【読書】縄文文化のフォルモロジー(形象学) 日高見国の文化
出版情報
タイトル:縄文文化のフォルモロジー(形象学) 日高見国の文化
著者:田中 英道
出版社 : 扶桑社
発売日 : 2024/6/1
単行本(ソフトカバー) : 240ページ
はじめに
フォルモロジー(形象学)とは何か
ひとつ前の読書記事で、本書の著者 田中の42歳の頃の著作である『フォルモロジー研究』について書いた。著者 田中の原点である、といっていいだろう。
言語によらないフォルム(=形象)の研究手段として、下記の5つのステップを踏む、と述べている。
(1)観察:対象(作品)に対する観察
(2)比較:他の作品や準備デッサンなどとの比較
(3)解釈:(1)(2)で明確になった対象を解釈する
(4)作者:創り出した作者との関係
(5)歴史:対象が生み出された土壌としての歴史
そして「この5つの段階は決してひとつひとつ分かれたものでなく、常に綜合され提示されなければならない」(『フォルモロジー研究』p45)。
書き言葉が残されていない縄文時代。だが人々の営みがあり、多くの遺跡や土偶や土器が残されている。創られたものには創った人々の意志が痕跡として残る。それを読み解いていこうというのが本書『縄文文化のフォルモロジー』の趣旨だ。
そうして…本書の内容に入っていく前に、田中史観について述べておこう。
田中史観とユダヤ
本書の『はじめに』で著者 田中はフォルモロジーと同じように形から意味を読み解く学問であるイコノロジー(図像解釈学)との違いについて述べている。
このイコノロジーとは何かというと、…ユダヤ人学者によって20世紀に生まれた美術史の学問方法…つまり、形象の中の言語的な意味が図像解釈学です。
なぜ、わざわざこのようなことを冒頭で述べているか。それは田中独自の歴史観、田中史観ともいうべき日ユ同化論と関わりがある。田中によるとユダヤ人は過去5回にわたって、日本にやってきており、その度に日本人に同化していったという。一番最初が縄文から弥生にかかる紀元前13世紀ごろ、そして最後がエフェソス公会議以降、蘇我氏が活躍した飛鳥時代までだ(『日本とユダヤの古代史&世界史』)(エフェソス公会議でネストリウス派は異端とされた。田中史観によると蘇我氏はネストリウス派キリスト教徒であるという)。
縄文時代ど真ん中に作られた縄文土器や土偶は、書き言葉に長けたユダヤ人の影響を受けていない…というわけだ。
ではそういう田中が読み解いた『土器や土偶の意味』とは何だろう?
早速本書を見ていこう。
毎回言っていることではあるが、本記事などより本書『縄文文化のフォルモロジー』は潤沢な内容をもち、味わい深い。ご興味をお持ちの方には、ぜひ本書を直接手にとってみることを強くお勧めする。
また、ネタバレ的要素も強いため、そういうことを好まない方は、ここで離脱してください。
本書の構成と内容の概略
章立てとその内容を簡単に紹介する。
第一章 縄文土器の形象学 火焔土器は水紋土器である
→ 典型的な形象学の適応例:読み応えあり
第二章 縄文土偶の形象学 土偶は異形人像である
1 世界で最も美しい土偶
2 世界の土偶も異形人像である
→典型的な形象学の適応例:読み応えあり
第三章 縄文宗教とは何か 形象で表現される神道
→ まだ素描という印象:今後さらに充実する予感
第四章 神話と縄文考古学を結びつける
第五章 三内丸山遺跡の形象学
→まだ素描という印象:今後さらに充実する予感
三内丸山遺跡は日高見国の首都だったのではないか?と推測している。
私の簡単な感想は『→』で付けさせていただいた。
そもそも学者の渾身の著作を、素人の私がこうまで簡単に断じていいはずないのであるが、簡単に紹介することもまた、本記事の趣旨であるので、ご海容願いたい。
以降本記事では1章の火焔土器についてと2章前半の縄文土器について田中の分析などを紹介していく。
本記事で触れていない内容も本書は充実していて豊富である。ご興味のある方はぜひ、本書を手にとって欲しい。例え、素描だとしても骨太のデッサンだ。きっと読み応えのあるものなのでは、と思う。
縄文土器の形象学
本記事はネタバレ形式で、どんどん単刀直入に進もう。一番肝心なことから紹介する。
縄文早期と関東地方
著者 田中は高天原は関東にあったとしている。一方、縄文時代早期前半に作られたとされる撚糸文土器も主に南関東で多く発見されており「東京湾を縁取るように分布して」いるp23。そこで撚糸文土器を作った人々はフィリピン、ミクロネシア、小笠原、伊豆諸島などを経て、南から海を経てやってきたと考えられるるp23。また伊豆諸島の発掘調査が行われた結果、「関東およびその周辺が、日本列島においては大陸から最も遠い文化であることも推察され」たというp24。「直接関東地方、つまり日高見国=太陽が昇る国にやってきた人々がいたということでしょう」p24と結論づけている。(撚糸文は一般的には『よりいともん』と読むようである。田中は『ねんしもん』と読ませている。本記事では一般的な読み方『よりいともん』を採用する)。
縄文文化展に出かけた。神奈川県出土の縄文土器をたくさん見る機会があったのだが、私が驚いたのは、キラキラ光る雲母を練り込んだ結構大きな土器が作られていたこと。さらに漆を使って赤く彩色した土器や、カエル?を彷彿とさせる模様をつけた土器もあったことだ。こういう造形はどうしても『土器や漆の専門家集団』がいたであろうことを想像させたし、土器にかける情熱にも圧倒された。それは実用性とも信仰ともつかない何か、を感じさせる。例えば「集めた食べ物が腐りませんように」との祈り。もしそうしたものがあるとしたら、それは実用からくる信仰だ。信仰だけでは実現しない。何か、そんなこと。利己的な現世利益とかちょっと大袈裟かもだけど国家鎮護とも違う。もっと顔の見える人々の安寧を祈る共同体サイズの信仰(いえ、単に素人の妄想なのですけどね)。そういう祈りを込めて雲母を練り込み、漆を塗り、紋様を創っていたのではと想像してしまう。
火焔土器の正体は水紋土器??
だが究極の縄文土器であると誰もが認める火焔土器は、信濃川流域がメッカなのだ。

新潟県を流れる信濃川流域から火焔土器=水紋土器がたくさん出土していることがわかる。
縄文文化のフォルモロジー p42
「火焔土器」と呼ばれる土器群が、信濃川流域だけから発見されていることは、注目すべきことです。というのも、信濃川という河川は、まさに水の流れが見えるほどの急流だからです。…そのほとんどが新潟県内、特に信濃川上流・中流域(津南町、十日町市、長岡市)で集中的に出土しているのです。ですから、この信濃川に火焔土器の形象表現のモチベーションが関係していると考えられるでしょう。つまり、河川の水の流れを表しているのです。
なるほど〜。でも、確かにこれだけ出土地域が集中しているとしたら、形象のモチーフは信濃川と関係あるかもしれないけど、それだけで河川の水の流れ、と断定していいのかな?

撮影者:しんぎんぐきゃっと
ウィキ:ファイル:火焔型土器.jpg
上記写真を土器を中心にトリミングした。
クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際ライセンス
著作権の関係でリンクを貼っておくのでご関心のある方は見てください。
火焔土器=水紋土器の各部に名称がついている。➡︎ 図はこちら
斜め上から見た火焔土器=水紋土器。➡︎ 写真はこちら
田中は側面に着目する。
…特に注目すべきなのは、その器面においては曲線が明らかに波と渦状であることです。頸部は、その隆帯が渦巻きをつくり、眼鏡状突起とされる部分も、激しい波が円を作ったと思われます。胴部の上部も、渦を同じように描いています。
なるほど〜。そう言われると確かに波が渦巻いているように見えてくる。火は上昇するような渦を巻くが、土器に表現されているように横向きに渦を撒き続けるだろうか?その上で、口縁部や土器紋様全体を見ていくと…
当の土器が、口縁部や頸部に数種類の突起をつけ、渦巻き紋様や、S字状文に代表される曲線紋様が器面全体を覆い尽くしていること、また、粘土紐の貼り付けを原則とする隆帯や半截竹管文で削り出した隆線によって施文されていることに注目すべきです。
頸部や胴部の上部が明らかに波をあらわしているとすれば、四つの鶏頭冠はあたかもせりあがった波のように見えますし、その間の鋸歯状口縁も、幾重の波頭が並んでいるように見えます。また、胴部下の逆U字状文と名づけられた縦の隆線模様は、あたかも垂直に落ちる滝のようにも見えます。
うひょう〜。もう、逆巻く波やさざなみや滝にしか見えなくなった!(我ながら単純だなぁ)。うーん。恐るべし、フォルモロジー。
また田中は、土器も土偶も抽象ではなく写実である、という。
線刻であれ浮彫りであれ、ほかの文明の絵画表現では人間像も動物像も、写実を基本とした具体的な形を表現していることは知られています。アフリカ、ヨーロッパ、メソポタミアの洞窟絵画、岩絵画はみんなそうです…この縄文土器も何かの偶像化で、それが火焔なのか水流なのかを議論すべきでしょう。
なるほど〜。田中はその上で、レオナルド・ダ・ビンチや葛飾北斎の水流表現と比較している。本記事では北斎の水流表現を掲載する。

縄文文化のフォルモロジー p51
レオナルド・ダ・ビンチや葛飾北斎の水流や波の形象を連続で見ていくと、確かに火焔土器=水紋土器も同じような水流表現をしている…そんなふうに見えてくるから不思議だ。
田中は関東の撚糸文土器についても、緩やかな流れを彷彿とさせると指摘している。関東平野の川は利根川にしても江戸川にしても多摩川にしても、流れているかいないか、わからないくらい緩やかに流れている。

縄文文化のフォルモロジー p27
そういう目でこの加曽利E式土器を見直すと、もう渦巻きは水の逆巻き表現にしか見えなくなるし、縦に流れるのは滝か、はたまたゆっくりとした水の流れにしか見えなくなってくる。
縄文装飾はしめ縄と同じ?
さらに田中は、本質的な問いへと歩みを進める。
では、日本の縄文土器や土偶は、なぜ縄文で飾られているのでしょうか。
田中は、注連縄と同じような役割を担っているのではないか?という。
日本では、今日でも神社や御神木は縄で結ばれています。また、神社では注連縄が飾られ、神域と現生とを隔てる結界の役割をもっています。御神木を縄で結ぶということから、人間の力が及ばない「神(八百万の神)を縄で包む」という習慣が昔からあったことがうかがえます。
…縄文人にとって、撚糸文、押し型文、貝殻文、竹簡文、そして…粘土紐をくねくねとさまざまな曲線紋様に形づくっていく…それはすべて、縄文のバラエティなのです。
…紐状、縄状、撚り糸文、押し型文などさまざまな装飾でかたどって、神や神秘領域を包み、結ぼうとする精神のあらわれでしょう。
…縄文土器の…内部の水や食物を崇敬の対象としているという意味だと考えられます。
田中は今日でもお箸が結界の役割を果たしているという。お箸はご飯やお味噌汁など食べ物と私たちを隔てるように置かれている。「結界の向こうの食物は聖なるものであり、神として考えられている」。ほーん。食べる時に手を合わせて「いただきます」といい拝むのも、仏教の影響でもあるだろうが、それ以前の八百万の神々への祈りとも言えるのでは、と述べている。「いただきます」が神事につながるものであったとは。そして縄文につながる可能性のある行為だったとは!日本人恐るべし…!
なぜ水を神聖視し水紋を表現した?
これもまた、火焔土器=水紋土器とするならば、本質的な問いである。
…縄文の人々はなぜ水紋を表現したのでしょうか。
その回答は、
…水なしには生きられないという、人間の体から発し、水そのものへの信仰を形にしたと思われます。縄文が、土器内の内なる自然信仰の対象を包むことによって、神社の正面を飾る注連縄のような役割を演じるのです。内に水という神々がいるというわけです。
記紀の水の神として、イザナミが焼け死ぬ間際に生まれたミツハノメ(罔象女神)がおり、それからイザナギがカグチツノカミを切った時に生じたのがオカミノカミ(龗神)、タカオカミノカミ(高龗神)である。またクラオカミノカミ(闇龗神)という神もいる。闇は谷あいのことでその神様だと推測できる。高は闇に対する山峰を指しているという。オカミは龍神で雨を司り、高龗神はまさに谷川を司る龍神だろうという。
水そのものへの信仰、そして雨、龍神。さまざまな流れの紋様を描く谷川の水。縄文の人々は土器の中にどのような神を見て、祀っていたのだろう?あるいは谷川のもたらす食物などの恵みに感謝を捧げていたのだろうか?
田中は「高天原時代の神々が、縄文・弥生時代の神々と重なっているはず」だと著してきたp 54。
その時代の新潟県地方は、日高見国の一地方として、信濃川の水、魚を糧にして生きていた人々の創造的表現が水紋土器に至ったのではないかと考えています。
田中はこの後も、風土記などをもとに水の神の考察を続けている。四季や川や海と人々の関わりが美しく記述されている。
縄文土器を読む試み
「縄文土器を読む」先人として考古学者 山内清男、小林行雄、小林達雄らをあげているp30。本記事では特に詳しく取り上げないが、名前だけここに挙げておく。
ちなみに装飾性があり祭祀にしようされたと思われる土器は出土されたもの全体の5%程度であるとのことp37-p38。
縄文土偶の形象学
世界で最も美しい土偶
田中によると世界で最も美しい土偶は日本で作られていたとのこと。その縄文土偶を本書からいくつか紹介しよう。
縄文のビーナスは最も美しい土偶、ハート型土偶は最も均整の採れている土偶、遮光器土偶は最も神秘的な土偶であるとのこと。

中:ハート型土偶(群馬県東東町郷原遺跡)
右:遮光器土偶(青森つがる市亀ヶ岡遺跡)
縄文文化のフォルモロジー p61
土偶は異形の人々の写実表現
田中は土偶は異形の人々の写実表現だと推測している。
線刻であれ浮彫りであれ、ほかの文明の絵画表現では人間像も動物像も、写実を基本とした具体的な形を表現していることは知られています。アフリカ、ヨーロッパ、メソポタミアの洞窟絵画、岩絵画はみんなそうです…私は、土偶は異形で生まれたものの偶像化であると分析しました…
そして、もともとの原形がわからなくなる、抽象化の過程がある。
最初は具体的な両眼のただれをあらわしたのが、遮光器土偶の眼鏡のような図案化、形象化が行われ、原形がわからなくなる、ということはよく起きます。「縄文のヴィーナス」や「ハート型ヴィーナス」土偶がそれです。これはもともとの形が自立して様式発展し、原型がなんであったのかわからなくなっていくという、形象の自立化、抽象化に通じるのです。
そういう異形の人々が生まれた原因は近親姦だったのでは、と推測している。
私は、南米などの土偶と関連させて考察した結果、縄文土偶は当時の近親相姦から生まれる異形人像であると考えています。
えええ〜。
…ダウン症や疾患のある眼、認知症的な顔、小人や異常肥満など、異形の姿を典型的に示しているのです。遮光器土偶の眼は、眼病で両眼がただれて潰れた状態が何度も模倣されることによって形式化していき、眼鏡状に戯画化されたものになったと推察されます。
ほえ〜。
聖なるものを包む紋様
そして土偶も土器と同じように、縄文紋様で飾られていた。例えば岩手県盛岡市萪内遺跡から発掘された大型土偶頭部。
発掘された頭部は、耳や鼻などより写実的なものですが隆起した眉と細くつぶった眼など、明らかに異形の人の顔をしています。その周囲には、土器と同じような縄文の紋様が彫られ、縦位の無門帯と、綾杉状の沈線文が交互に刻まれています。
秋田県麻生遺跡から出ている土面には
…「遮光器土偶」…と同じような眼の表現があります。楕円形に横線が入る眼と、鼻と口はより形式化しています。…丸い顔の中には三叉文や雲形文などがあり、それはしばしば縄文土器で使われているものです。

右:大型土偶頭部 (岩手県盛岡市萪内遺跡)
縄文文化のフォルモロジー p33
…土偶の身体表現も、裸体ではなく、着物がすべていろいろな縄文紋様で彫られています。波状や円状の形はないものの、その紋様はほとんど土器同様の紋様です。
ん〜。私にはその紋様が刺青なのか着物の紋様なのかは判断はつかないのですが…でも、熱帯じゃないんだからなんらかの着物なり服なりを着ていてもおかしくは、ない。そして、田中は、この紋様は服装そのものに施されていた紋様ではない、という。
…縄文土器と同じように、この異形の人形を包む縄文の紋様で、聖なるものを包む、日本の神社で見られる注連縄と同じ意味だと考えてよいでしょう。
確かに…もし、知的障害を含む異形の人々が土偶のモチーフだとしたら…そうした人々に痛みを伴う刺青を全身にすることは、とてもじゃないが困難だろう。「痛みや苦痛に対する耐性」はとても低いのではないかと想像できるからだ(違っていたら申し訳ありません)。聖なるものとして全身を包む紋様。なんだか耳なし芳一にもつながるようなお話だ…。
近親婚と文化人類学と記紀神話
なぜこうした異形の人々が生まれてきたのか。田中は近親婚によると推測している。文化人類学者のレヴィ=ストロースは下記のように指摘している。
近親相姦の問題はレヴィ=ストロースが指摘しているように、自然と文化の大事な分岐点であり、その存在が一つの重要さをもっているのです。…日本神話にはそれが明確に示されています。
どのように日本神話に示されているのか?
『記紀』に登場するイザナギ、イザナミの兄妹婚により最初に生まれた子が「ヒルコ(水蛭子)」であったことと関連づけ、高天原時代において神々が近親相姦を行っていたことが予想できます。さらにそのことが現実の縄文・弥生時代と関連づけられ、縄文土偶の表現と対応するのです。イザナギ、イザナミのような兄妹婚が長いあいだ行われていたことは、それ以前の七代の神によって行われていた、という記述に示唆されています。
確かに、wikiの神代七代には兄妹婚をしていたと書いてある…。
そして、
この「水蛭子」が決して打ち捨てられた存在ではなく、それ自体、神となって敬われているのと同じように、縄文土偶も神々として畏怖され、お守りのように保持されたと考えられます。
障害者や病者に神性を感じていた
こういうことは文化人類学の出番なのだろう。田中はレヴィ=ストロースの指摘から、この項目を始めている。
レヴィ=ストロースは障害者、病者が「神話」において神の伝達者となることを指摘しています。障害者を神と人間のあいだの媒介者とし、身体的な不自由さを「聖なるもの」とみなす信仰は、「民俗的世界」に見出せます。
『古事記』には、歩けないけれども天下のことをあまねく知るクエビコという神が登場するし、
原始時代においては、疾病や障害や狂気は、神に遣わされた者、髪を背負いし者、神に近きものへと聖別されたのです。
『日本霊異記』には、顎のない小人が天性の賢さを持っていたとあるそうだ。そういう伝承や習慣、逸話は限りなくあるようだ。
奥能登のある地方では、知的障害者(昔は「白痴」と呼ばれた)を大切にする風習があったという。「白痴」は死後、生まれ変わって鯨となり、このむらの浜に上がり、世話になった村に恩返しをするという。
『遠野物語』には35歳ほどの価値を予知する能力を持つ芳公馬鹿の話があり、明治期には「仙台四郎」という知的障害者が立ち寄った店が必ず繁盛するという評判が立ったという。
明治創業の福助株式会社。もともと文化元年(1804)年ごろから江戸で流行り出した福助人形というものがあったのだ。福助人形のモデルとされる人物も頭が大きく背が低く、だが多分頭の良い人で、自分に似た人形を売り出したところ、死後ブレイクしたという。福助の人形を飾れば千客万来、皆に福をもたらすという触れ込みだ。

聖と俗の両儀的存在をあらわしていた土偶
こうした異形の人々は喜ばれ神聖視されるだけの存在であったわけではなかった。『古事記』にも旅の途中で「足なえ」や盲人に出会ったことを不吉とした話があるそうだ。
古代もしくは民族的世界で、身体障害者や「白痴」と呼ばれた知的障害者が「俗」を超える存在として信仰されていたとすると、そこにはやはり、ある種の疎外ー排除過程を想定しないわけにはいきません。
…イザナギ、イザナミの最初の子の「ヒルコ(水蛭子)」が流されたのも、やはりそのことを思わせるのです。16世紀の西欧の…《異形人は「神の栄光」であり、同時に「神の怒り」の産物…》というのも、その二面性をよく示しています。
おわりに
本書から離れるが、土偶は食べ物の精霊をあらわしているのではないか?という説を唱えている人がいる。一時期話題になった。考古学者からは否定されてはいるのだが。私はあの研究もフォルモロジー的であり、フォルモロジーが辿り着くまた別の結論だと思っている。しかし田中は歯牙にもかけていないようだ。お互いに尊重し合う道はないものだろうか?と、素人の私などは思ってしまう。絶対面白いコラボレーションになると思うんだけどなぁ…。どうでしょ?
追記:2025.03.03
のんてりさんの下記記事で『水煙文土器』と言うものがあることを知りました。田中の火焔土器=水紋土器という説を『水煙文土器』はサポートする可能性があるんじゃないかな?と思った。単なる素人の思いつき。メモとして。
追記ここまで
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
田中英道略歴など
wikiの田中のページがあまりにも不正確である、とのこと。こんなに国際的に活躍しているのに。不正確・不十分にしておくことにきっと意味があるのでしょう(まさか今話題のUSAIDの資金が日本語版wikiにも流入している!?まさかね…)。
田中英道 フォルモロジー関係
多分、下記の本がフォルモロジー研究の原点なのでは?
日本に関するフォルモロジー研究。
田中英道 そのほかの著作
田中は多作である。すべての研究がフォルモロジーにつながっているのだろうと推察する。
縄文土器・土偶の本
竹倉史人
上記の本の考古学者による否定
こちらは竹倉による図鑑
いいなと思ったら応援しよう!
ありがとうございます❣️よりよい記事を書くために使わせていただきます💫
Thank you for your support! I’ll put this toward creating higher-quality articles.