しよう!